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このページは愛川町議会議員玉利まさるのホームページです。
現在、最新(2015年7月から)の更新はこちらで行っております。
2015年6月までの記事は玉利まさる@愛川町の内視鏡(旧ページ)に残しますので、どちらもよろしくおねがいします。
                   編集子 K



2015年7月11日土曜日

晴れ、また晴れ(~12日まで)



 ぼくは夏が好きです。晴れが好きです。11日は朝からの天気で、昨夜の寝苦しさが消えました。ほぼ終日、厚木市議選モードです。ついでに、ぼくも秋を睨んでというか、その準備の準備です。とは言っても、はたしてぼくに準備の資格はあるのか。いろんな方の話を聞き歩きしました。

 そして12日、今日も快晴、まずは町内の清掃、メインはラビンの前の川(用水)の清掃を朝の7時から。いっぷくし、今度、例の家の河原の草むしり。せっせ。気温はぐんぐんの音が聞こえそうな上昇で、昼前によしました。

 あとは、たまにはとか言って休み。それでも4,5人とはあったけど。

 さて、晴れ過ぎです。それが組織の弱い市議選にどう響くやら。



2015年7月10日金曜日

えっ、耳を疑う。



 旧愛川地区の区長と地元町議の集いです。この春に新しい区長さんも誕生したので、趣旨は顔会わせと懇親。

 とは言いながら、この会の懸案は、旧愛川地区をいかに元気にするか。顔を合わせれば毎回その話です。しかし夢みたいなことばかり言ってても仕方ありません。問題はそれをどう具体的に前進させるか。ぼくも流れに乗って提案しかかると……。

 ある町議、曰く、「玉利さん、そんなに地域を活性化したいなら、議員をやめなよ! 本気で、それにとりかからないと実現できないし……」

 えっ? 耳を疑う。議員の仕事の半分は提案ではなかったか。議員は提案するたびに辞職するのか。ほかの区長さんたちはどう解したことでしょう。ぼくは、自分のことより、そんな発言をした町議への悪影響が気になります。その日は、長い夜でありました。



2015年7月6日月曜日

ほとんど厚木通い(~9日まで)



 相変わらずあっちに行ったり、こっちに行ったりは同じです。内視鏡書きとかも同じです。少し増えたのが、この頃、厚木の選挙の話題も手伝って、秋を見据えて動き出す町議が増えたのか、この間、「オマエはどうするか」や「活動はどうなっているか」で、あちこちに呼ばれる毎日でありました。

 とはいえ、なんといっても市議選はリアルです。ぼくに支援を依頼している候補者も何人かいて、その関係、毎日、雨ン中、半日以上はいろいろと選挙支援で厚木市内をうろつきました。自分のことより、ここは他人のためでありました。そして、これはこの内視鏡の原稿をためた言い訳でもあります。



 なお、この市議選中、よく耳にした噂は、やはり現職有利、つぎが引退議員の地盤を引きついだ方、そして党の公認……。さて、どうなるか。

2015年7月5日日曜日

愛の刻印



 朝刊に気になる記事が3本。まずはギリシャの国民投票。ぼくがギリシャ人ならどうするか。つぎは厚木の市議選挙の告示です。また個人的には「横浜ローザ逆輸入」のニュースです。

 午前中はその辺りを考えましたが、リアルなのは市議選です。隣町なので知っている方がいっぱい。早い話、市のために落ちてほしい方が3人、受かってほしい新人が3人。ギェーです。ギェーッ。そもそも、市政を思えば、一人一票はムチャです。希望者は一人三票までにしてくれないか。そうなれば、きっと当選者はかなり変わります。きっと、「地縁・血縁・働かない」議員はかなり減ります。まあ、ありえない夢だけど。

 午后は、雨が止むのを待ったけど、いよいよどしゃ降り。そのなか、挨拶というか激励というか、出かけて、帰りには内視鏡のことで知人と打ち合わせ。

 さて、横浜ローザです。ご存知、これは浜の娼婦メリーさんを戦争の被害者として描いた五大路子さんの一人劇ですが、ぼくなりに頭に去来するものがあります。

じつはそのメリーさん、知ってます。産貿ビルのスタジオのことを先ほど触れましたが、40年ほど前、そのメリーさん、しょっちゅうビル内をうろついていました。ときにスタジオにも見えました。

しかし、そのメリーさんの名は、ぼくたちの間では、シロシロばあさん。何しろ、帽子も服も靴も、そして厚化粧の顔も白です。正直、気味悪くて、当時ぼくは30前なので、みたところ彼女は7,80歳です。じっさいは60前後だったのですが、こっちは若いし、気持ち悪いし、ばあさんに見えたのでしょう。

ある日、スタジオに来た時、ただで写真をとってくれと頼まれたことがあります。はやく追い出したい気持ちを好奇心とで引き受けました。その時、ファインダーを除くと、ン、なぜか悲しい気品が漂っている。興味をそそられ、いろいろ訊きました。

むかしのことなので、覚えている断片です。

白ずくめは、かの女の一ばん幸せな日々の記念です。結婚式の姿です。その服を着て、注目されることで幸せになるのです。

本人は、シロシロばあさんと呼ばれていることは承知です。でも、そう呼ぶのは日本人なので無視です。メリーは、結婚して戦死したアメリカ人の呼び名です。つまり外国人にはメリーと読んでもらいたい。そして娼婦になりました。例え嘘でも、ベッドで、できれば英語で、愛を囁かれ、メリーと呼ばれると、相手はそのまま夫になるという。一ばん幸せだった瞬間を再現できるとか。

あと一つ、娼婦としてのコール・ナンバーの61は、永遠の愛のシンボル7の代用です。

そうしたことを知ったあと、ぼくにとってもかの女は、シロシロばあさんでなく、メリーになりました。理解の背景がありました。

 それより、さらに4,5年前、サラリーマン時代です。会社の同僚の女の子に、アメリカ人と付き合っていて、かれ氏をベトナムでなくした子がいました。その子が社員旅行で泥酔した時頼まれたことがあります。これからジョージになってくれないか、鼻の形が似ているから。

メリーが反戦のシンボルかは今もわかりません。戦争の犠牲者なのは確かですが交通事故で夫をなくしていても娼婦になっていたかもしれません。たしかなのは愛の印が刻まれたことだけです。それは幸か不幸かは本人だけが知ることでしょう。この年齢になるとわかります。売春はいけないというけれど、そこに救いを求めている女性はたしかにいます。人間は哀しい生き物と思う。



蛇足です。その辺を解さない堅物は嫌いです。