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このページは愛川町議会議員玉利まさるのホームページです。
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                   編集子 K



2015年7月18日土曜日

オマケ 新国立、これからが大変



 今朝のニュースは新国立の「計画白紙」です。あたりまえだけど、ちっともおもしろくない。そもそも白紙までのゴタゴタが多すぎる期間が長過ぎる。そして、ここに至っても責任の所在も原因も不明確。いまさら詳細は省くけど、そうしたこと自体が今後の迷走も暗示する。ぼくは、当面は何も期待できない。言えるのはただひとつ。今までの関係者には手を引いてくれ、森さんとか安藤さんなどとかあるいは白紙化できる力のあった方とか。ならば期待する。



報告会を下手くそに



 4年近くなる自分の活動を伝える”総括的政治活動報告会”の日です。朝からドキドキ。

 で、午后3時10分開始。気になる参加人数ですが、5分前には4,5人でしたが、25人ほど。町民と議会との「意見交換会」が40人ほどですので、まあ、成功。ちなみに、つい先日、厚木に市議選があったけど、その準備段階の最初の集まりも平均5,6人とか。

 さて、報告の中身ですが、主に2点です。一つは、議会の舞台裏は、その人の政策や識見あるいは活動能力ではなく、いかに一部の古い人達が仕切っているかの話をしました。あとひとつは会派です。巷の常識だと、会派は同じ主義主張者の集まりですが、わが町は、政党の会派は別として、ちがいます。あたかも役職を選出する機関になっています。(ちなみに無所属のぼくは発言の機会のないこともあります) そこで、この2点の弊害に対抗するために皆さんの力を借りる必要性も訴えました。少し焦って、上がって、下手くそに。

 いずれにしろ、いま議会は、年功(任期数)と数の世界です。それを打破しないと、本来の議会の役割、議案に対しては是々非々、議員は提案するのが仕事、この2つの役割を実現できません。ぼくなり悲愴でありました。

 そして、幸い、大方の賛同をいただきました。ありがたいことです。その分、責任は重くなりました。秋へ向けての決意をしました。



 なお、夜はその延長。何人かの方にお礼を言って回り、終わり。長い一日です。

2015年7月16日木曜日

会の意義の確認 (~17日)



 今日は青少年問題協議会です。ふつう年数回しか開かれません。しかし、この会の”守備範囲”は広く、いじめ、少年犯罪、あるいは放課後児童への対応など話題は多様です。たとえば1回めが委員の紹介と方針説明、2回めが事業の進捗状況報告、そして3回めが事業などの総括とか言って、セレモニー的になってはいけません。

 とはいえ、この会は、初回は初顔合わせで、とかく、互いに”お手並み拝見”で、意見はあまり出ません。そこでぼくが”呼び水”的に発言してきました。

 と、今回は、おっ、違います。元気な発言者がかなりいました。で、ぼくは、それに水をささないようセーブした次第です。ただし、この会の委員たちの提案や意見が次年度の事業にどう活かされたかの報告がありません。大切なので、あえてその点だけは確認しました。



 そして16日の午后と17日の1日じゅう、18日のぼくの活動報告会(というか、場合により決意表明もどき)への参加のお願いで、飛び歩きです。たぶん15,6人ほど。さて、どうなるか、かなり不安なものです。

2015年7月14日火曜日

オマケ ②フン、これも驚かず



 明けて15日の大見出しは「安保法案特別委員会通過」 フン、なにが大騒ぎか。もう驚かない。このぶんだと、その次が「衆院採択」で、次の次が「国立競技場」問題。ここを潮目にしばらくメディアは安保法案の忘却が相場でしょう。ならば、はじめからいちいち大見出しつけないでよ。どうせ内心は大問題と思ってないなら。そもそもは、真の問題は憲法問題なのだから。と思うけど、みなさんどうですか。

 折から、この問題が最高潮の折から、ある方に「国会にデモに行こう」と誘われました。本気ならこれから60日間を国会通いです。でないと「本気」は「ウソ」になります。だから行きません!

 またある方から「なぜ愛川の議会は国会へ意見書の提出をしないのか」のお叱りを受けました。うん、できそうだけど、これもムリ。すでにふれたけど、安保法案への関心は、右の方も左の方も低くって。

 かくて新聞の見出しの大きさはぼくの虚しさの大きさでもあります。その思いどこへぶっつければいいのでしょう。皆さんはどうでしょう。語ったからって何も解決しない問題って困るよね。ぼくは自己満足が嫌いです。



オマケ ①ギリシャ支援合意、フンだ



 16日の朝刊の大見出し「ギリシャ支援合意」です。やはり読めば、「なんじゃ、これ」でありました。中身のほとんどがギリシャの税制改革の話です。フン!

 問いたい。EUは今までも支援しています。むろん、たんに財政支援だけでなく、行政改革や人件費改革も迫っています。それでなぜうまく行かなかったのか。たとえばポルトガルやアイルランドなどは危機を回避したけれど。

 以下、調査中なので、無知を晒すが、彼の国に大観光資源はあるけれどほかの資源はない。というか、あるのは漁業か。農業はあるけど大したことなく、産業はダメ。かつての目玉の造船は衰退……。



 いや、こんな雑な話は無用です。言いたいのは、あれもないこれもないの国に支援してギリシャはほんとうに立ち直れるか。どう産業を育成できるか。ぼくの知るギリシャのホテルのオーナーはドイツ人とユダヤ人。たとえばそうした構造に変わるのか、新聞の報道は対症療法の記事ばかりで”肝心”がない。読んでも単に「ああ、そうでっか」です。

人のふり見て(~15日まで)



 「自己反省」とか「自省」という言葉があります。言葉はあるけど、じつはできない言葉です。もし厳密に反省すれば、人は恥ずかしくなり、生きていけません。少なくとも「ぼくは恥ずかしくて死ぬ」であります。それでもぼくが生きているのはうぬぼれがあるからです。しかし、その自惚れも度を越すとどうなるか。議員の場合、「落選」という烙印を押されます。しかし、押されてもうぬぼれがあるので平気なのか、反省できないのが、懲りないのが議員です。そして、それはとても怖いことです。(誤解しないでください。選挙という洗礼を受けない一般市民はさらに自惚れ屋という例もいくらでもあります。たとえば政治のことなぞなにも知らずに論じたりして) まあ、ともあれ、人はとてつもなく図々しい生き物です。自分では反省できません。今回の市議選の教訓でありました。ちなみにある方の敗戦の弁。(自分をタナに上げ)「近頃は我が身を切る政治家がいなくなった」がその典型でありました。

 そこで思うのは、どうすれば反省できるか。結論、他人に反省を迫られること、です。「恥」は「耳」に「心」です。その意味は「他人からの悪口が自分の心に響くこと」とか。それが「恥」とか。



 つい前置きが長くなったけど、この14・15(実はその後も)、ぼくは秋に立候補する資格のあるやなし、雨ン中、恥を知るべくあちこち問うて聞きまわった次第です。ちなみに2日で20人弱。

2015年7月13日月曜日

ン、政策本位?



 厚木市議選の翌朝です。結果が気になる。さて朝刊を見ようかで気が付きました。うっ、休刊日だ! あらためて新聞の存在感を感じた次第。ぼくの世代は活字病です。

 そんな訳で、午前は別ルートで選挙速報を入手し、その分析。選挙の傾向を知ることは職業柄他人ごとではありません。

 さて、気がついたこと、大方は予測のとおり、やはり現職は強い。つぎに新人でも、公認、現職の地盤を継いだ人、そして大きな団体の推薦のある方、というか、ほとんどそれがすべてです。選挙は政策力で選べというけれど、たぶんそれで選ばれた方は現職の2名だけ。 実態としての無所属の新人に超厳しい選挙でありました。選んだ市民の意識が古いのか、挑んだ新人の力が不足なのか、落選した政策型新人に日頃の活動の積み重ねが見えなかったのは事実です。にしても、活動してない現職で当選している方も少なくない。

 うーん、厚木の選挙も古いまま、投票率の低さは、市民の期待の低さでしょう。

 その中で、超ベテランで高齢の二人の落選が光ります。しかし、原因を「多選高齢」と見るのはどうでありましょう。全国的には、それでいて上位当選者もいます。原因は噂では、「活動してなかった」です。正しくは「多選・高齢の老害」かもしれません。

 そんなこと考えてから、午后は、その厚木の方を、祝ったり、慰めたりに飛び回った次第です。とにかく政策選挙ではありませんでした。