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                   編集子 K



2016年4月21日木曜日

これでいいですか愛川町(新聞折り込みのWeb版)


Apr.15.2016 by玉利まさる


議会や町政が変わりましたか

 

 町議会が新体制になり半年になります。その間に町の人口ビジョンが発表され、3月には、今年が折り返し点ということで、はじめての本格的な“小野澤予算”が成立しました。

 そのせいでしょうか。ぼくはよく聞かれます。新人が入ってなにか変わりましたか。町の人口減対策はほんとに大丈夫ですか。そして、町長は頑張っていますか。ウッ、そんな質問をボクにされても困るけど、気分は分かります。「議会や町政が見えにくい」は事実です。しかし、加えれば「愛川町の内視鏡」を出す立場でもなければ、その経済力もないのも事実です。ウーン、唸った挙句に決めました。かつての「これでいいですか愛川町」みたいに議会ごとにとは行かないが、2議会ぶんを1回として、なんとか年2回出しましょう。むろん中身は薄くなるけれど、ぼくの信念の残滓といった意味でも、今でも励ましてくれる方へのお礼の意味でも。

●新人 ~それなりに新鮮~


 さて、新人3人の登場で何が変わったか。正直、議会はベテランが“大きな顔の社会”ですから、それほど変化無し。とはいえ、その大きな顔が減り、新人が懸命にやるのは新鮮です。とくに鈴木・阿部両町議は真面目です。存在自体に刺激的な意味がある感じです。

●人口ビジョン ~大山鳴動して~


 人口減対策、わけても総合戦略はそれなり巷の注目を浴びました。が、議会の質疑は、正直、いま一、いま二です。はじめて事業に目標値が設定されたのにその根拠を問う質問はほぼゼロです。町議の質が気になるが、選んだのは町民ですから、感想は「ウーン」のみ。

●小野沢色 ~まさに愛川町民の声~


 もともと町長の公約は大半が町民の要望を並べたものですが、今回はその多くを事業化しました。そして、要望の多くは町民の“おねだり”で、共産・公明の得意分野です。それに応えた予算だったと言えるかも。反面、本当に大きな政策はなかった、とも言えるでしょう。町民の要望レベルの反映でありました。

 

 


12月議会 ~無難なスタートだが~



●まずは一般質問。12人が質問しましたが、その中身はざっぱに議会だよりに出ているので略します。ただし、一般質問の本旨は「町全般に関わる政策を問う」です。たとえば区長さんのあつかう地元の道路事業などは範囲ではありません。その点、どうであったか。

 さて、その旨に沿うと、井上・山中・渡辺・鈴木・阿部・佐藤りえ・熊坂崇徳のテーマは評価できる視点を含んでいました。むろん、テーマは良くても「訊くだけ」は除外です。



●つぎに質疑ですが、12月議会の議案は補正予算と条例です。つまり、不可欠なものと国の法改正を伴うものが主です。その点、ただ答弁を訊くだけなら「質疑なし」も一つの見識でしょう。というわけで問題なしでした。



●それから請願・陳情です。私学助成の拡充を求める意見書の国への提出を採択しなかったのはどうでしょう、地方が国での議論を否定するわけだし。あと一つ、安保法案関係の陳情の扱い方です。同じものが9月議会に提出され、その時は「継続審査」扱い、そして今回は審議なし。これは論理の矛盾です。いかがなものか。



●最後は、議会が閉会してから開かれた、町の「人口ビジョン」と「総合戦略」についての質疑です。とりあえず議長以外の全員が質したのは評価しますが、中身はどうでしょう。井出・渡辺・阿部町議、目標値(KPI)の根拠を気にした崇徳、りえ町議などは評価できます。しかし、大方は聴くだけで、かなり残念でした。

 なお、この重大テーマで、ある町議が「項目は多いけど大したことは訊かないので安心して」と笑いを取ったのはいかがでしょうか。

 まあ全体には不可なしの12月でありました。




3月議会 ~不適切発言の背景は~

一般質問です。ざっぱな中身は、例により敬称略で以下です。さえ、本旨に合っていたか。
井上(消防・防災・半原活性化)、山中(愛川ブランド、‘25年問題)、渡辺(総合戦略、駅伝大会、給食)、小倉(PPS(新電力)、道の駅、バイオマス発電)、馬場(環境施設組合、消防団員の制服、職員の健康、町長の意気込み)、木下(愛川聖苑、職員の意識改革、社協との連携)、小林(国保税、三増陸上競技場)
阿部(地域包括ケア、新財源創出)、佐藤りえ(引きこもり対策、代読・代筆支援、ヘルプカード)、岸上(生活習慣病、マイナンバー)、佐藤茂(都市マスタープラン、教育長の抱負)、鈴木(給食、災害時の要支援者支援)、熊坂崇徳(観光振興、財源の確保)


 そして、このテーマから、訊くだけ、同じテーマの繰り返しなどを省き、政策性からみてみると、山中、渡辺、小倉、小林、阿部、りえ、鈴木、崇徳町議の質問に評価したいものがありました。もちろん、テーマはよくても、町が取り組んでいる個別の事業は総括質疑のテーマですので、評価から除外しています。なお馬場町議が4年ぶりに質問。努力賞かも。





●つぎに総括・代表質疑です。主に予算関係に集中し、人口減少対策とからむ追及があまりなく残念しきりです。そうしたなかで、井手町議を筆頭に、渡辺・山中両町議はそれなり見識を示していました。また小林、りえ、崇徳町議も頑張っていました。そして新人町議の一人に質問がなく、残念でありました。

 なお、今回ある町議が、不謹慎や意味不明発言をし、一部「議事録抹消」の扱いを受けました。かれを弁護する気なないけれど、今まで議会にそうした発言を黙認する流れはなかったか。これは議会全体の反省材料でもあるでしょう。質問・質疑なしは不真面目の極みだし、訊くだけもある。根の深い“事件”です。





●それから、軽度外傷性脳損傷などの相談窓口の設置や障害者など移動困難者の通院支援そして重度障害者の医療助成継続を求める陳情などがあり、鈴木町議ががんばったけど採択なしです。弱者への思いやりこそ町議の姿勢の基本に思うと悲しすぎました。





●最後に。人事院勧告による職員の給与アップなどに合わせた議員提案(議員報酬アップ)の可決です。おっ、弱者に冷たく、自分に暖かく。なんという調子のよさなのか。第三者ではなく、自分たちでアップを求め、可決するとは。

 そもそも人事院勧告とは何か。職業別民間給与実態調査は、ほとんど大企業が対象で、民間の年収をおよそ1300万円としている。それに準じて公務員の給与を決め、真似して議員報酬アップとは。ちなみに実態に近い国税庁の調査だと、民間の給与はその半分以下だし、愛川町民の給与はさらに下。バカにされ3月の終わりです。


玉ちゃんのザ対策・人口減① ~財源は医療費に~



 町の予算は241億ですが、4割強が医療費です。国保などの会計が95億円、一般会計への食い込み7億円です。しかも高額医療や介護保険の会計は年2億円以上の増加です。

 ふつうその意味は、財政パンクまたは極度の行政サービスの低下です。視点を変えます。そのなかの無駄を5%見直すと、5億円の財源が捻出できます。その分、大胆な人口減対策に回せます。じつは国保会計などは財源の宝庫です。

 「医療費へのメス」の先例は全国にあります。典型の一つは夕張市で、破綻を契機に見直し、立ち直ったのです。

 手法は無限にありますが、肝は、どう安易な通院、クスリ漬け、大学病院依存、高齢医療を見直すか、そして未病・予防を充実させるかなどに尽きるでしょう。

 紙幅がないのでポイントを絞ります。ジェネリックの徹底だけでも医療費は下がります。しかし最も重要なのは、いわゆる町医者の、総合医化、ファミリー医化、かかりつけ医化です。地元医師が、家族の病歴・薬歴・生活環境の情報を一元化し、適切に指導すると大幅に医療費の無駄は減ります。かつてサッチャーが実行しましたが、銚子市その他がその例です。

 あと一つ、国保会計の広域化でレセプトの分析が進んでいます。その情報により、高額なものから手を打てば、相当無駄が省けます。

 因みにわが町だと年10億円は財源を産めます、ザ・対策の筆頭に医療費を上げた理由です。

ミニ・ノート



●「内視鏡を出せ」の声に押され、「これでいいですか」の復活です。2議会に1回で中身が薄くなり、ゴメンね。何にかで埋める準備中。

●1面は、議員の新旧交代の大切さや町議の人口減への無関心を強調しました。ぼくの心配が伝わることを願ってやみません。

●2面3面は主に一般質問の内容。あえて質問・質疑の本旨にも触れました。町議の実力の評価の参考になれば、の積りです。

●4面は、ぼくの人口減対策です。町の対策の何が不足か見えるべく工夫しました。いわゆる人口減少対策の多様性を知って欲しくて。

●なお4月20日にそれについての報告会、24日は半原水源地について話し合い。

詳細は090-5204-6030へ。


緊急追記


3月、町の総合戦略に交付金がつきました。まだ時間的に戦略の評価はできないが、国政選挙の近いおり、全国一斉です。因みに交付額は清川並みの少額。戦略がよくて勝ち取ったわけでありません。誤解なきよう念のため。



愛川町半原4345「これでいいですか愛川町」玉利記


●3月21~27 ~犬はあるけど~

 今週は何故か出歩きが重なった。しかし、犬も歩けば棒に当たるというけど、ノラ犬はあたっても大した収穫がないという話体験です。

 たとえば、月曜は孫が「ご入学」という地球儀や世界物知り地図の買い物。一応は世間並みの爺さんぶりだが、普段接触が少なく、孫のことはよくわからない。それで買い物をして自己満足。その俗物に呆れる。

 火曜は市ヶ谷でがんばろう日本の方と意見の交換。ついでに棋院で一局打って気分転換。

 金曜は議会最終日。全員が賛成討論で面白くない。とくにある女性、町への評価、感謝、敬意の連発でなにそれ。町民に代わりチェックする立場がゴマスリではなにか見苦しい。

 土曜は横浜で「主権者教育を考える」の集い。18歳選挙権の折からです。が、何、その内容。今の大人が守れない主権者の責任を18歳に押し付けてどうする。自己反省を訴えろ。

 まだあるが、こんな具合でありました。

 つぎに大きなニュースは、ベルギー・テロだが、「日本はヘンに首を突っ込み、巻き込まれるな」の一言で終わりにし、気になるのは児童相談所の不作為による中学生の自殺です。そもそも何のために児童相談所に親から子を離す権限を与えたか。なぜそれが機能しないか。事あるごとに騒ぐより、児童相談所の体質を問えよ。



●オマケ ゲス考

 この頃、メディアに「ゲス」という言葉がしばしば登場する。たとえば「乙武さんが不倫したとか。あいつはゲスだった」といった具合に。その使い方で良いのだろうか。

 因みに「ゲス」は下種と書く。時に下衆とも下司とも書く。元の意味は、身分の低い人、あるいは知能の劣る人。そうした人たちは品性に欠ける想像をしやすい。そこから転じ、末梢なことに気を転じ、余計なことに品性に欠けた疑いをするひとを下衆という。「まあ、乙武さんイヤラシ―」などの使い方を「下衆の勘繰り」といい、これが本来の言葉の使い方です。したがい、ゲスは乙武さんではなく、変な想像をした人たちのほうであります。して見ると、ゲスなのは騒ぐメディアです。

 そもそも乙武さんが身分が低いとか知性にかけると誰が言えるか。まして不倫なぞ、個人や夫婦の問題。その事情なぞ誰もわからない。仮に、本人が認めているから不倫があったとし、それがいけないかもわからない。ぼくの知人に10年以上、妻に性交渉を拒まれ不倫した。それが責められるか。ある女性は夫の暴力と異常な性癖から逃れるために不倫した。責められるか。また妻が浮気の連続で夫が不倫した。このように人さまの事情は千差万別だから下衆の勘繰りなぞしたくない。エラソーに、あるいはウラヤマしさの裏返しみたいに。

 そもそも乙武さんは四肢が欠ける。にもかかわらず仮に5人の彼女がいたら、どう思うか。かれの行為は、どれほど同じように障害を抱える人たちを元気づけたことなのか、と頼もしく思う。障害者はきっと「手足がなくても、人間的に魅力があればモテるんだ」と勇気づけられた、と思う。

 じっさい、日本には障害者のための性的ボランティアの機関が少ない。かつて、それでも、ぼくはセックスしてくれる相手を見つけ、かれらに紹介したことがある。性欲は十分に健全であって、足の不自由な方にどれほど感謝されたことなのか、今回の乙武騒ぎで、ぼくはそれを思い出しました。

 ゲスな人たち、ゲスなメディアに言いたい。ない知恵で下品な噂を広めてくれるな。どうせなら、ない知恵を絞り、思いやりのある想像をしてくれ。かれは肢体不自由者の星です。希望です。あまりケチなことを言うんじゃない。

 最後に乙武の奥さま、いつもかれを支えてくれてありがとう。これからもよろしくネ!

 ぼくは、貴方の夫を弁護する謝罪に、苦悩を思うと、感謝を禁じえません。



※最後に今週のイチ押し本。それは。田中角栄を書いた慎太郎の「天才」 かれの“偉業”の歴史的評価や功罪は別として、ムチャ面白く、十分に考えさせられる本です。読んでね。



●3月29~4月3日 ~いつもどおり淡々と~

 今週は珍しく外出が少ない。ということはいつもどおりに淡々との毎日。メインは復活「これでいいですか愛川町」の原稿書き。紙幅は少ないし、書くべきテーマは多いし、加えてメリハリもほしいし、ああでもないこうでもないで3日かかってしまった。それで、他はといえば、草木の勢いのある時期、草むしりとか、障害者訪問とか、片付けとか、むろん読書に打碁とか……。外出らしい外出は「笛と太鼓の音楽祭」のみ。第7回にして、やっとそれなりの人出でした。何しろ外国の方(今年はネパール)からわざわざ演奏にみえるので、ほっとしました。この町は何をやっても住民が認識するのに時間がかかります。7回目にして行政(教育委員会)がそれなり後援するぐらいですから。

 一方、ニュースです。こちらは、結構、考えさせられました。まずは「民進党」のスタートですが、どうなるか。何しろ同名の台湾の人気政党は「同じ名で迷惑」なんて思っているぐらいです。ぜひぜひ、結束力と新鮮な政策力を見せ、名誉挽回してください。できるかなあ。岡田では暗いし、迫力に欠けるし。つぎは児童福祉法や虐待法の改正です。例えば「臨検」の強化など買う点はあるけど、それで何が変わるの。法を変えるのは良いけど、問題はそれを運用する人が変わるか、でしょ。気になるのは、役人的、つまり不作為、消極的な対応が変わるか、です。そして議員はそのあたりを十分に配慮したかです。また一つは、ハンセン病の隔離裁判を裁判所が謝罪したニュースです。これにはぼくの個人的な感慨があります。実は仲人の医師の父親がかつてハンセン病の名医でありました。その関係でむかしハンセン病の隔離地を訪れたことがありますが、一口で言えば「なんと異様に暗い環境なのか、そんなところに人を一生閉じ込めるとは」 そのせいか、謝罪までの道のりの長さを思う。これまた役人的な反応の鈍さからきた隔離だったか。

 最後は、「外国人労働者100万人」時代の到来です。これは。人口減社会と労働者不足が言わているおり、良いことか悪いことなのか微妙です。その意味は、中学、高校、あるいは大学でしっかり勉強しておかないと我々の就職先がなくなることです。欧米、たとえばスウェーデンやノルウェーでは100万人突破は「教育へ力を入れよ」でありました。気づく人が少なく、心配になります。

 終わりに、今週のおすすめ本ですが、正直、いま読んでいる本は面白くない。でもカタくてもよいなら一冊。「丸山真男と田中角栄」です。この丸山真男、60年安保のころ講演していました。高校生のぼくも聴きにいったけど、そんな世代にはなにか得るものがあるかも。チラリ、青春への悔悟もふくめて。



●オマケ ~どこまでが人権~

 「保育園落ちた、日本死ね」のブログを契機に、幼児を抱えるママさんたちが国会に押しかけたりで、いま待機児童問題がやかましい。だが、あえて誤解や批判を恐れずいえば、この問題どこまで国の、あるいは行政の問題だろうか。

 ぼくは、日頃は、政治の本質は弱者の代弁と訴えている。では待機児童を抱えた母親は弱者か。「日本死ね」とのたまい、幼児をダシに使うせいか、どうもそう見えなくなってしまう。

 だから思う。そもそも子どもを生むのは個人の問題だろう。産みたくても産めない人もいるし、すすんで産まない人もいる。子育てについてもしかり。選択は自由という点、個人の問題だ。仕事についてもまたしかり。働くのも働かないのも個人の問題。こちらも働きたくて働く人、働かないとやっていけず働く人、自ら子育てに専念したくて働かない人。選択は自由だ、ということは個人の問題だ。ということはもしかして国の問題ではない。

 ついで、もう一つそもそも、そうした選択の自由の中で、よほどに体力や気力があるのか、堂々と子を産み、堂々と仕事もするなど、そもそも彼女らは社会的に強者ではないのか。

 皮肉でない。ぼくは若くして妻を失い、子育てもしたから知っている。毎日がヘトヘトで、政治家よ、助けてくれ、と叫ぶ気力もなかった。第一、子育ては親の責任と決めていた。

だからつい想像する。幼児を抱え、同じように子育ては、とくに子どもが3歳までが勝負と決め、仕事を少し控え、頑張っているお母さんもいる。かの女たちは幼児を見せつけて主張する。日本死ね、の態度もどう思う。「黙々と頑張っている人が弱者だ」そう書くと、反論が聞こえる。「待機児童は300万人もいるのよ、個人の問題じゃないッ」「ウーッ、わかった」認めよう。そう社会的問題だ。で、その社会ってどこ。会社に行くのに預ける保育園がない、という社会問題だとしたら、もしかして、企業が保育園を用意しない会社問題かそれとも儲からないから保育を作らない増設問題か。いずれにしろ、子のない方、あるいは自己責任で子育てをしている方には無関係です。

 えっ、違うって、もっと広く国民全体の問題だって。300万人もいるから。ウッ、ウーッ、それも認めよう。たしかにそう考える国もある。たとえば北欧に。でも、その場合どうしたか。受益者負担の原則にしたがった。待機児童を国の問題としたから、税に跳ね返った。権利の主張は義務も伴う。

 ふと、そんなことを思うのは、日本死ね、が聞き苦しく、見せつけが見苦しかったせいか。ぼくは、あまりの声高は苦手です。つい正義に偽善を思う。待機児童問題の旗手に政治資金の疑惑があるのはそのせいでしょうか。

 ともあれ、待機児童問題でまず着手すべきは応益負担です。一定規模以上の会社には保育施設の設置の義務付けを。民間には保育園を作りやすい法の整備を。ぼくの願いです。

 こうした問題は、あまりに権利の主張で語ると、ことの本質を見失う。義務を忘れる。慎ましく一歩一歩歩いて行こうよ。ぼくは強い女が苦手です。というか、控えめに頑張っている、本来の意味で強い女が好きです。ぼくは古い人間なのだろうか。