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このページは愛川町議会議員玉利まさるのホームページです。
現在、最新(2015年7月から)の更新はこちらで行っております。
2015年6月までの記事は玉利まさる@愛川町の内視鏡(旧ページ)に残しますので、どちらもよろしくおねがいします。
                   編集子 K



2020年11月10日火曜日

●愛川町政治倫理委員会への確認

 去る11月5日、全員協議会の報告事項の7項目めで、議長諮問事項としての愛川政治倫理委員会の設置が了承されました。それに先立ち、私は10月の公報公聴委員会を遅刻しております。議長に呼び出され、「注意はなく具体的に対応する」との予告を受けています。当然、委員会の設置は私の遅刻を念頭においたものと理解していました。

 さて、まずはその遅刻についてです。政治倫理規程の第3条に、議員が遵守すべき基準が6項目あげられていますが、そこに「欠勤・遅刻」などの項目はありません。念の為、他の市町の規程もいくらか読みましたが、同じです。反論しているのではありません。私の遅刻は事実です。そしてそれが望ましくないことも確かです。私は事実のかぎり、倫理委員会の判断を受け入れる所存です。そして、受けいれるかぎり、私は自分が倫理基準のどの項目に反したのか明確であることを望みます。あえてふれた理由の一つです。

 ここからが本題です。そうしたことまで気になった背景です。

 倫理委員会の設置はA議員の審査請求で成りました。請求の理由は、当然私の遅刻と予想していましたが、違いました。かれは「玉利議員は、折込チラシなどで議員の名誉を棄損し、人格を損なう・・・」と理由を述べ始めました。私は耳が遠い上に、驚き、頭が白くなり、正確ではないかもしれません。しかし、かれは同じ11月の会派の研修の研修会のあとの会議のときも似た話をしています。議員の名誉棄損だとか個人攻撃だとか。そのときは数人が同調しましたが、私はあえて反論しませんでした。反論すれば、A議員に恥をかかせる意味もありますが、驚くことにかれも同調者も問題の私のチラシを読んでいなかったようです。つまり憶測です。

 ですから、全協でのA議員の話「議員の名誉棄損」はきっと正しい、とても重い、それは倫理をこえ、刑事問題です。そんな重大なものをだすとは、もしかして、遅刻は口実で、本丸?は名誉棄損なのでしょうか。

 たしかに愛川町の倫理基準の点目に「折込みチラシによる‟町民”の名誉棄損」がありますが、ぼくは、それは倫理問題ではなく、倫理委員会が刑事告発する事項と考えています。議員の名誉棄損についても同じかと思います。

 以上の観点から申し上げます。

 町の倫理規程には、多くの守秘義務があります。仮に悪く解釈していえば、秘密裡を口実に何でもありの審査も可能です。一方、ぼくには自分を守るものがありません。そこで親しい弁護士に相談したら、あなたが議会や議員を名誉棄損で逆に告発すれば、しこりも残り傷つき、経済負担もあるのでと次のように提案されました。以下、参考の為です。

①遅刻だけでなく、私の名誉棄損の明確な根拠・証拠の確認

②それに伴う、規準との整合性の確認

③一程度の倫理委員会の透明性の担保

④以上ができない場合の町民への発信(まずはこの文書の公開)

⑤調査過程の公開

なお、念の為最後に私の活動報告紙「これでいいですか愛川町」の姿勢。

私は活動報告紙としているが、あまり、宣伝ととられたくないので、議会及び議員の現状・課題や町でおきていることを話題の中心にして、ひいては町を良くしたい。そのためには、時に個人の言動にもふれるが、議員(公人)であることから褒める場合は実名、批判ととれる記述は、一般化に努力する(一般化には、町内の議員と議会の場合と他市町の場合とがある)。

 それでも人はミスや書きすぎをしやすい。時に名誉毀損もありうる。それを防ぐために私はチラシの発行前に代表その他の人のチェックを受けている。

 しかし名前がなくとも、「私の悪口を書いた」と言う議員もいるのは事実です。その場合には説明をつくします。大方は誤解・誤読が解けるが、納得しないこともある。以前、チラシに「町議には役職病が多い」と書いたら、名前もないのに「私の悪口」を書いたと3人の町議に「傷つけられた」と叱られたが、これは本人自身が役職病を認めているので、説明の仕様がないが、似たケースはよくある。その点では、名誉棄損ではないので、お許しをお願いします。

 いずれにしろ、私がチラシを出すのは、まずは町民、そして町のためであって、名誉棄損の意図がないことを明記しておきます。

 私は、金、名誉、地位に無関心です。失うものはありません。そんな私は町や議会に苦言を出すのが私の役割かと信じます。その辺りの配慮、よろしく願います。

 

 

 

 

 

 

2020年11月7日土曜日

●拝啓 ピアリング様 がん患者への想い。

11月4日の朝刊に「生きる希望、歌で届け」の記事。読むと、(財)ピアリングが乳がんの治療中や悩みや生きる希望をつづった応援歌を動画配信した、とのことです。

 ちょっと待ってください。そうした歌が必要なのは患者にかぎりません。ぼくは25年前に妻を乳がんで失っています。あなたがたの活動に期待しているのです。家族も同じです。あなたがたが歌で応援しているから、こちらも下手な詩であなたたちを支援です。

   『がんばろう ピアリング』

一、 何なの この痛み 誰に語ろう

    何なの この淋しさ 誰に語らん

     そうだ 私に仲間が要るんだ

    同じの 痛みと淋しさの

         どこにいるの ピアリング ピアリング

   話そうよ あなたと わたしと そして仲間たちのためにも

二、 何なの この不安 誰と歌おう

    何なの この苦しさ 誰に告げよう

    そうだ 私に 仲間が居たのね

    同じの 不安と苦しさの

    どこにいたのか ピアリング ピアリング

    唱おうよ あたなと わたしと そして仲間たちと 一緒に

三、 もしや あの頃 語りあったら

    もしかし あの時 共に唱えたら

    痛みや不安 みな乗りこえて

    飛んでいかない 空の果て

    だから頑張って ピアリング ピアリング

    話そう 唱おう ピアリング ピアリング 家族のためにもピアリング

という訳で、ご活躍を祈ります。なお、妻は今のピアリング代表と同じ年齢で亡くなりました。やりたいことをたくさん残して。

        

●大切なもの 絵が教えてくれたこと

続きですが、展覧会を鑑賞しながら2つが頭を横切りました。

 一つは「絵」という文字。糸が会うと書きますが、古代、5色の糸を組合すのが絵のはじまりだそうですが、アフリカの絵は6色の原色で描かれていました。その素朴がぼくを圧倒したのかも。

 いま一つ、なぜか立読みの伊集院静さんの一文です。かれは「スマホがあれば何でもなんでもできる」に対し、つぎのように語っていました。「何を抜かしやがる。といってもホリエモンは嫌いでない。嫌いといえば、元2020のあの男は100倍も嫌いだし、孫正義は千倍も嫌いである」と。

 思えば3人とも金言の価値をカネ・モノで測ります。アフリカの絵はその対極なので頭に浮かんだようです。展示場を去ると、日頃のストレスが消えていました。

●おお、アフリカ展覧会の紹介です。

おお、アフリカ。数日前に気分転換にアフリカ(ザンビア)展を覗いて、おお。作家たちの夢中とか童心とかが、アートのレベルを超えていた。かつてピカソが圧倒されたのはそれだったのだろうか。(参考にFaceBookに写真を載せますが、娯しんでネ。)

 

●「バカ、バカ、ぼくのバカ」。ぼくのミスの話です。

バカ、バカ、ぼくのバカ。あろうことか、2ヵ月に2度、委員会に遅刻です。事実ですので、弁解できません。11月5日は全協(全員協議会)で、ぼくへの‟罰”が下るとか。仕方のないことです。隠せない性分ですので、記してごめんなさい。

●市町村議会議員のセミナー

一昨日、タンザニア(東アフリカ)の絵を見て、気分一新。大統領選の結果の前に、ブログ更新の続きです。

千葉での一泊でのセミナーで4つの講演会に参加しました。その中の一つは、アメリカ出身で犬山市の市議になるや、市民参加型の議会を実現すると、毎日、傍聴席を満員にさせたB・アンソニーさんの話。

 議会改革は多くの議員の苦労のタネ。なぜうまくいったのか?関心のある方は、是非犬山市のHPを!ヒントがいっぱいでした。

2020年11月4日水曜日

●精神障碍者の実態

これについてブログその他でふれたら、それなりの反響。多くは「実態を知りたい」でありました。国の定義とぼくは違うし、かれらの症状は千差万別なので、どうするか迷います。

 一方、かれらの実態が見えないと、かれらが辛すぎるままになるのも現実です。そこで、ぼくは精神障碍者を「(広い意味で)こころに疾患を抱えていて、日常生活に支障・不便のある者」と定義し、紹介するのは多様の中の一例として、以下、書くことにしました。

 Mさんの例です。中津の路上で出会ったんです。彼女は、私の50メートルほど前を歩いていて、よたよた歩き、突然ばたっと倒れけいれんし、またよたよた歩き、アパートへ帰っていきました。余りの恐ろしさに声もかけられません。二、三日して、私はそのアパートを訪ねました。原因は、やはり身近な人で我慢のし過ぎで、トリガーは心的外傷でありました。体が硬直して、骨折したこともあります。ふだんは、親切なお医者さんのアドバイスで薬にも副作用があるよと言われて、控え目にしていましたが、切れると症状が出てきます。その効果がなくなると、色々起こります。また、私と同じに似た体験をすると、ひどい症状になります。例えば、腹痛は10日以上続きます。胃にはポリープが続発します。バネ指になります。呼吸困難、極端な視力低下、歩行困難、上げればきりがありません。出会ったころは肩などをもみました。鉛が入っているようです。それでも、5時間、4時間、3時間、20分、そんなふうになり肩に触れただけで気が楽になるのか、3年かかりました。でも、症状は威張る人に何か言われると悪い症状に戻ります。実態を目にする人はほとんどいません。薬が効いているときしか出歩かないからです。その点、医者でも同じです。Mさんは隠します。知られてひどい目に遭ったことがあるからです。

 さて、そのMさん、というか、ぼくの支援している8人皆同じですが、周囲は誰も重い症状に気がついていません。実態を見られると、差別される、仕事を失うなどの意味もありますが、かれらは薬(治すのではなく、重い症状を軽減する薬)に依存しています。長年、服用しているので副作用の怖さを知っています。極端に言えば、出かける時だけ服用します。だから、周囲もボランティアも時には医師さえ実態は見えません。

 そこから起きるチグハグは膨大ですが、テーマではないので、一つだけ医療制度の面からふれます。かれらの多くは、生活費を障がい年金に頼っています。その年金の額は障がい度で決めます。そして障がい度を決めるのはふつう主治医である医師です。ところがその医師は日常的にはかれらの実態を目にしていません。結果として、かれらの年金は障がいの目に見える身体障碍者より、あるいは同じ精神障碍であっても障がい度の分かりやすい発達障碍者より低いのです。障がいを認定されない方さえいます。10月4日、神奈川新聞がその辺りの一部を報道したのはご存知のとおりです。

 なお、この機会によく訊かれるのは「精神障碍は治るか」です。これも、じつは国の見解とぼくはズレています。現実的にふれます。仮に障がいからくる症状が消えるのを治ると言えば治る、です。先の8人についていえば、みな10年以上薬を続けています。その点では治らない、です。では、どうすればよいのか。狭い範囲と見聞からの推察です。ある障がい者に身近にケアしてくれる方がいて、薬が徐々に減り、今、薬と切れて8年目だとか、体験上、納得です。なまじ薬が効くため、医師の薬頼みが認知行動療法その他を遅らせている意味もあるでしょう。いずれにしろ、ぼくが精神障碍の見える化を訴える理由です。

 

●愛川町のコロナ感染

この頃ホップ、ステップ、ジャンプで急増しています。しかし、大声で言うと感染のほとんどが町外での会食その他でのおみやげ感染です。えっ、人口比ではですか?小さな声になりますがかなりです。過大・過少に恐れないのがコロナ対策の鉄則です。町にはそこへの配慮の対策を祈っているところです。

 なお、対策と言えば囲碁・将棋は対面ゲームですが、その安全性にふれました。そのおかげ(?)か、公民館でも再開されました。嬉しいが、一方、老人ホームなどです。まだクラスターの懸念から体操時間の中止が少なくありません。そこで体力の低下がかえって危険を招いています。ぼくは体操教室の再開も祈ります。

●ブログミス

ぼくは自分の活動報告紙『これでいいですか愛川町』の一般質問のコーナーで質問者全員のテーマを紹介しています。いわば定番です。それを、あろうことか、お二方の紹介もれです。まずは記しお詫び致します。「記載もれ」ですので、読者は気がつかなかったかもしれませんが・・・、以下、脱落箇所。

・阿部隆之議員  関係人口の総出、大学や教育機関と連携

・小島総一郎議員  町総合計画、町道弊山下平線整備事業

なお、議員の活動報告の一般質問には、自分のだけ紹介、抄録、全議員の紹介などがありますが、全員紹介なら報告もれは防げます。その意味で、今後の扱いについては検討課題です。

 

 

2020年10月28日水曜日

●歯痒かったこの一年(活動報告書 Oct17 '20 1ページ目より)

●歯痒かったこの一年

 9月の決算議会が終った。前年度の事業の審査となるが、ぼくは去年はいないので分りにくい。いきおい「あゝ、昨年町会議員に復活だったっけ」となる。この一年が走馬灯みたいに頭を駆けめぐるのでした。
 まず選挙が楽でなかったこと、町民わけても弱者のために働くと誓ったこと、そのために会派に入ったこと、が、会派は多様です。町民より職員優先の町議もいたりして行動が空回りしたこと、自分にウソをついたら終りだ。正直に言う。成果は当初の半分それどころか10分の1以下の気がする。歯痒い。
 思えば行政は規制と前例で成りたつが、議会も同じ。そしてその規制・前例と言えば、菅さんが首相になり、いまその改革を訴えている。訴えるのに35年かかるのだ。たかが一年でグチってどうする。そう自分を叱る日々でありました。

●大きなチョンボと小さな喜び

 さて9月議会です。3月はコロナ騒ぎでしたが、馴れはすごい。コロナはもっと蔓延しているのに議会は通常。一般質問は13人だったし、総括質問どころか常任委員会などもいつになく熱心でした。町の答弁を訊くだけ質問が消えた気がします。あゝ、だのに、一般質問では、ぼくだけ一人で力んで一人でこけた感じですが、詳しくは次頁。
 質疑です。質疑とは町の事業の点検だ、の姿勢で多くの町議が取り組みました。渡辺代表の総括質疑など、陳情みたいに町への注文でいっぱい。しかも、議会最終日の常任委員会の調査などは、議会報告だけでなく、町長室へも提出される。かつてない熱の入れよう。
 一方、肝心の議会改革。進んではいるけど先送り事項も少なくありません。なぜでしょ。詳しくは次頁以下を読んでネ。

お知らせ

 10月10日おもに川北区の住民が集い、「半原地区の環境を守る会」を正式にたちあげました。例の韮尾根の巨大な盛土の造成を心配するもので、政治的に中立の団体です。
詳しくは 小島條太郎( 半原5695、TEL090-3228-2886 )ご協力を!

●一般質問 (活動報告書 Oct17 ’20 2ページ目より)

●一般質問  ~ コロナ禍こえて正常に ~

 コロナで3・6月は低調でしたが、その反動みたいに、13名が頑張りました。
 ---  以下項目  ---
 【 茅 】  半原ワサビ、和紙継承    【岸上】コロナウイルス防止策
 【渡辺】  教育行政(給食・エアコンなど)、危機管理体制
 【小林】  少人数学級とICT教育、非正規職員の待遇
 【井出】  コロナ禍の避難所、町の交通施策    【鈴木】コロナ防止策
 【玉利】  共に生きる社会、中学の数学
 【 佐藤 ( り ) 】  「 新しい生活様式」コロナ禍の学校対策
 【 佐藤( し) 】  コロナ禍の観光    【木下】愛川聖苑の今後
 【熊坂】  コロナ禍の社会福祉、愛川ブランド
 --- 以上(発言順・敬称略)

●ぼくの質問  ~ チョンボの胸のうち ~

 一般質問は2項目で、一つが「共に生きる」でありました。じつは15年以上とても重い精神障がい者の支援をしていて痛感するのは「誰も実態を知らないなあ」です。そこへコロナ禍です。知る人の全員が非正規労働者ですから無収入になりました。共に生きるどころでなく何とかしたい。そこでテーマにしました。けれど、行政は県の制度の手続き窓口で実態は見えにくい。ぼくの提案などたんに行政批判と響くでしょう。3ヶ月調査して質問書を書いたけど、やはり理解されない。結局、話が合わないまゝ質問に臨みました。質問では訴えていく中で、障がい者を思うと込みあげるものがあり、あとはグシャグシャ。
 なんという皮肉でしょう。10月4日、神奈川新聞は、外見では分らない障害者に対し医師は恣意的に障害の程度を低く判定し、年金などの支援を怠っている事実を報道しました。問題は多いが、これもぼくが議場で訴えたかった一つです。あゝ、なのに、なのに。
 ちなみに障がい者は、ふだんは薬で症状を抑えて暮らしてますが、かれらは副作用の怖さも知って生活します。薬がきれるとどれほど苦しいか。じつはボランティアも医師も見てません。それでは障がい者対策はありません。ぼくが訴えたのは障がい者の見える化策でした。それが、共に生きる社会への一歩と考えたからです。さて、ぼくは行政も説得しきれないで、何をどこまでやれたのだろうか。

●総括質疑 (活動報告書 Oct17 '20 3ページ目より)

●総括質疑  ~ 色々と誤解あるけど ~

 質疑は、分かりやすくするため、雑にいうと町の事業を評価することです。皆さんは傍聴しないけど、テーマは誰でもが知ることで、聴けば町議の質が見えるかも。中には答弁だけ聴いて、「はい、分りました」で済ますのも見えたりして。
 さて、その質疑、大きく4つほどあります。議場でするのが個人と代表の総括質疑。委員会室でやるのが付託議案の審査と事務調査箇所の事業評価です。そして、ここにも誤解があります。議場の質疑は重く、委員会の質疑は軽い、です。ぼくなど今回も委員会室で徹底的に云々して発言を止められそうな場面も。
 が、代表や熊坂町議は、質疑は中身や回数も自由なのを承知していて事なきでした。それどころか、今回、その委員会質疑が町長室へ提出されました。また教民では委員長も副委員長も質疑です。慣例打破でありました。

●議会改革  ~ ほんとにやれるの? ~

 今回の検討委員会のテーマは3つです。1つ目は例によりタブレット端末の導入、順調に他市の実態の研修まで進んでます。但し、葉山や寒川に断られて厚木で受けることに。
しかし研修の拒否は珍しい。理由が気になる。
 つぎが議員の定数・報酬・手当てなどの見直し。結論、どれも「現状維持」とか、理由は、町民に理解されない、その時期でない、議会改革の後の話でしょ、定数は議会の質の低下、タブレットの導入に金がかかるから、などなど。えっ、定数削減も改革ではないの。
 ぼく的には町議は町民感覚とズレてる。理解されないのは評価されてないのだし、時期は将来のため今だし、削減は、タブレット費をうかすし、質を高めるし…。
 つい「やる気なしなの」「御身大切か」と問いたかったが、グチでお茶をにごしたのです。多勢に無勢でしたから、和も大切だし。そんな具合ですから、3つ目のテーマは次回へ送りとなりました。民主々義もやっかいだけど、議員が議員を改革することは、さらにやっかいと言うことでしょうか。

●ミニ・ノート(活動報告書 Oct17 ’20 4ページ目より)

●わが会派は寄せ合い、考えはマチマチ、だから信念の貫徹と妥協の間をウロウロ。どうにも世渡り下手です。1面の前半の心境でした。だから価値があるのか、いや、ないのかも。

●2面の大チョンボは町を説得できなかったほかに、そのせいで2項目がヘロヘロの意味もあります。けど障がい者の重い症状は伝えた。ブログにもその部分は載せます。それで紹介した方への理解が深まるのが願いです。

●思えば、ぼくが一般質問に選ぶのは国や県の制度もれで行政が回らないものばかり。それを取りあげると、町は自分への批判と思いちがいするけんど。でなくて、一緒に国や県に訂正を訴えよう、とならなく、つらいです。

●ついでですが、今年から下水道の会計は民間式の会計になりました。その狙いは、下水道会計の実態は赤字で、やがて破綻すると知ってほしい、です。自治体は赤字を隠すけど必要なし、国のホンネは隠さなければ助成できるのに、とか。三浦市はツケで大巾値上げか。

●序のついで。町が国や県から受ける事業も決算期で、こちらは審議会審査です。ぼくはほぼ発言なし。たとえば県の助成を受けていれば、県はきびしくチェックするからです。但し、助成額が一律の事業は猛烈チェックです。

●戻って3面の総括質疑ですが、先ほど質疑が真剣になってきた様子にふれました。ぼくは10ン年、「たんに答弁を訊くだけ質疑はダメ」と叫び続けです。真剣さはぼくの影響かなと密かに自慢です。いや、勘ちがいかも。

●にしても思う。総括質疑は一般質問より大切という町議もいるがこれは言いすぎでしょう。質疑=チエック、質問=提案とすれば2つは車の車輪。どっちが大切かの話でありません。

●ところでコロナ禍中で、ぼくたちの政治活動も自粛です。アンケートに名を借りた個別訪問も不可です。そこで会派でしたのが、“ よろず相談所”開設。密を避けるべく、1人30分の町政相談です。大好評で10/22、11/19日もタウンカフェで。詳しくは渡辺へ!

●水源地の観光拠点化の刺激か、八菅河川敷周辺の行政区が集い、観行地化( ? ) にアイデア。町にも計画書提出とか。こちらはまぎれなく民間リード型と言えます。成功祈ります。町民意見の場もない水源地はどうなるの?

2020年10月21日水曜日

久々の更新で、この頃思う事です。

・新首相  

9月議会と同時スタートでした。首相本『したたか』くらいは一読でしたが、判保留。ぼくは検証趣味ですから様子見。ヴェトナム訪問や訪韓拒否などはとりあえず評価。でも真価は正念場を見ないとネ。

・大統領選

「どちらが勝つか」の報道ばっかし。フン、アホらし。日本人の大半は、トランプは知るけどバイデンなぞ知らない。しかし選挙結果の日本への影響は大きい。メディアよ、政策の違いの詳しい報道を!

・学術会議

 これまたアホらしい。日本人の多くは日本学術会議の実態を知らない。ぼくが知っていたのも学術会議が中国へ機密情報を流してた噂くらい。騒がれたから調べる――メディアのジャーナリズムの欠落か。

・審議会

 それで思い出す。学術会議問題の発端は審議に係る会員の認定問題だったが、メディアよ、知っているか。そうした審議会は市町村にも5万とあります。こちらは審議能力のない人も認定される問題です。

・当て職問題

 重大なのでふれますが、ふつう市町村の審議員は関係団体の方に‟当て”られる。が、かれらは専門家ではなく意見がない。だから行政の説明の説明を訊くのに終始。行政の思惑通り、よくある話です。

・精神障碍者

先日、神奈川新聞に「精神障碍者は年金の受給が減ります」との報道。理由に制度の歪みとありました。県の審査委員が歪みに気がついていない、と言うべきか。障碍者の実態も知らないのです。ついでです。市町村はさらに悲惨か。ほんとは障碍者に一番身近か、現場から実情を伝える立場ですが、現状は医師の障碍制度の判定を県に伝えるだけが仕事に近い。実はこちらも医者任せが多いのです。

・9月議会 

かくてぼくは審議会などにさほど期待しません。それより実態。精神障碍者15年のぼくとしては、9月議会の中心をかれらの実態を報告しました。ボランティア関係者も医師さえ薬が切れた時の症状の悲惨を見ていないからです。

・コロナ支給①

悲惨と言えば、ぼくの支援する8人の方は全員が非正規労働で、コロナ失職。受けた支給は10万円と商品券3千円のみ。税金を払ってないので、他の支給の対象外。母子家庭など同じですけど。

・コロナ支給②

そのコロナ支給です。多くは一律。町で先日、金持ちの子さえ3千円ゲット。例の10万円も金持ちの子も。ムダすぎ。より悲惨な人へになってない。喚いてるけど、気がひけ商品券は辞退しました。

・杉田発言

「女はウソつき」で騒がれました。差別だからです。けど、どれほど悪いの?ぼくにも色んな差別心はあります。甚だ悪いと自覚し、口にしないだけ。杉田さん正直、批難した人はウソつきかも。そして自分にウソつくところから正義が生まれ、市民警察や自粛警察が生まれる。怖いのはそちらのほうかもしれません。あれ、これも正義感の変形。人間って厄介ネ。

・これでいいですか

最後に議会活動報告紙「これでいいですか愛川町」9月議会号を出しました。追って載せます。お知らせまで。

 

 

2020年8月22日土曜日

つぶやき

①李登輝さん逝く ~巨星だったのに~

 李さん、一般的には民主主義の父と呼ばれ、健全な経済発展で国民に夢を与えた人と言えようか。だが、ぼくには違う。日本人以上に日本を知る方で、かれの生き方は、たとえば目先の経済優先で中国に近づき、果ては今日の中国の横暴を許した日本への警鐘です。また戦後、日本が戦勝国に四島に分割されるのを防いだ恩人の一人です。が、あぁ、メディアの扱いは小さい。

②NHK大減収 ~紅白よどこへ~

 NHKの紅白の見直しとか。結論、良いことです。年寄が見ると、若い人の出演ばかりで面白くない。その反対もまた然り。たんに金喰い虫だ。オリンピックも消えそうだし、この際、1964年あたりの再放から流し当時の方でまだ健在な方を招いたら。費用は10の1、否、何十分の1で済むよ。

③国民民主 ~分党だとか。いいね。~

 国民と立民の話し合い決裂。それで国民の何人か、もっと多くが立民へだとか。理由は「より大きなかなたまりへ行きたい」。 ン? 何回も聞いた話です。でも大きなかたまりって寄り合い所帯、主義主張がバラバラ。民主ができたときも、希望ができたときもそうでした。結局、すぐパーかも。出ていく人は何回失敗すれば気がつくのか。この際、国民民主は小なりといえど、頑張ればいい。そもそも50億円も余裕があるし。そして、原点「国民民主」を見つめよう。その国民の声のアンケートを読み返そう。その結果は言っている、国土・日本の伝統文化はしっかり守ってネ。利権体質、大企業優先はダメ、政治とは福祉、まず暮らしを守ることです。むろん何でも反対の、代案なしの、ブーメラン党の立民はさらにペケ。そう、それを教えてくれたのが、先の李登輝さん。そしてかれは成功、国民民主、初めは小なりと言え、隠れ支持者は膨大です。ぶれず、迷わず、一歩ずつ、胸をはって頑張ってネ。自民と競い合ってネ。

④ふるさと納税 ~今がチャンス?~

 愛川のふるさと納税、昨年で見ると収入は県下の底辺のレベルです。清川村より少ないし、ざっぱに多いところの10分の1、100分の1かも。そこへもってきて今年はコロナ禍で町は大出費です。そこで思うのがふるさと納税、そもそもその趣旨は、ふるさとを思う人の寄付行為です。過剰な返礼品を餌に金お集める行為ではありません。その意味でコロナ禍はふるさとを思う人に訴えるチャンスです。あぁ、なぜ訴えないのかなぁ。(えっ、町を思う方がいなかったりするだろって、まさか、わが町は愛甲郡愛川町、愛愛が二つある町。町民への愛と町民からの愛のあるふるさと納税のラブラブ作戦あったらなぁ)

⑤マスクで分かる ~人柄がネ~

 マスクは息苦しく苦手です。自分の車の中では着けません。車を降りるときつい‟忘れる”と、言われる。「染るだろ、こら」。ぶすっと「マ・ス・ク」。自分の口元を指し「忘れているよ」。「ごめん、マスク着けてネ」。ニコニコと「マスクお願い」。「あらないの、あげるわよ」。「私もつい忘れるの、これ」。「もしかしてマスク・アレルギー?」。とにかく、まぁ、人の反応は千差万別。攻撃的から相手への思いやりまで、その一言で印象をよくしたり、悪くしたり。言葉や仕草ってもしや人柄、それとも魂か。魂は鬼が言うと書くけれど、言葉とか仕草とかは、心に住んでいる何かがさせるものなのでしょうか。だとすると怖い、このごろ。つい余裕を失って、こころの鬼が活動しないよう、気をつけている次第です。

 

9月議会は ~共生社会と数学~

①共生社会 やまゆり園の問題以来「共に生きる社会」が叫ばれています。しかし、かつて精神科の世話になった者として、その経験からその方面のボランティアを続けている者として、行政へ解決へのヒントを提示していきます。

 ②「数学」 3月に総論的に「学校の授業」の課題を扱う予定でしたが、例のコロナ禍で取り止め。そこで今回はいきなり各論で、その一回目に数学を扱います。中学校の数学はほぼビリケツ、学習塾で30年以上授業をしてきた者として、授業の改善を迫ります。

残土埋立て② ~えっ、また三増?~

 三増区峰の話で、埋立てといっても低い農地への盛土とか。問題は、その残土が農業に不向きらしいこと。民間対民間のトラブルとも言えます。少し調べると農地に適した残土の盛土も少なくない。ということは情報の問題とも言えそう。ぜひ情報をお持ちの方の一報を!

 

残土埋立て① ~その後は~

 6月議会で、愛川に被害が及ぶかもの津久井農場の巨大埋立てを取り上げたのはご存知のとおりです。が、中には「なぜ愛川の事業ではないのに」のご批判も。ところが7月の半原公民館での講演会では、直前まで大雨でしたが、スタッフをいれ80人弱の方がみえました。この手の勉強会としては大成功、ほっとしました。

2020年8月21日金曜日

コロナに想う ~迷走する理由は~

 感染者は減りません。というより増えています。対策が後手だからです。なぜ後手なのか、対策が迷走するのか。そのプロセスをふり返ると、原因が見えてきます。ぼくは1月下旬からブログその他で発信していますが、ほぼ時系列でふり返ります。 

・客船隔離 ぼくは船に客を閉じ込めたとき、「ウイルスの培養だ」と発信していますが、国が気がつくのは感染者がかなり増えてからのずっと後、メディアも増加は伝えましたが、隔離の必要は伝えません。

・3密騒ぎ 国よりメディアが騒いだが、たとえばソーシャルディスタンスについてバラバラで50㎝から3mまで大声でよく喋るアメリカ人と日本人は違うのに。その頃、ぼくの訴える電車の吊り革、エスカレータ―の手摺り、コンビニの入口のノブなどメディアは気にしてません。国の基準や指定はずっと後で、未だに杜撰です。

 ・マスク不足 ぼくは、マスク不足が始まると調査しました。なんと町内のマスクは大方が中国製で、粗悪品もかなりです。メディアも不足を騒いでいましたが、製品の質は報道しません。国の対応は、不足がなくなってからです。

・感染者数報道 ぼくは毎日、新聞の数字を見ていて、その不自然な動きを知りました。そこで、保健所を調査しました。なんと保健所は報告にあがってくるものだけをカウントするところもあります。しかも(今も)加算方式ですから、その中にすでに感染者でない方も含みます。これでは実態が見えません。それを訴えたことがあります。黒岩県政は反応し、報告の仕方を改善しましたが、完全ではありません。ぼくたちは実態でない数字に振り回されています。メディアはただ不安だけを煽っているのです。国はおろおろ。。

・給付金騒動 コロナで収入の減る人、なくなる人の続出です。ぼくも「困っている人に給付を」と叫び続けてきました。でも、それは‟困った方”に届いたか、例えば、三人の子供を抱えるお母さんに、テントに住む方に、フリーターやネットカフェで暮らす方に。一律の10万円を手にした方はいるかもだ。無税者や住所のない方には何もありません。でも、その結果が、例えば風俗で働く方のクラスター騒ぎです。子供を抱えて働くなと言われても無理です。キャバクラ問題は給付金問題です。誰も気づいてくれないけど。

・薬品問題 コロナが始まるとワクチンが話題になりました。しかしワクチンはないので、アビガン他10いくつかの代用薬の名が挙がっては消えていきました。名が出るのはそれなりに効果がある訳だけど、やがて効果が疑われ、やがて副作用も話題になり、消えていきました。ぼくはその過程で、「まずは効能の検証を」と訴えたこともあります。そのとき「効果があると言ったり、ないと言ったり」どっちなのと思い、調べ、気がつきました。例えばある薬はフランス人に効くけどアメリカ人に無効。その逆もあります。その意味は、アメリカ人とフランス人の体質の違いか、それとも米仏でかかるコロナそのものが違うのか。コロナに色んな種類があるのが分かったのはだいぶ経ってからですが、国もあまりそれを認識していません。

(大切なので余談です。フィリピンは中国のワクチン開発を期待し、領土問題に目をつぶっています。開発したのが武漢型用のワクチンだったらどうするのでしょうか。日本は日本人向きの開発を願います。)

・公民館問題 この頃、公民館の規制がゆるんでいますが、その基準が不明です。たとえば、ある公民館では、詩吟の活動はできますが囲碁・将棋はできません。理由は「詩吟は対面じゃないけど、囲碁・将棋は違う」からとのこと。待ってください。感染原因の第一は人の声です。だから詩吟は知りませんが、カラオケで染った人はいます。まして詩吟は腹から大きな声を出します。一方、囲碁・将棋です。またの名を手談とも言います。文字のとおり手で語るゲームだからです。声を出さないゲームだからです。そのせいか碁席で感染した人をぼくは知りません。言いたいのは、いまだ肝心のなぜ染るかが整理されていないということです。

キリがないので止すけど、もう誰もが気がつくと思う。結局、肝心のコロナの正体はほぼ未解明のままで特効薬はつくれない。コロナの染り方さえ正確に見えていない。頼りは数字だけだが、その数字が怪しい。ぼくには統計を見るとき、客観的に直すクセ(例えば、人口比に換算するとか、治った人を除外するその他のクセ)があるが、行政やメディアにその習慣がない。コロナの正体不明の中で、数字それも根拠不明の感染者数の増加ばかり強調すれば、政府の対応がずさんになり、国民がパニック(ぼくはそれを判断力の無力化と訳す)になるでしょう。

そして、その‟パニック症”の証拠がPCRの増強やGOTOトラベルなどの政策だろうか。

 ・愚策PCR まず誤診がある。陽性を陰性と判断すればウイルスをバラまく。陰性を陽性と判断する場合も困る。検査で分かった人はもともと元気、つまり抗体ができていた場合が多い。しかし、ぼくの心配はそこにない。PCR検査するほどに感染者を増やす、つまり流行の実態が見えなくなるだけでなく、‟パニック”をさらに加速する。ただでさえ医師不足の現場を崩壊しかねない。そこで一番いけないのは何か?当たり前だが、抗体はウイルスの刺激でできる。コロナでなくとも(擬似)抗体はできる。コロナの抗体ができる。ただし、抗体は時間と共にウイルスが弱くなるのにつれ、弱まる。その人は再感染するかもしれないが、心配ない。その抗体はいよいよ本物になる(それをブースター効果という)。コロナが一時かなり減ったのはそのためだ。日本人が集団抗体状態になったのでしょう。ぼくは、その意味で、コロナ対策では一定の放置も必要だと思う。だから欧米ではPCR検査を徹底していない。まして弱毒性のコロナの日本に徹底の必要はない。それは集団抗体をつくる機会を奪う。冷静に見よう。人口比でみると日本人の感染者は少ない。死亡率も人口比で見よう。これらは極端に少ない。日本においては癌や肺炎や糖尿病や血管の病気のほうが怖い。PCR検査の徹底だなんて、パニックになるだけ。

・愚策GOTO コロナで観光不振だからGOTOトラベルとか。まったく理解できない。ステイホームがコロナの予防策ならGOTOがコロナ振興策なのは子どもでも分かる。だから地方の観光業者も「来ないで」と言っている。国は何を血迷っているのか。パニクっている。これはコロナ対策と裏腹です。コロナではなく、観光収入が心配なら、純粋に経済支援ですむ話。GOTOなんて言うな。国もここまでパニックか。もう書くのもアホらしい。

結局、国がアホでそれをたれ流すメディアもアホ。いや、メディアがアホなのか。にしても、つい過日の読売新聞の報道した7大コロナ対策はひどすぎだ。裏付けを取らないで記事を書き、自分で自分の記事でパニックになっている、この頃のメディアの体質のシンボルかもしれない。最後に、その7大対策を掲げます。考えるヒント(資料)をあれこれ書いてきたので、どこがおかしいか自分で見つけてください。コロナ対策が書いていないのを。

 ①感染症対策不在から脱せよ、PCR検査を1日10万件に

 ②コロナ不況脱却に全力を、資本注入にためらわず大胆に

 ③首相直属の本部を設けよ、感染防止と経済再生の両立を

 ④国は地方任せにするな、国による手厚い財政支援

 ⑤休校でも学習機会の確保を、オンライン環境の普及を急げ

 ⑥国際協調の機運を取り戻せ、WHOの改革日本が主導を

 ⑦コロナ差別を許さない風潮を、啓発運動や救済制度の充実を

 チクショー、①から④は経済の話だし、⑤から⑦は、コロナ禍でなくとも必要な話だ。ちなみにWHOについては、例の中国忖度が頭にあるのだろうが、そこの医師たちのパトロンが製薬会社の意向で働くのが最大のネックです。そして⑦のコロナ差別は、共生社会の問題だが、啓発するのは、読売さん、まずあなたの仕事でしょう。

 七大対策はさておき、ぼくたちは、すでに第2波に入っていることを自覚し、日本型コロナは強悪でないのも自覚し、ステイホームとマスクや手洗いで乗りきれるのも自覚し、粛々といきましょう。それで乗り切れると思います。図に乗ったり、パニックったりしなければ、以上がぼくの思いです。

 

 

 

 

   

2020年8月19日水曜日

さまよう8月 ~九条問題よりも~

 以前にも発信していますが、終戦記念日が過ぎたので改めて、です。  8月になると毎年きっと思い出す学生時代の友だちが二人います。まずA君。広島生まれで、原爆で父を亡くしています。母から戦争の悲惨を聴いて育っています。だから、彼は絶対平和主義者です。むろん、彼は「九条を守ろう」派です。彼の訴えの気持ちはよく分かります。次にB君。父を戦地で失っていますが、彼のおじさん、終戦をインドネシアでむかえ、その後は残留し、インドネシアの独立のため戦っていました。だから彼はあの戦争をアジア独立解放戦争と位置づけています。A君があの戦争を侵略戦争と呼ぶのが許せません。父の死が犯罪になり、名誉が傷つきます。この気持ちも分かります。  しかし、そんな二人にも共通点があります。戦争というのは、勝っても負けても、被害者かつ加害者になります。だから二人は、むろんぼくも戦争が嫌いです。だから戦後、すぐに国連ができたとき、ぼくらはどれほど期待したでしょう。ご存知、国連は二度と戦争をおこさないための機関です。ぼくらはそう教えられていました。  だが、その期待はすぐ裏切られました。朝鮮戦争がありました。当時は、期待が大きかっただけに、国連は何をしているのか?とメディアに騒がれたりしました。が、どうでしょう。それから50年、60年、ずっと国際紛争は続いています。でもメディアは騒ぎません。終戦記念日になっても、国連の無力など誰も気にしません。国連が機能していれば、九条なぞあってもなくても済むものを。中国の侵略も、アメリカの核の保護も要らないのを。新冷戦などないものを!  終戦記念日のある8月、それはぼくがひとり国連を考える月です。二度と戦争をおこさない国連憲章を読み返す月です。そして「二度と戦争をおこさない」と言えば、国際連合の目的も同じだが、失敗したなぁと思い出し、やがてはなぜ失敗したんだ、と思い、またやがて、そういえばどちらも戦勝国が自分だちの都合でつくった機関だったからなぁ。毎年、ぼくは無力感に陥るのでありました。

2020年7月13日月曜日

活動報告書 Jul/14/2020 何んだか町民に気がひけた

 6月議会が終わったが、気分はうつ、うつ、梅雨空のせいかコロナの影響か。いや、意欲の問題かもしれない。
 なにぶん実質の議会日は3日のみです。一般質問は議場に3人ずつの交代制かつ時間の短縮、傍聴者に遠慮を願う愛川方式でありました。念のためこの原稿書きの、時点で、12議会を傍聴したけど、そんなところはありません。ちなみに多くは半数ずつの交代制や質問時間の短縮はあったけど、そのぶん日数を増やします。傍聴者の制限はHPとちがい、なし。そして一般質問といえば大方は「コロナ対策を問う」であり、愛川みたいに「町にお任せ」ムードはなしでした。ぼくが気のひけた理由です。
 さて、そうした中での一般質問は9人で、ぼくは、下手すると川北地区に大きな被害のでる長竹の盛土造成を取りあげました。トラブルの元は住民に納得のできない業者の説明会などです。公平感につとめましたが、やゝ住民の肩をもちすぎだったかも。いずれにしろ愛川の町民の生命にも関わるので、まずぼくは事業の中身と実態を知ることが大切。そこで町長に公平な説明会の開催を要望しましたが、どうなるか、気にしているとこです。
 6月で気になるのはあと一つ。議会が終るときっとある反省会です。反省は個人または団体が自ら言動をかえりみることですが、愛川ではいきなり個人は俎上にあがり、「○○議員のあの言動は何ですか」みたいに口撃されます。誉めるは人前、貶すはこっそりと習ってきたのでハラハラ、何かイジメに近い。
 議会の反省会は全員にかかわるテーマでありたい。6月議会は超簡略化議会だったけど、町民の代弁者としてそれでよかったか、とか。
 ついつい、そっちへ頭がいってしまうぼくでした。何か変。ぼくは建設的が好きです。
●一般質問  ~ コロナ関係は1件 ~
 6月の一般質問は、3月はスキップしたので久々です。9人が質問したがコロナ関係が1件のみが特色かも。しかも町長のコロナ対策の説明会に質問時間がなかったので、議会は町に一任の形です。町民はどう思うだろう。
 以下、一般質問者とその項目です。
【茅 孝之】…新型コロナ拡大防止策  【岸上敦子】…子どもの安全対策
【阿部隆之】…河川敷の有効活用
【小林敬子】…教育行政、木造住宅の耐震診断と耐震化、
                ゴミの減量化と生ごみ堆肥化
【鈴木信一】…津久井農場計画、災害から町民の生命と財産を守る取り組み
【井出一己】…プラごみなどの回収と削減
【佐藤りえ】…SDGsの取り組み状況
【熊坂崇徳】…災害時の消防活動    【玉利 優】…隣接地の盛土造成
●えっ、三増でも?  ~ 話せば分かるよ ~
 鈴木議員とぼくで盛土造成の危険を訴えたが、今度は6月の中頃から三増辺りに「塗装工場建設反対」の立札が散見です。訊けば「公害産業だ」とか「工場主は町長の身内」だとか、ちょっとした噂でありました。
 そこで少し調べたが、県の環境条例では塗装工場には環境影響評価の義務はなさそう。さらに調べると、トラブルはあったが、すぐ解決した例が1件、話合いで解決でした。
 そのうち三増の噂は業者の説明会で中身が見えだす。よい方向へいきますように。
●総括質疑  ~ 2件だけだったけど ~
 質疑対策の町提出議案は条例1件、補正予算1件のつごう2件です。
 まずは条例ですが、国の法改正にともなう愛川町手数料条例の一部改正。マイナンバーの通知カードがなくなったためということだが町民には分りにくいよネ。ふつう法改正によるものはノーチェックだけど、渡辺代表は町民を代弁して訊いていました。
 つぎは補正予算ですが、メインは小学校の情報機器の購入費、オンライン授業が増える折から重要。代表と鈴木議員で多角的にチェックし、意気込みを見せてくれました。2件でしたが質疑の重要性が伝わり、グッドです。
●議会改革  ~ 町民目線でありたいが ~
 議会改革は、大きなものは改革検討委員会、それ以外は議運(議会運営委員会)といった感じで進めています。
 まず改革委員会ですが、いまはタブレットの導入についてはほぼ順調に議論中。
議員の定数や報酬の見返しについてはもたつきがち。事業評価は検討の入口段階レベルでしょうか。
 議運関係では1つ決まり、6月議会の一般質問から議長が議員を毎回まるで囚人みたいに番号で指名することはなくなりました。まずは改革の第一号でありました。
 やっかいなのが定数と議員報酬。もとは議員のなり手不足。政策力のある若者を入れるには報酬をUPし、その分、定数を減らそう、が一般論でしょうか。が、現実はどうか、給料も定数も今までどおりでいいじゃん、が議員の大方かも。それだと改革は永遠に無理。
 思いおこしてほしい。なぜ定数や報酬は第三者が決めるか、議員に任せれば改革できないからです。
 ともあれ、改革とは自分の都合を捨て、立派な人材を町に呼びこむこととぼくは思う。
 そろそろ肝をくくろうよ。
●反省会  ~ どうせするなら美しく ~
 一面でもふれたが、「反省会」が常態化している。人を責める気持ちは分かる。議員も人の子だし、時には不適切な言動もあるでしょう。だからと言って、多くの面前で個人を口撃するのはいかがか。中にはそっと本人に注意すれば済むことも、こちらの勘ちがいもある。そもそも個人口撃は美しくない。
 どうしても反省会をするなら、建設的な全体のテーマを扱ってもらいたい。
 コロナ禍の折だったではないか。コロナ対策は町に一任でよかったか。注文を出さなくてよかったか。一般質問のコロナ関係が一件だけでよかったか。議員活動が自粛ムードでよかったか。そして町民の代弁者のぼくたちが「多忙な職員を配慮した」と町民に胸をはれるのか。コロナ禍で一ばん苦しいのは税も払えない低額所得者だが、かれらに一律10万円以外の支援は何もない。それでよかったか。
 たとえばそうした方たちを想うとき、ぼくは職員を忖度していたとは言えない。だから毎日、ゴメンネと反省しきりでありました。町民忖度がぼくの仕事なのですから。

●ミニノート

●3月の議会の一般質問は中止だし、以降コロナでステイ・ホーム状態の町議も少なくない。そのため「議会はどうなっているの」と訊かれる。6月議会の報告はブログで済ます予定でしたがペーパー版もだすはめに。よろしくネ。
●ちなみに2,3ヶ月のぼくの行動です。1ばん増えたのが読書で月に5,6冊、次が他市町の議会傍聴で6月末までに17ヶ所、それから道路のゴミ拾いと花植など。あとコロナ貧困か相談を受けることも増加。多忙でありました。
●さて1面、他市町の議会を傍聴したせいか、コロナ対策で多忙な職員を配慮するもよいけど、その過度が気になりました。6月24日には、コロナ困窮で自殺未遂が出ました。支援対象外の無税者への支援も訴えず、自責です。
●そうした中で痛感するのは何か、ぼくたちは町民の代弁をするために議員になったのではないか。職員を思うのも大切だけど、まず町民を思わず仕事できるの?そんな頭で、しっかり町の事業をチェックできるだろうか。
●2面です。ぼくたちはものごとの白黒をつけるのが好き、分かりやすいし。しかし現実には白黒つけられないもの、まず事実を知るべきものが大半です。その1つが盛土埋立て問題です。町民がどれだけ分かってくれただろうか。
●その事実を知るべき問題が、三増の塗装工場です。24日に説明会があり、記録を読んだら見識の高さにビックリ。三増は廃棄物処理場の多い地区です。日頃のそうした悩みや苦労が、かれらの民度を高めたのでしょうか。
●せっかくの見識の高さです。この機会に町に環境影響評価条例の制定も要望したらどうでしょう。抑止力になります。幸い町長も三増の出身です。分かってくれるでしょう。一つひとつ解決だと住民の負担が大変だとぼくは思うので、ぜひ。
●3面ですが、愛川町は定数16人、報酬は税引で月額27、4万円。全国でみると、平均は13人ほど。報酬はふつう、というか、それだと生活できないので、地元の年輩者や、資産家の息子たちが中心、むかしのまま、つまり働く人には少なすぎ、働かない人には多すぎか。ちなみに40代の有能な知人は月給50ン万円+諸手当。かれが町議を望むわけがない。なお愛川の政務活動費は月に1万円だが、ぼくは5万円は使う。見直すべき問題ですネ。

つぶやき

 もしコロナの発生を記録してきた人なら、きっと思う。6月の終わりころからコロナは第二波に突入です。なぜ国や県はふれないのだろう。誠意的な思惑だろうか。 

今回のイチオシは ~ファクトフルネス~

 「ファクトフルネス」はいま売れている本ですが、それを奨めている訳ではありません。ご存知、この本は「ぼくたちはいかに事実でないことにふり回されているか」を書いた本ですが、じつは世の中、ウソの方が強いのです。例えば、レジ袋をやめると温暖化対策に役立つ、とか。まぁ、それについてはそのうちふれますが、今回は事実の本2冊です。
 一冊目は、『地方議員は必要か』(文藝春秋)です。中身は3万2千人の議員のアンケートを分析した本です。読むとそれなりに議員がまじめでやる気があるのが分かります。でも地方議会はよくなりません。なぜか。事実は、じつは「自分はまじめでやる気がある」と思っている方の多くも大したことがない。それがよく分かります。ついでにその人たちを選んでいる人も大したことがない。その事実も分かります。是非一読を。
 二冊目は、『発達障害のウソ』(扶桑社新書)です。著者は精神医療現場でおこる人権問題の研究家ですが、かれは、発達障害の6.5%はウソ、チェックリストはウソ、精神科医の診断はウソ、と怒っています。発達障害や精神病の方の相手10ン年のぼくには分かります。そうした方の症状は人の数だけあるわけだから、分析・分類するほど病人や障碍者は増えるだけ。そもそもクスリは症状を抑えるだけで病気を治しません。医療の発達って何なの。
 ラオス、ミャンマー、ベトナムの僻地の学校や施設を明るくと思います。現地の先生や施設の職員は胸をはります。「わが国には幸い障碍児はいません。少し変わった子、勉強の苦手な子はいるけど。病名がないので本人に劣等感はありません。できの悪い子にもそれなりに仕事があり、自立できます」。かれらと日本の子とどっちが幸せか。改めて考えさせられる本でした。是非是非一読を。
 といっても、読む人はすでに読んでいるし、読まない人はすすめても読まないか、自分は事実を知っていると思うから。グスンですネ。


 

2020年7月11日土曜日

百合子圧勝に思う。~キーワードは毅然か~

 都知事選は小池百合子圧勝で終わりました。ただの圧勝ではありません。以前対立していて今回はすりよってきた自民の推薦をけって圧勝です。衆院選ではふられた小池に噛みついて勝利の立民の超低迷で圧勝です。7大公約のほぼ実現なしとコロナ対策の成果なしで圧勝です。国民は自主投票の半端政策で圧勝です。れいわだとか、ましてN国などただの目立ちたがりのせいで圧勝です。そうした政策だとか政策もどきとか、作戦とか小手先口先に都民はうんざりで圧勝です。かくいう都民も「差別はいけない」と喚いていた自分を裏切って圧勝です。人それぞれが右往左往に飽きたのでしょううか。今回は小沢の「お」の字も出なかった事だけがぼくの救いです。
 国民は、与党の愛国思想は評価し、弱者軽視は買いません。野党の暮らしを守るを評価し、中国・韓国寄りを評価しません。与野党のいいとこ取りが真の国民民主と思うけど、政党の国民民主は今回もふらふらしていました。
 でも、ぼくは今だ、小池さんと国民民主の結びついた「希望」にいるのです。これを機会に、その再来はないかなぁ、望みはかすかなんだけど。

ドクダミ散策

 虚弱児だったぼくには6月は皮膚病のシーズン。オデキだらけでした。が、同じ時期に満開のドクダミは薬草です。母はドクダミを煮詰め、その汁で体をふいてくれました。しかし効果はいま一つです。それで今度はドクダミ茶にして服まされるとオデキが消えました。小学校4、5年生の頃です。
 中学校は杉並区の神明中学でしたが、進学校で有名でしたが、ぼくには最悪でした。できの悪い子は相手にされません。授業中はやることがありません。よく教科書に落書きしたり、辞書を引いたりしてました。そこである日ドクダミを調べるとドクは「毒」でなく「蕺」で、山の名前です。蕺草(シュウソウ)と書くのです。
 高校は、一転して当時は底辺校で悪名の日大鶴ケ丘です。今度は授業が簡単すぎてすることがありません。そこで、ある日、なぜ蕺草をドクダミと読むのか調べてみました。すると、ドクダミというのは日本語で、諸説ありますが、どうやらドクダミの解毒作用があるのでドクダメから来ているのです。語源は音と訓から調べないととはじめて知りました。ちなみに「木」は漢字的にはキと読めません。古代の日本人には木は「気」を発するものの代表だったのでしょうか。ぼくたちは森へいくと癒されますが、それも気のおかげです。では「気」とは何か。その正体は香気です。とくにヒノキやカツラの香りに鎮静作用があると分かったのは近年のことだけど。
 大学に入ると英語屋になりました。たとえばハッピネスと幸福とは同じか、に興味を持ちました。以後、漢字、日本語、英語、ラテン語の語源から言葉を考えるのが趣味です。
 なお、話をもどして、ドクダミはハンゲショウ科で仲間です。ともに白い花びらはじつは花ではなく、ともに根で増えるのも同じです。そして、ともに最高の茶室の花とされるのは、ともに心を落ち着かせてくれるからでしょう。
 

2020年5月25日月曜日

・お知らせ

・6月4日一般質問「津久井農場残土埋立」(コロナの関係で一項目に自粛です)

・5月1日 町は「観光・産業連携拠点づくり」の事業を発表。(争点だった半原水源地の歴史にふれていないので、ぼくは地元の雑誌「やまゆり」に歴史を書きました)

マーガレットの戒め

 フェイスブックに庭に咲き乱れるマーガレットの写真を載せました。美しいからだけでなく・・・。
 明治18年、祖父喜造は29歳で国にアメリカ留学を命じられています。その折、いろいろな農産物を持ちかえっている。中に一袋のマーガレットの種を入れておいたそうな。
 それに除虫菊の名を付けたのも喜造らしいが、こちら蚊取り線香として世に知られる。また一部はマーガレットの名のまま皇室の庭園(今の新宿御苑)に供されるが、美しさで全国は広まったと聞く。
 さて、その29歳という年齢です。祖父は19の時、西南戦争直前のとき西郷隆盛に出会い、「おはんは農業発展のため江戸へいくがよか」と肩をおされ東京へ向かう。24で帝大(東大)の最初の卒業生、27歳で新渡戸稲造とともに農学博士一号取得、それから2年して、褒美か期待か知らないが、シカゴへの留学を命じられてます。西郷と出会い10年後となります。
 もちろん、自慢ではなく、むしろ自時です。じいさんに較べぼくは情けなさすぎ。なにしろ19歳は受験浪人中。弁解すれば、病弱と低能児と貧乏人の枠のぼくは、17ではじめてイジメにあわなくなり、19が受験勉強の出発点。
 が、あとがいけない。24歳までは好奇心が強いから雑学の日々。社会に出ると、チコちゃんみたいな「えっ、そうだったの」式の話をつまみに酒と女に明けくれ、瞬く間の10年でありました。祖父とは大違い。
 だからマーガレットが咲きほこる度に思います。失った10年は戻れない。いまさら好奇心は変わらない。ならば雑知識を役立てる手はないものか。ともあれ、ぼくの雑学は劣等感の裏返しだったのです。

今月は『アジア近現代史』川島博之を!

 コロナの折、読書しかないと思うけど、終息すればたぶん夏。きっと恒例でメディアは‟あの戦争”の話題です。でも、記事といえば8割が侵略戦争史観か、残りが解放史観で困ってしまう。ぼくも著者と同じに、50代の終わりからベトナム、ラオス、ミャンマー、インドネシア、フィリピンほかの僻地を歩きまわってきました。そこでいつも思うのは、日本の報道って、どこか変。調べれば調べるほどおかしい。そう考じている折、出たのがこの『アジア近現代史』です。きっと目からウロコの‟あの戦争”になるでしょう。ぜひ一読を!
 なお、コロナといえば、今企業は中国はもちろん韓国から手をひき、南アジアへシフトしだしました。でもぼくも見てきました。その国の民族性はむろん、それぞれの国の‟あの戦争観”を知らないことによるトラブルのいかに多かったことか。当時はエコノミックアニマルと呼ばれたりして。その意味でもこの本を是非。

フェイスブックって何なの?

 スマホを始めて半年になります。すると、事前に耳にしていたとおり、来るはくるは、毎日沢山の「お友達リクエスト」です。でも困った、そのリクエストで分かるのは、名前、住んでいる地域、たまに年齢や学歴などで、相手がどんな方なのかさっぱり不明。添えられている写真は、顔以外は風景、花、ペットや料理が大半。これって何なの。いよいよ分からない。
 で、若い人に訊いてみた。「いいのよ、それで。友だちの数を競うゲームみないなものだから」とか。えっ、えっ、えっ。もしかすると「友だちリクエスト」は承認欲求かゲームみたいなものなのか。う~ん、ついていけない。
 ちなみにぼくの場合、先日『熱源』で直木賞をとった川越さんと似てるかも。彼はたまたま北海道のアイヌ民族館でビウスツキというポーランド人の胸像を見かけ、なんでここにポーランド人がいるんだ、そこで調べてみたらいろいろおもしろく、それをまとめたら『熱源』という小説になったという。そう知らないことを知るのは楽しい。
 ぼくも同じ。3歳のときチンドン屋について行き、知らない街を歩いては迷子になった。それでも好奇心はとまらない。むしろ大人になると❛病気❜が高じ、何でも知りたい病で、何でも調べる病。ちなみにコロナでいえば20冊以上の色んな本を読み、必要があれば色んな関係者、看護士、危機管理室や保健所の人とも会った。調べるほどテレビや新聞の誤報が見えてきて、止まらなくなるのだ。
 もうお分かりでしょう。ぼくがフェイスブックをやる訳を。人は、誰しもその人しか知らない体験があるし、だから知ってもらいたい、共感してほしい生きものだと思う。それゆえ、ぼくは発信している。なのにリアクションが名前とか住んでいる所とか、ぼくはきみの熱源を知りたい。どうすればいいんだ。テーマなんて堅苦しくとも柔らかくとも、社会問題でも下ネタ風でも気にしない。オリジナルなら。話してくれる人はどこにいる?

2020年5月5日火曜日

・お知らせとお詫び

 スマホは超苦手と書いたが、返信しようとすれば98%ほどは送信ミス、または送信不能。ごめんなさい。そこで、取りあえずここで3人にご連絡。

①S・Kさん。ぼくのスマホに赤いスーツにマスク顔が載っていました。顔が分からないけど、もしや8年会っていないSさんかな。ずっと気にしています。良ければ連絡を!

②本居宣長、吉田松陰、三島由紀夫など、ぼくと読書傾向が似た方がいます。ちなみにぼくの兄は三島さんにボディビルを教えた人。父は彼に剣道をやらせた人で、ともにかれの小説のモデルです。良ければ一度ご連絡を!

➂伊勢原の方で夫と死別したHさん、一般質問も2度傍聴したことがありますが、ぼくも妻とは死別です。良ければ連絡を!

わが読書~今月のお奨めは~

①『「スマホ」という病』
  精神科医の浅川雅晴さんの本です。スマホが初心者で超苦手なのでくやし紛れに読んでみたというのが正直だけど、大変ためになった。タイトルはスマホだけど、中身はテクノストレス問題、コロナで学校のITの活用がいよいよ重視されてるけど、そこにどんな危険がひそむかよく分かります。

②『82年生まれ、キム・ジョン』
 韓国のチョ・ナムジュがが書き、韓国で瞬く間に100万冊売れた本。日本人は新聞報道のせいもあり、基本的に韓国嫌い。つい、ふつうの韓国人にも偏見をもつ。が、が、が、この本を読むと考えさせられ、かれらに同情したくもなるでしょう。

コロナに想う(4)

① Q.コロナ感染の多いおり、議員報酬のカットを決めました。そのぶんでマスクを寄付したいが、できますか?
  
   A.この頃、耳にします。中には寄付は公選法に反すると、取りやめたところもあるようです。何かの勘違いでしょう。公選法が禁止しているのは議員個人が、選挙区民や後援会などに寄付する行為です。たとえば全員協議会などで議員報酬をカットすればどうなるか。その分は一般財源としてくり入れられ、コロナ対策費として使われることになります。その使途のふり分けは自治体が行います。その時点で、議員個人も選挙区も存在しません。そうしたことは3・11以来よくある例で、何も問題ありません。議員報酬を住民のために使う―とてもよいことです。

②「差別だ」という差別
 コロナのの拡大でバイトもできず、生活の苦しい大学生も増えています。そのおり蓮舫さんは「学校辞めたら高卒になる。就職はどうなるのか」と国会で発言したという。するとSNSに「高卒をバカにしてんの」の批判が殺到したとか。
 よく分からない話です。高卒は学歴の一つです。ということは、「高卒」又は「学歴」の言葉のどちらかが差別か差別語なのだろうか。これは履歴書にもある言葉です。ぼくも書いたことがあるけど、この欄は何の為と思ったりする。それでその人が分かることはないし。
 それで思い出しました。50年もまえのことです。ソニーの社長だか会長が「学歴無用論」を書き、よく売れました。ぼくは感動し、ここに就職すると決め願書を出しましたが、送り返されます。曰く、「弊社は入社してからは学歴を問いません。文科系の人の募集はありませんので念の為」だとか何だとか。
 ぼくは全員が理系だと需要が把握できないと思い応募したのですが、案の定です。ソニーが新製品の開発に苦しみ、低迷したのはそれからしばらくしてのことでした。
 戻って、想う。言葉に差別などない。差別するのは社会です。社会が差別するから言葉が差別語になるのです。蓮舫さんの「高卒」を差別と叱った人たちは、実は自身が差別しているのです。あるいは社会が差別しているから差別と感じるようになったのです。そしてそれを謝罪した蓮舫さんも同じです。謝ったのは彼女もまた差別していたのです。ぼくなど学歴に関心がないので、そのどこが差別なのか分かりません。
 怖いのは、ただの言葉をレッテル視する社会です。差別語などというものがあり、それを使うと、「あれっ、いま差別した」と騒ぐ世の中です。先日の小池都知事のキャバ嬢発言もそうでした。差別語があると、人は単語を見るだけで、文脈を見なくなります。まして行間を読まなくなります。考えなくなります。白痴になります。「あれっ、いま小池さん、キャバ嬢とか言ったよね」、そして炎上。彼女はキャバクラなどの❝3蜜❞で働く方達のコロナを心配しただけなのに、4年前もそうでした。差別する人たちは、それまでの文脈を忘れて、知事をつき落としたのです。
 もう、ぼくたちは差別騒ぎはよそうよ。差別差別という人が、実は一番差別している人たちだから。

2020年4月24日金曜日

わが読書~今月のお薦めは~

 今月は国が❝引きこもり❞を推しているのでかなり読みました。でも、読みやすさと為になるとはふつう反比例です。で、以下に限定です。
 まず感染症関係では岩田建太郎「感染症パニックを防げ」と、ウィリアム・H・マクニールの「疫病と世界史」(訳・佐々木昭夫)、読めば確実に得るもの多しです。
 つぎは人気の脳科学者の中野信子「空気を読む脳」。分かりやすいけど、為になるかは読者しだいかも。
 そして、最高なのは本屋大賞の凪良ゆう「流浪の月」。不寛容な社会で純に自由に生きる人の困難を描いた小説です。ぼくは高校の時に「星の王子さま」を読み、絶対に大人になっても少年を続けると決意したけど・・・。いま学識を身につけ、不寛容になっている自分を再発見したりして。感動と反省の連続でした。とにかく、学識のある人、地位のある人、そしてアドバイスしてくれる人たちって、親切の押し売りで人を傷つけて生きているのだ、と実感しきりでありました。

ぼやき~マスクはどこにる~

 いよいよマスクの購入が困難となって、また困ってる方が続出です。そこで自分で大量買いし、町民に配ろうとしたけどアホを見た。
 まず2週間ほど業者に連絡したが電話がつながらない。つながっても「只今、電話が込み合っています。後程、おかけ直しください」のテープの声ばかり・・・。
 そこで20日。2軒、メーカーめぐり。愛川のドラックストアにマスクを卸している会社です。たぶん町内のマスクの半分はその二社が卸している。が、結果はやはりと言おうか。価格の高騰で仕入中止という。一社は13倍。あと一社は20倍とか。ちなみに仕入先はともに武漢。コロナを流行らせ、コロナで一稼ぎ。中国は許せん!と手をあげたが、降ろすとこがない。やはりアホなのだ。困ったなぁ。

コロナに想う(3)数字パニック止しましょう

 人は見かけが99%とかいう。その点で数字は正直かと思うがとんでもない。正確に見える分、かえって騙される。実態はどうでしょう。
 たとえば報道に見る感染者数の国別ランキングってなんなの?中国・韓国・北朝鮮の発表を真にうけるとしても意味がない。累積の総数だから意味がない。ぼくは同じ人口当りに、あるいは面積当りに換算しているが、ランキングはガラリと変わる。累積ということは、この2週間ほど発生がゼロでも、一度獲得した高ランクはなかなか消えないではないか。
 しかし、以上は国別の話で、遠いいからまだまし。問題は県別ランキングだが、少し身近な分パニックは強まる。でも、累積データであるかぎり、当てのなさは国別と同じです。データで一番大切なのは、コロナがいつ収束するかだが、ランキング報道は何も示していない。
 たとえば東京や近県などは人口が大きいから感染者は多い。それを見て「緊急事態宣言は効果なし」というなかれ。80、90、100人と増えてきたところが、101人となったら、増加ではない。増加率は1%に減ったのだ。心配なのは累計10人ほどのところが13人になるほうだ。30%も増えたのだ。ところが人は101人のところを危険視、13人のところを安全視する。表面しか見ていない。報道は増減率にしてよネ。
 そして、一番の心配は、一番身近な市町村のデータが、またぞろ累計で発表されるようになったことだろうか。2週間ほどまえ厚木市の市議が厚木保健所管内は28人、発表方法が変わってから同僚が愛川町は4人と教えてくれたが、その意味が分からない。市や町の危機管理室は県の発表を受けとるだけで、数字の裏は取ってない。それどころか、保健所さえ、発表人数の詳細(いつ入退院したか)が不明の者も含まれる。ちなみに厚木管内の6市町村には発表より感染者が少ないところが多いのです。今までは感染だけをカウントしたから仕方ない。しかし私たちはそんな数字にふり回されている。
 にしても思う。黒岩さん、どうせやるなら市町村の累積数のあとに増加数と減少数(退院数)も入れてくれまいか。でないと市町村の判断が狂いますから。
 最後にメディアへの注文。どうか不安をあおるだけの報道をよしてくれないか。それをパニック・コミュニケーションという。大切なのはパニック・マネジメントです。私たちは正しく恐れたい。

2020年4月20日月曜日

コロナに想う(2)ぼくは知らんぷりでいいのか。

 7日の緊急事態宣言から日本中がゆれている。コロナが見通せないので仕方ない、とかいう人もいるけど、それでいいのか。たしかにその終息は見通せない。しかし、一つ誰にでも分かる。来月どころか今日の暮らしさえできない人たちが激増している。
 そうした中で想う。愛川の議会は、3月議会を一般質問ほか中止で縮小したけど、職員の負担を思いやる町議も多いので、6月議会ももどうなることやら。それでいいのか。気持ちは分かるが、私たちは、職員ではなく、町民の代弁者の筈なのに。
 実際、県内には、その代弁者の役割を果たしているところも少なくない。コロナに特化して臨時会を開いたところ、行政に住民救済の提案をしたところ、自ら議員報酬カットをしたところ、マスクを購入し住民に配布したところなどなど。ぼくたちは知らんぷりでいいのか。
 問題は、なぜぼくたちの議会が❝町民不在❞でいられるかだが、情報がないのだ。3月議会でもそうであったが、県の議会には、市町村の議会の対応を一括して把握して知らせる機能がないのです。せめて地方紙にそうした報道があれば助かるけれど・・・。
 かくして思う。ぼくは、町民の窮状を見てみぬふりの自分が恥ずかしい。町に注文したいことは沢山あるけれど。

2020年4月6日月曜日

●ウイルスに振りまわされて

この数ヵ月さながら世界が新型コロナ(COVID-19)に振りまわされてます。むろん愛川町も同じ。3月は学校、公民館、イベント、そして議会の一部が中止です。
 つい貧乏なぼくは思ってしまう。非正規やパートの人たちはどうなってしまうのか。中には明日にも暮らせない人がいる。あと、一つ。咳をしただけで白い目でにらむ不寛容な世の中です。喘息の子はいじめられないかなあ。
 いったいコロナの正体って何。科学誌や文藝春秋の特集や「感染症パニック」などを読んでみましたが、正体も対策も推測ではないか。分かったのはコロナはギリシャ語で、意味は王冠。そこから太陽の周りの炎をコロナと名付けたことくらいです。思えばWHOの判断もはじめは中国への忖度の憶測でした。中国といえば、私たちは大むかし「天が落ちてくる」と騒いだ人たちと変わっていません。右往左往のパニックだけはやめましょう。

●かくして3月議会は ~異常か正常か~

3月は予算議会です。一年で一ばん忙しい。そこへ正体不明のコロナ騒ぎです。議事日程をどうするかで議会もすこし揉めましたが、愛川は、一般質問と代表質問も中止、会期の3日短縮と決めました。ぼくは中止反対派でしたが、はたしてそれで良かったか。中止を勇断とか慎重と見るむきもあります。ちなみに議会後に県下の判断を調べると、8割ほどの議会が通常通りありました。
 さて、こんなときぼくは何をすべきか。せめてやれる予算審議に全力投球する他はありません。いや、多くの議員の思いも同じだったでしょう。審議は過去になく熱くなりました。あとは会期中ずっと、なんとか子どもたちを学校に通わせ、親の負担を軽くする手段はないか、そればっかり考えていました。愛川は専門家会議のいう非危険地帯ですから。

●幻の一般質問 ~川北区は安全か~

愛川の一般質問も中止だが、他人事でありません。ぼくの準備していた「津久井農場(埋立)造成」の問題も消えてしまった。
 その埋立は、中津川を挟み宮本区の反対側の山の裏の沢です。規模は宮本区の2/3ほどで高さは50mに及ぶ。場所は長竹区の志田峠沿いだが、何か起きたらどうなるだろう。
 ぼくも最初は相模原市内の事業だし、そもそも反対運動嫌いだし、気にもしないでいた。が、そのアセスメントの審議や公聴会(反対者の陳述)を傍聴していく中、青くなりました。結論だけ言うと、事業計画が怪しい。以前その隣接地で川昭(株)の盛土があり、その土砂が三増地区に被害を出してます。しかも今回の造成規模は川昭の盛土をはるかに上回ります。
 不安になり、勉強していく過程で埋立問題の専門家と出会い、調査をしていただきました。かれの結論ですが、「土砂が桜沢沿いに流出し、川北へ甚大な災害をもたらす」。

●環境影響評価は ~誤解されてます~

この機会にふれておきます。何か環境に悪そうな事業があると耳にする言葉に「環境アセスメント(影響評価)」があります。たとえば「アセスがあるからこの事業は安心」とか、「影響評価を受けたから大丈夫」とか、制度の意味への大きな誤解です。
 ある事業の環境への影響を評価するのは事業者自身であって第三者でありません。したがい、評価はふつう手前味噌になりやすい。
 たしかにその業者の評価を審議する人はいる。津久井農場の造成では15人の学者が審議しました。評価のここは適切でないとか再検査をとか。しかし審議に事業中止の選択肢はありません。見直しするもしないも業者の自由です。その結果、今回の場合は50項目の評価がなされ、中、
35項目に検討が求められ、審議終了となりました。審議は、業者が別の機関で認可を受けるためのアドバイスであってその終了は、全然お墨付きではないのです。


●会期は短いが  ~中身は充実かも~

コロナで質問や議場での質疑が消え、会期まで3日減ったが、たぶん負い目からか町議の意識が変化した。たとえば「議員は質疑を軽んじていると思われたくない」とか、ごく一部に緊張感を欠く者もいたけど。
 ともあれ、その結果か、町の予算への質疑項目も時間も増えました。しかもただ答弁を訊き「はい、分かりました」で終わることもほぼなし。ぼくの所管は総務建設だが、教育民生も同様のムードだったらしい。ちなみに総務建設では47項目、教育民生では65項目にわたって町の事業の予算の根拠が質されました。いままでない熱気です。
 これはコロナの禍い転じて福となるかもしれないが、今後もその線を願いたい。ぼくは、自分の立場を考えれば、常任委員会では休憩中でも答弁者側との雑談を控えてチェックする側だし。これも大切だと思う。

●動き出した議会改革 ~異常か正常か~

議会が新体制になり、そろそろ半年。その間もっとも進んだのが議会改革の気がします。
 まず各会派で何を変えたいか話し合い、つぎにその意見を検討委員会に持寄り、今は改革項目に優先順位をつけた段階にきています。ちなみにその改革目標は、検討会での項目と議運での項目に分かれるが、検討会の目標を3位まで挙げると、
①タブレット端末の導入 ②議員の定数と報酬の見直し ➂事業評価の推進と検討方法となります。
 今まで改革していないので一歩前進と喜びたい。いや、待て、議会の役割が提案とチェックだから議員の能力の向上こそが最優先項目にちがいない。その意味ではまだ道遠しです。他人事ではない。ぼくも改革委員です。民主主義は面倒だけど、頑張るのでよろしくネ。

その他

3月議会には、愛川聖苑条例や水源地の観光と産業の拠点づくりの中間報告をどう扱うか、一般質問がなくなったけど「議だより」の紙面づくりをどうするか、5月の町民との意見交換会は延期か中止か、などなど悩ましい問題が山積みとなりました。
 ぼく的には、多忙な2・3月だったのです。

●ミニ・ノート

●今回コロナも相応にふれたけど議会活動報告紙としては限界が。そこでカミュの「ペスト」が再読されている折、ぼくはブログに『感染症の日本史』もどきを書きました。好奇心のある方はそちらも覗いてみてください。
●後のブログの「咳ひとつで白い目の件」です。無関心と無知によるイジメは無限です。そこで売られているのが「この咳はうつりません」というバッチ、ぼくも着けています。おばあちゃん、孫がアレルギーならぜひ買ってあげましょう。
●議会最終日の前日、代表に「コロナ貧乏の親のため緊急提案を」と訴えたところ、翌日、町長からもろもろの対応策の話がありました。詳しくは町のHPや広報などを見てください。
●結局、県内8割の市長村に日程変更なしで横浜の女性市議は言う。コロナが怖くて変更したら、戦場にビビり、現地視察を拒否した石破元防衛相と同じでしょ。おぉ、わが町を恥入る、それこそエモい女性市議の心意気ではないか。
●後のブログの津久井農場(正しくは牧場問題)です。相模原では本村市長自身が住民の不安を傾聴。こちらは200筆の反対署名もあるが音無し。ぼくは6月の議会後❝正しく埋立てを知る会❞を呼びかけなくては、賛成か反対かではなく。
●愛川聖苑条例や観光・産業の連携拠点づくり(水源地問題)などのもたつきを匂わせましたが、共通項があります。それはともに全協(全員協議会)に「まずは賛成を」みたいに示されたことです。時代が違う。私たちは「町民に説明してから」を希っています。問題は町がそこへ気づくかです。
 なお、聖苑の条例はぼくが12月に提案しようとしていた条例と同じで、ある職員に「黒字だから」と言われ引きました。そこで賛成できなくなりました。町長は知ってたかなぁ。
●時として町議の言動が問題となります。困るのは欠席裁判みたいになることもあります。誤解や憶測もあります。感情論になり、いじめ、暴言にもなりかねません。私たちは付託を受けた言論の府の公人です。もっと大人で、紳士でやりましょう。でないとぼくもそのうちキレる。二度目の予告です。
●最後にオマケです。ぼくは時々ノラ猫を避妊しますがけっこう出資。その折、田代のローソン横にそうした方を相手の手術院ができました。格安です。困った方はそこで相談を。

2020年4月4日土曜日

つぶやき

● 3月 末日です。「四月は残酷な月です」からはじまるのはT・Sエリオットの詩だが、ぼくにとり、この3月は考えさせられたなぁ。コロナの件でない。妻をなくし25年、サリン事件25年、さきに逝った宮城まり子さんの「ねむの木学園」の子ども絵に感動したのも25年前、などなど。
 他に、3.11や議会のバタバタ、やまゆり判決などあったし。

● 一読、脈絡のない話だけど、25年まえの3月、妻はがんの末期で、掛川(静岡県)で病床にいて、サリンを悲しみながら何を思ったか呟いた。「まり子さんも近くにいるらしいよネ」。知的障碍者に関心のある妻は子どもたちの絵を見たがっていた。
 そして、ぼくはかれらの絵を見て、想った。純粋で無心な人たちの絵ってなんとすごいんだ、もしかしてピカソがアフリカの絵に感動したのと似たショックであった。うん、サリンはむろん、やまゆりはもちろん生きる価値を知らない人による大量殺生だ。無知はそれ自体が犯罪になる場合もある。

● そして3月といえば、第3土曜日、ぼくは、津久井のレストラン「風のほとり」にいて、食事をしていた。と、3人組のライブがはじまる。何、何、なんなの。曲が強引なほどぼくの心に飛びこみ、ぼくを揺する。その3人のグループ名は「トイボックス」、聞いたこともない。その筈だ、今日がライブは初公開でした。なるほど。ぼくは50年ほどまえ偶然ピンキラ(ピンキーとキラーズ)の初演奏にでくわし、そのオーラと熱さに打たれた記憶がある。「エモイ」というのはこんな場合に使うのか。ねむの木の絵も、トイボックスの3人組も、ピンキラも純粋と無心はエモかった。
 というわけで、フェイスブックにトイボックスの写真を載せました。

コロナに想う(1)「感染症の日本史」もどき

 豪華客船の感染にはじまったコロナへの関心は、その拡大とともにイタリアへ、フランスへ、スペインへと移った。その延長で、カミュの「ペスト」が再読され、ついでに若者にラテン文化論も出はじめたとか。
 気分は分かる。ぼくもかつてそうだった。カミュはサンテクジュペリやランボーに並んでよく読んだ。イタリアにコロナが流行ると、アイツらハグが好きだし、濃厚接触民族だしと思った。フランス人に増えると不倫が好きだし、そのクセに手を洗わないし、風呂嫌いだしと思い、ついでにちょい100年か150年か前までヴェルサイユ宮殿にトイレのなかったことを思いだす。うん、そういえばナポレオンも感染症(タムシ)で女にもてないので金と権力でもてることを夢みたとも言われた。
 ともあれ、そんなしだいで、黒死病(ペスト)で民族が滅びそうになった歴史はラテンにとって何回目だったかな。
 そう思う一方、また想う。ヨーロッパの感染の話もいいけれど、かくいう日本の場合はどうなのよ。わが国がウイルスで人口を減らした記録はどうなのよ。若者よ!それがあるんだなぁ。ぼくの聴きかじりだと江戸時代だけで3回。
 これは流行ではないけど、ぼくの青年時代つまり50年前だと、韓国や台湾へ観光するとついで土産(みやげ)に性病をもらってくる人はかなりいた。60年前は梅毒で鼻を落とした人をたまに見かけ、90年前は母の話しだとよく見かけ、100年前をこすと、ハンセン病(らい病)の人も多く、結核(ツベルクル)が人口減に響きそうになる。そして150年以上も前となればいろんな疫病が日本の人口を抑えていたようです。
 その証拠というか名残りはいまも日本の各地で見られます。
 まずは見落とされているほう。たとえば愛川町の八菅山(厚木市の鳶尾山)では、頂上に小さな社(やしろ)があります。厚木市荻野の古老が古老から聞いた話によれば、江戸の末期に相模にコレラが蔓延し、かかった人が生きたまま鳶尾に捨てられて、かれらの魂をなぐさめるために建てられたのがその社だ、と言う。じっさいがコレラかどうかは不明です。コレラ菌がコッホによりガンジス河で発見されたのは1800年代の末期だし、とにかく、疫病が大流行したのは事実です。
いや、若い人たちが知っていて、たぶん体験もしている古代からの疫病対策の名残りもあるのだ。正月の第二週くらいの行事、どんど焼です。そう、団子を木の枝に刺して焼き、食べるとその年は風邪にかからないという、あれ。どんど焼きの呼び方も催し方も地方によりあるいは時代により異なるけど、元は道祖神の祭りで、道祖神といえば神さまで、ふつう猿田彦。古事記や日本書紀ではアマテラスの命令で天から降りてきた(天尊降臨してきた)ニニギを案内した神さまです。だからネットでは道開きの神であり、全国の辻にあるので辻神さまとも出てきます。問題はなぜ辻にあるのか、猿田彦は。元は疫病が村落に入ってくるのを塞ぐ神で、だからサイ(又は)セイの神とも呼びました。話は戻って、どんど焼きの団子は無事な一年間のお礼にその道神さまに供えるものでした。それが、いつの間にか団子は子どもが食べて、猿田彦はそれを指をくわえて見るだけになりました。日本にもコロナがのさばるわけなのだ。
 まぁ、最後は悪い冗談として、若者よ、君たちはそんなこと知っていましたか、知っていて初詣でしましたか。
 そもそも日本の歴史は、水害と山火事とそして感染症の歴史でもありましたが、私たちの祖先に防ぐ手段はありません。ただ畏れ、祈るしか。やがて考えました。そうだ、この世は人間のものでない。月も火も水も木も・・・。いや、月火水木・・・すべては神そのものだ。たとえば台風は風の神が怒っているという具合に。もっと慎ましくしなきゃ、もっと感謝しなきゃ、祈らなきゃといった具合に。
 まぁ、雑把にそのあたりが神道のはじまりですが、それは宗教というより文化とか儀式に近いものだったかもしれません。たとえば参道を歩くとき左端をとおり神への遠慮の気持ちを高めてから手洗場で手と口を洗います。それは宗教と同時に文化だったかもしれません。ヴェルサイユにトイレがないと書いたけど、仏教の人がトイレを導入したのは奈良時代。そして神道の人がトイレをご不浄(きたないもの)と呼んでいたのはさらにむかしとか。
 手を洗う、口を注ぐ、トイレを使う。大昔の日本人は感染症対策をしていたのです。中国や韓国の人がトイレに行ってから手を洗うふりとは大違いですネ。
 長くなったけど、カミュの「ペスト」を読むのもいいんだけど、若者よ、この機に日本の文化を見直そうと迷想するのでありました。

2020年2月17日月曜日

●ぼくのスタンス②~役人に感謝するとき怒るとき~

 今回は一般質問にのぞむぼくのスタンスです。それは何がテーマかにかかわる。そこで、まづぼくのテーマの決め方ですが、優先順位でいうと、第1がいま行政が取りくんでいる政策で大きな見落としのあるもの、第2が重要なのに取りくんでないもの、となります。
 が、これは言うのは簡単で、じつはテーマを見つけるのはたいへん。そもそも役人はミスをしないし、しても見せて言い訳がうまいし、でもヒントはあります。たとえば空き家バンク制度がそれ。町はふつう制度の導入で登録件数の増加と成功事例を誇ります。どこに制度の欠点があるのか。そこからぼくのやる気にスイッチが入り、資料集め、調査、専門の勉強がはじまり、それなりに納得して、ハイ、テーマ決定という具合です。
 ところが、じつはその先が大変です。愛川町ほどの規模の町だと職員の数は少なく、1人で4役も5役もで首長に言われた仕事をこなします。ミスしないだけでも至難。とおぜん、じつは充分な研究時間はありません。さいわい議員はふつうもっと勉強してない。というか、その点で職員は議員の先生になります。説明者、はてはお役人になります。エラソーになります。われわれ議員がいけないのです。答弁を訊くたび、「お伺いいたします」とへりくだり、「ご答弁ありがとうございます」で締めくくります。頭がおかしくなっても仕方がないのです。
 そんなところへ、ぼくみたいのがいて、かれらに答えられない質問ばかりしたらどうでしょう。恥をかかせるヤナ奴になります。虐めになります。だから困らせません。先もいったとおり、職員は、ほんとは専門家とはかぎりませんし、政策は町の代行だし、町長を忖度し、うまくやるのが職員の仕事だし。
 では、現実のぼくはどうしているか。ぼくの役割はすこしでも町をよくすること。そのために成果を出すことに尽きます。役人いじめは反発をうみ、成果にならないのでしません。むろん、ゴマスリ質問もまたしかり。テーマを決めたら職員との打合わせに全力投球。「今回は提案のうち○○についてに前向きな答弁をほしい」が前提です。それは町をよくしたいのは町長も町議も同じと思うからです。そのため職員の答えられない質問は、減らしたり、答弁案を用意したり、あるいは訊きたいことを説明・説得にきりかえたりです。
 えっ。それで成果がでるかって。訊かないで下さい。そこまで努力しても成果は少ない。中には質問をやめてという役人根性の人もいて怒り心頭です。反面、たまにいる協力者には感謝です。
 ぼくが友だちになりたいのは大きな骨太の問題に悪戦している誠実で無器用な真の政治家ですのでよろしくネ。

●ぼやき2題
客船はコロナの培養船
 当りまえだが、風邪をひく人とひかない人がいる。むろん引くのは抵抗力のない人。ウイルスは抵抗力のない人の体内で増殖するから。なのに、豪華客船に老人を閉じこめたりして、エコノミー症候群にしたりして、バカか。いや、老人減らし政策だ。そうとしか理解できません。
立憲民主は自民の応援団
 あいかわらず国会は「桜を見る会」ばっか。どのアンケートを見ても、それで立憲民主は票を減らしているのに。コロナとか中国とか韓国とかいろいろあるのに。バカか。
 そんな訳ない。かれらは国会議員だ。予算委員会がほんらい予算審議の場であることは知っている。もしかして予算が分からないのか。うん、少しはそれもあるかも、にしても理解しにくい。それだと、やはりバカになる。
 そこでぼくの結論。じつはかれらに政策がないので、自民の支援をしているのだ。そう思えば立憲民主はバカではなくなる。

愛川の川北地区は危ないか
 いま相模原市の長竹地区に農場地(牧場)造成の話が起きている。そのために、たて・よこ500×400m、高さ50mほど、つまり1,000,000(巨万)㎥の残土埋立てがあるという。地元は反対運動で大騒ぎです。
 ところが、残土が流出するとすればその下流域はわが愛川町ですから危険なのはこちらです。しかし、町も川北地区も音無しの構えです。
 はたして川北地区は危ないのか否か。ぼくは3月議会でそれなりの資料を使い、その危険度を検証します。
 なお愛川町ではかつて長竹地区の近くの残土流出で被害を受けていますから、ぼくが残土被害では第一人者のアドバイスを受けて議会にのぞみます。その節はぜひ傍聴をネ。

2020年2月4日火曜日

●ぼくのスタンス①


フェイスブックでお知らせのとおりスタンス・シリーズを書くことにしました。国政、地方議会、社会問題etcのスタンスです。
ぼくは古い人間で、元は自民支持です。でも腐敗体質がイヤでやめました、が、今も変わってません。桜を見る会、IR汚職など。
まぁ、それで民主支持になったが、こちらもイマ2。イマ2です。批判はよいとしても批判ばかりじゃネ。あげくブーメランが多すぎ。しかも中国や韓国などに甘すぎ。鈍感。
したがい、ぼくは国政的には、保守革新というか"健善党”のできるのを待ってます。具体的には、日本の歴史・文化を愛しと、平和を愛し、領土を守る党。でも大企業優先でなく、格差・差別と闘う、弱者を守る党、それを待ってます。

2020年1月12日日曜日


●ミニ・ノート

・ふたたび町議になって想う。4年まえは惨々でした。今だからいえるが、敗因の一つは、告示日からバイクが使えなくなったことです。
・今回は自動二輪を使い復活。嬉しさより、ポスターと演説だけで当選できることを証明できてホッとしました。選挙費は10万円ほどです。
・さて1面、一番の驚きは“役職病町議”の多さです。訴えたい政策がないからか、それとも自惚れ、そんな人を選ぶからか、う~ん。
・今回は質問に国政絡みの問題を選んだ道はけわしい。職員は目先の仕事で手いっぱい。研究の閑がない。でも誰かが刺激しないとネ。
・にしても国民年金者は憐れ。厚生年金は終戦直前の軍費稼ぎ、共済年金は戦後の貧乏役人救済が目的だったからめぐまれた制度だったけど、国民年会は付けたりだったからネ。
・ところで、ぼくの質問時に年金者の会の傍聴者はゼロ。なぜ。勘のいい人は分かるよネ。
・2面です。取りあえず一般質問は定義的には合格でしょう。が、やがて道路の整備など区長の仕事がテーマになるかも。この機に町議と区長の仕事の役割分担を明確にしたいネ。
・まぁ、それも議会改革だが、ダブる質疑を減らした渡辺代表の英断も改革の一つです。
・ためにぼくの質疑も消え、分かりにくかったかも。まぁいい。また質疑を止める職員がいたら「今度は具体的に書く」の予告ですから。
・その延長が3面の議会改革提案でした。議長は年頭挨拶に使命の徹底や開かれた議会のために改革すると述べたが、議員のみ全員協議会には質疑されたくない案件が多いのだ。
・4年ぶり町議になり痛感。町職員はとにかく規則に縛られている。行政の安定上はしかたない。しかし規則になれると、安定と円滑な運営が目的になり、町民を忘れる。困る。その伝で、町議もそうした職員になれると円滑な議会運営や何でも賛成が目的になる。自分が監視役を忘れる。それが困るのです。
・その意味で思う。議員に改革委員はむつかしい。外部委員会が町民と議員合同の委員会、せめて傍聴者を含めた委員会がほしいよネ。
・とかいう中に紙面が尽きて2点お知らせ。

①フェイスブック始めました。ここに書ききれなかった記事は、そちらに回します。
②この記事も、これからはフェイスブックとブログに回します。ペーパー版は減らす予定です。

●議会改革~議論よりすぐ実現を~

  今までも改革検討委員会はあったが成果は乏しい。その反動か今回は意欲的な町議もいる。ならば鉄は熱いうちに打てかも。大それた改革をしようとしたり、議論ばかりで熱がさめたのだから、できることからどんどんと。そこで思いつくままに提案。
 
・議場に国旗を:愛川の場合、旗でなくパネルだ。議場の旗はスポーツ場の旗と同じで仰いで誠実を誓うものだから、旗をネ。
 
・番号でなく姓で:議員を番号で呼ばないで、囚人みたいに。戦前の権威誇示の名残です。
 
・答弁の短縮化を:質問時間を増やし答弁を減らそう。その分、町議は事前勉強が要る。説明を訊くばかりの時間稼ぎも減るよネ。
 
・復唱をやめよう:議員の質問をきいて、それを復唱して答えないで、かなりロス時間。
 
・「お伺いします」は止そう:「お伺い」はひら社員や生徒が上司や先生にものを訊く表現。町民の代表は町の監視役として卑屈だ。 
 
・地方自治法って何:議長や委員長報告などに「地方自治法○○条により」というのがある。それを言わない時は法律違反みたい。
 
・謝意は禁じ手:ありがとうで質問を閉じ、答弁席へ頭をさげにいく町議も。他の議会にない光景。町議会の緊張関係に反する。

まだまだあるけどキリないのでやめます。とにかく議会は形式漬けの社会で、慣れると気にならなくなり、町民感覚を忘れ形式が目的になり、本来の使命を忘れるのです。

 ●委員会・審議会 ~これまた然り~

町議の仕事は、議場での質問・質疑だけでなく、いろんな委員会の委員になることだが、こちらも「なんか形だけ」が少なくない。この委員長や副になりたい人が多い。驚きます。中には、改善するために毎月開かれるものもあるけど、多くは年に2,3回。1目が自己紹介で2回目が意見交換でハイ終わりもザラ。ぼくの参加したある協議会なぞ1回町からある外部事業の説明会があったが、それで終り。そして外部といえば、きっと実現しない夢をみんなでワイワイも。何なの。ぼくは1年は大人しくしているけど、議会と同様にこちらも改善していかなくては。憤りの2か月半です。

●一般質問は~まずは無難に~

選挙後の最初の質問です。どうであったか。質問者は役職者を除き、全員。中身ですが「一般質問は町全体にかかわる政策的課題」がほぼ守られました。気のゆるむ人もいたけれど、無難なスタートとしておきましょう。以下、それぞれのタイトルです。敬称略。

 
渡辺    大災害への備え、交通施策、森林整備

岸上    防災・減災対策、町営住宅、安全安心の町づくり

玉利    略(前回のブログ内容のとおり)

     健康ポイント事業、若い世代の町内就労支援

小林    (工業団地の)道路行政、中学校給食、終活支援

鈴木    自然災害から町民の生命・財産を守る取り組み、有害鳥獣被害対策

阿部    行政財産の貸付けによる財源確保、町内循環バス再編運行検討 事業

小島    各老人センターと諏訪老人いこいの家半原小学校旧郷土資料館、上下水道施設の浸水・電源対策

佐藤りえ  防災・減災対策、広告事業による自主財源の確保、看板

佐藤茂   居住環境、町民活動

井出    投票率の向上にむけての取り組み、公共工事の平準化

木下    高齢者の交通手段の確保

熊坂    子ども議会からの提案、小中学生に対する政治の教育

 
総括質疑は   ~ぐっと我慢したけど~

 ふつう12月議会だと町提出議案は少ない。その多くは国の勧告によるもので、いよいよ質すものがない。しかも公明と共産を除くと会派は一つだからそことダブる質疑は自粛することになりました。とはいえ、ぼくが質したい議案が一つありました。むろん町が痛いところをかえています、当然かなり質疑を抵抗され、代表に相談し、今回は「ダブるから」ということで、ぐっと我慢です。じつはその痛い点をなくすヒントを提示したかったけど、う~ん。

 

 

2020年1月10日金曜日


●『令和元年は  ~雨天晴天あったが~』

新年おめでとうございます。昨年は大台風、IR誘致、ノーベル賞、ラグビーW杯などいろいろあったけど、皆さまにはいかがでしたか。どうか今年は佳い年でありますように。
  さて、その昨年、愛川町的には選挙があり新体制になり、新会派が生まれ、12月議会をむかえたわけですが、個人的には悲喜半々だった気がします。

 選挙が終わると、まずは会派の決定、議長や役員の選出、つづいて各委員会の構成などとバタバタ。議会の慣例で最年長のぼくが、その選出や構成の多くを仕切ることになったからの意味もありました。神経ピリピリ。

 今まで会派は、「どの会派に入ると役職につけるか」みたいな存在。いわば町民そっちのけでしたから、それを渡辺基さんの意向に沿って「町民のためによく話合う一つの会派」にまとめるのは大変でした。

 しかし、ほぼ一本化のおかげか、議長などの役員の選出は、今までとちがい、立候補宣言を聴き、選挙でできたのは大きな前進か。またその流れの中で委員会などの役員も、かけ引きでなく、民主的にできました。皆さんは「なぜこの人が?」と思うでしょうが。

 ともあれ、そんなこんなで、中身の質や成果は別として、11月の中頃までに、どの委員会も、ベテランと新人の区別なく、誰もが自由に活発に発言するようになったのは確かか。

 その中での12月議会です。ぼくの一般質問2件。一つは林業問題で、国の林業政策のミスで荒れ放題になった山をどうするか。あと一つは国民年金関係。受給額が生活保護者以下の方々をどう支援するか、です。林業は国の指導のままにやってきただけだし、年金は事務手続きをしているだけで、“分かる職員”が育っていません。いきおい一方的な説明に時間をとられ、残念、「ウ―ッ」でした。