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このページは愛川町議会議員玉利まさるのホームページです。
現在、最新(2015年7月から)の更新はこちらで行っております。
2015年6月までの記事は玉利まさる@愛川町の内視鏡(旧ページ)に残しますので、どちらもよろしくおねがいします。
                   編集子 K



2015年10月30日金曜日

町議選の顛末

かくて、ぼくだけ落選


10月4日夜、開票から45分経過、第一報は1人を除き300票で横一線。が、順調はそこまでです。その後は現職の全員が表を伸ばすも新人の2人とぼくが伸び悩む。そして第三報10時半過ぎ、その新人の一人にも7票の差をつけられる。もう逆転はありえない。

 皆さん、ごめんなさい。全てはぼくの責任です。不徳です。ここに居る方には大変よくして頂きました。深く深くお詫び申し上げます。

 かくして、ぼくは落選。ぼくの敗戦の弁はほぼこのように始まった。その後、みんなで激励会やら反省会などがあった。「私たちの努力不足です」「もっと頑張るべきでした」「まだ逆転のチャンスはある」とか「自転車選挙は失敗だった」「油断があった」「しつこく戸別訪問すべきだった」「大音響の選挙カーでないと勝てない」「ワナに嵌ったのよ」「嘘ついた人の勝ち」「政策より連呼」……。

 もうぼくの耳に入らない。ただただ仲間にそう語らせたことが悲しい。失敗は戻せない。

 それら全て含め、招いたのはぼくの自信過剰です。これから2週間、3週間、いや1ヶ月2ヶ月3ヶ月、よく反省し、自分を見つめ、今後を決めます。それでお許し下さい。

 そして集まりを閉じ、寝れないままに寝た。


それから3週間


 さて、落選の翌日からです、ふつう「落ちたその日から選挙の始まり」というが、それは一般論にすぎない。ぼくは独身だし、部屋にはゴミ(書類)の山。まず、初日は幟を立てさせてくれた方へお礼周りし、昼は片付け。夜はお詫び回りの続きで、バタンキュー。

 2日目以降も似ている。とりあえず積めば5メートルを超す書類の処分とお詫び行脚に5,6日。その間、夜は1に反省、2に反省、心のなかに涙、悔しさ、自責に怒り。

 でも片付いたのはまだ3分の1で、その続き。それに議会だよりや政務活動費精算とかいろいろ。他に選挙違反へのタレコミや苦情への対応その他。


行脚は語る ~努力への評価ゼロ~


 この原稿の時点で3週間ほど支援(してくれたと思える)方を、票を無駄にしたお詫びをして回りました。大方は、相手が支持者なので、励ましと労いをいただきましたが、反省材料として大切なのは批判の”お言葉”です。何が多かったか。以下順に。

① 今回は“楽勝”の噂だったので投票を控えたよ(あるいは人に勧めなかったよ)。

② 前回は4,5回見えたけど、今回は1度だったので他の人にしたよ(じつは3度顔出して留守だと放置したみたいな方が少なくない)

③ 前回は3,4回家の方への来たけど、来なかった。選挙してたの?(町内全域回ったが、自転車のため、スピードは1/9のためか)

④ 選挙は1に大音響、2に大音響、戸別訪問と握手だろう。政策なんて関係なし。常識だよ。

ご批判の9割がそれでした。選挙に大切なのは、議会活動ではなかったのかも。いかに町民は自分に関心を持ってくれるかだったのかもしれません。


想うこと ~努力はムダなのか~


家内の遺志で弱者を救うと決めました。7年学び、「これでいいですか」と「内視鏡」の2紙で14年訴えました。政治家よ学べ、提案せよ、町をチェックしろ、とか、発行のため借金を抱えた時期も。結果は落選。「議会を変えたい」はムダだったのでしょうか。


これからどうするか ~重い責務を~


 では、政治を離れるか。10月2軒知人が引っ越しました。「町に期待できない」と。ぼくの責任は重い。

 4年後に再挑戦か。72歳です。すでに8年ロスしています。後継者を育てる時間はありません。

 当面は無職です。仕事の話はあるけど、安易にフルで働けない。家庭教師の仕事を探そうか。でもその後は?

 困るのは膨大な「愛川町の内視鏡」の継続依頼です。ある町議の支援の申し出をいただいたのですが……。


でも478人への責任 ~お詫び・反省・そして未来~


 日時 11月4日(水)17:30~18:30

 場所 カフェ小さな庭(田代サークルK裏)

 会費 1人500円(茶菓代)

 資格 投票してくれた方、しなかったのを後悔の方はぜひ。



・今回の選挙の舞台裏も語ります。