メッセージボード

このページは愛川町議会議員玉利まさるのホームページです。
現在、最新(2015年7月から)の更新はこちらで行っております。
2015年6月までの記事は玉利まさる@愛川町の内視鏡(旧ページ)に残しますので、どちらもよろしくおねがいします。
                   編集子 K



2015年8月15日土曜日

愛川町議選、どうなる②



 今回もこの原稿の時点の話です。結論、あまり変化がありません。盆明けから動き出すのでしょうか。

 現役の引退が2になった以外は同じなので現役の候補者13人、元職を含む新人6人の19人で16議席を狙う模様です。仮に、現職と党の候補者が有利の“常識(?)”にしたがうと、結局、議会はあまり変わり映えしません。それは町民にとっても町にとっても良くないので、新人の無所属にはもっと頑張って欲しいところです。働かない議員を1人でも減らすのも町民の役割かもしれません。

 なお、ここに来て変化も見られます。原因は例の安保法制、もともと池田崇拝の”正統派”学会員は9条支持者です。安倍追随の党の執行部に批判的です。公明党が安保法制に傾くほどに学会の党離れは進みます。9月がその正念場。ヘタに立ちまわると、町の党公認も打撃を受けます。その分、無所属の新人の勝機は増すでしょう。さて、どうなるか。

 あっ、いけない、ぼくだってあぶない。あまり新旧交代を訴えると、ぼくも割りを食うかも。でも、やっぱり町のためにも、選挙の時だけ政策を語る人にダマされたらダメだよネ。



 そうそう、「ダマす」と言えば、山中さんのチラシは意外に良い。「実現したこと」の欄がささやかで、そこに「ダマシ」なし。その点は評価したい。あれ、また自分の危なさ忘れて言ってしまった。ともかく、「実現したことの多いチラシや立派すぎる政策はホント怪しい。そのとおりなら町に人口減なんてありません。あと2ヶ月弱、ぼくたちは気をつけよう。

2015年8月14日金曜日

首相談話の合格点(~15日まで)



 基本的にこの2日は、取りあえず寝る場所確保の片付けとこの内視鏡書きで手一杯でありました。何しろ我が家は「夏は暖房」で、暑くて暑くて。


 それより気になったのが、終戦記念日の折からの首相談話です。メディアはああでもないこうでもないと無責任に評価しているけど、いったい誰もが満足する談話なんてあるのでしょうか。そもそも中国と韓国と日本は立場が違います。そして、そもそも世に美しい戦争は存在しえません。だからそれは、ふつう賠償を払って決着とみなします。賠償金は植民地支配への謝罪です。我が国の深い反省の印です。


 それを、永遠の謝罪と反省の要求は理解不能です。韓国で言えば、長く中国に支配された国です。まずは中国へ要求し続けなくてはなりません。その中国も然りです。列強の支配の歴史のほうがある意味で長期です。列強の諸国に要求し続けなくてはなりません。


 ともかく、話を戻して、「正しい首相談話」など存在しません。相手の立場に立てば、正義を信じた英霊を傷つけることでしょう。もちろん戦場に散った人を思えば、中韓を深く傷つけるのは確かです。したがい、首相談話の評価は50点で満足するしかありません。ぼくたちは、ひたすら平和を誓うことしかできません。皆さんはどうですか。ぼくは村山さんも河野さんも嫌いです。安倍さんは可もなし不可もなしです。50点だから合格か。




2015年8月13日木曜日

医療ツーリズム



 医療ツーリズムとは、一般的には、医療行為を受けるのに海外へ出かけることを指します。昔からその受け入れ体制、早い話、治療のやすさでタイが有名。近年は、外貨獲得の手段として中国が力を注いでいます。しかし、ここで大切なのは、価格だけでありません。先進性、高技術、安全性、対応の多様性、設備の衛生や快適さ、利便性、いろいろ気になるところです。そして、日本人から見ると、いま韓国が注目されています。なるほど、たとえば米国では2000万円かかるある病気の治療が韓国で300万円で受けられるなら、だれでも出かけたくなります。

 では、そのやすさの背景は何か。薬価か、人件費か、設備投資の安さか、あるいは医療制度か。たしかにそれも気にかかります。それらの背景の分析は、たぶん日本の膨大な医療費を抑制する上で、いろんなヒントを教えてくれるでしょう。でも、今回の調査もどきの景気はそれではありません。ある在日の韓国の医師の言葉「日本ほど医者になりにくい国はない。結局、医者になるのにあまりにカネがかかるので、医療費に跳ね返るのではないですか、医師が不足すれば競争原理も働かないわけだし」簡単に言うと、そんな話でありました。

 ぼくは長く塾を経営してきました。ぼくはその経験の中で、不必要に難関な医大入試と合格後の法外な入学金その他で、いったい何人の有為な学生が医大を断念してきたことなのか。その解決の手がかりも欲しかった。あゝ、医療ツーリズムにドクターコースはないのか。



 ところで、旅の間に読んだ「下流の宴」です。中身は、奇しくも、下流と呼ばれた人が、自分をバカにした見栄っ張りの中流を、医大に合格して見返す話です。女の見栄を書かせたら林さんの右に出るものはない、と言う。中流の俗物性の描写がすごかった。かの女もまた下流からスタートし、中流のイヤラシさを卒業したのだろうか。コンプレックスに悩む方はぜひ一読を。人の幸せと学歴・地位・経済力とは別物とわかります。

2015年8月11日火曜日

頭を空にする(~13日)



 11日は移動を半日、金浦(キンポ)空港着が14時30分。16時過ぎから早速ホテル近くに住む中学校のR先生と意見交換。テーマはやはり韓国人と日本人の歴史認識のズレです。大久保あたりのヘイトスピーチを報道され、日本人が過激と思われたら困るみたいに、韓国人の日本批判の報道を真に受ければ誤解を招きます。Rさんと話すと、さすが朴槿恵の強引さはよく承知していました。いつの時代も、どこでも、過激思想は一部の無知な人たちの暴走とわかります。

 あと、街へ出て、屋台もどきで食事し、ついでに縁台将棋もどきで碁を一番打ち、もどるとそのRさんからメモ。「一人、開業医を紹介する」というので、ホテルのティールームで懇談、韓国の医療費のやすさの一つに「医者のなりやすさがある」と聞く。大方、その事実を確認できました。そのあと、自室で夜中の2時過ぎまで林真理子さんの「下流の宴」を呼んでから寝ました。

 12日です。今回の旅の目的のメインは「なぜ韓国の医療費は安いのか」といっても調査ではありません。その小手調べ、簡単な情報集めです。(だから、自腹の調査です)

 まずホテルから徒歩数分のクリニックへ。これも詳しくは省くけど、薬価の指標の一つに選んだウデナフィル(成分名)をゲットするのに、待ち時間5分ほど、問診も5分ほど。で、初診料がほぼ1000円。で、薬代が1錠あたり約300円(日本だとヤミ価格3000円とか)

 そのあと戻って一服し、今度は330メートルほど先の病院へ。結論から言うと、待ち時間は20分ほど。問診は(英語が苦手なドクターで)15分。そして手にした薬は同量換算で250円ほど。

 さらに午后、今度は”プチ整形通り”と呼ばれる街に出て、形成外科へ。混んでいてい時間待たされたけど、問診などほとんどなしで、そのくせ初診料は1300円、薬代は1000円ちょい。なんだ、これ!

 ついでに、少しウインドウショッピングしてからホテルに戻ります。そして、このホテルの”ぼく専用日本人スタッフYサン”(じつは日本で親切なYさんの居ることは確認済み)に、頼んでいおいた「ホテル周辺の碁会所マップ」をもらって、ぼくは、なんとここから50mもないところにある碁会所へ。そして、Yさんには宿題。中身は、何種類かの病気についての初診料・治療費・薬代その他を調べておいてください。ぼくは、いい気なもので、二曲売って一勝一敗(5段で売って負け、4段にして勝ち)。戻ると、かの女はちゃんと”仕事”をしていてくれました。すごく感謝です。整形通りで求めたプレゼントをあげました。

 夜は、有名な、でもマズかった海鮮屋で食事し、口直しにジャズ・バーで一杯のみ、ホテルへ帰還。昨日の続き、夜中3時の読了でありました。

 なお、その海鮮屋では、テレビに鳩山元首相が西大門の刑務所跡地で、靴を脱ぎ記念碑の前で膝まづき、手を合わす姿が写されていました。「また余計なことをして」でありますが、韓国人はたんにクンチョル(墓前の礼法の一つ)と受け止めたのか、無関心でホッ。にしても、外国人がこれを土下座と思うのをみこして、かれを利用したことでしょう。

 そして13日です。十分に寝たので、ソウル駅の周辺を歩いてから空港へと思うが、にしてもRさんの碁会所マップに気になる場所が……。というわけで、早めに出て、明洞(ミョンドン)を散歩してから、食事して、ソウル市役所でそそくさ調べ事をし、急ぎ食事し、戻って気になる碁会所へ。ン、やはりです。入口の近くへカップや書状がズラリ。日本語のものもあり、読めます。たとえばリコー杯の女流戦優勝とか。しかし、早すぎたか、若い男女が4人いて、場違いにギターを弾いています。聞くと、二人の男女はプロの4段と3段、あとは日本で言えば院生か。事情を話すと、2時から”開業”ですが、1時から相手してくれて、その3段の娘に惨敗でありました(ちなみに、場所によりぼくが3段から6段にまでになるのは日本と同じですが、たぶん韓国のほうが1段ほど強そうです。世界で2位の囲碁強国ですから)

 あとは、あわてて空港へ。チェクインを済ませ出発の待合室に向かうと、れ、れっ、島のジオラマを作成中。そして二つ島の一つに韓国の旗、太極旗(テグッ旗)。一瞬、「ここでも対馬の自国領宣伝か」と錯覚したが、形が違う。どうみても、なぜか尖閣ではないか。だと、中国が怒るだろう。狐につままれた気持ちで出発フロアへ行き、免税店へ入り、チョコレートを買おうとしたとき、止めの一発、後ろから同じものを求めて手が伸びてきたので振り返ると、あの鳩山さんです。

 「あんた、ソウルくんだりまでなんでくるのか」と叫びたいけど抑えます。付き人はなし、代わりに見送りかガードの韓国人が5,6人。オーラは限りなくゼロ。気がついた周囲の日本人もみんな無視。かれはあまりに孤独でありました。異様でありました。

 思い出します。かれが首相で、基地問題で沖縄の人に「できない約束」をしだしたころはまだ人気がありました。むろん、それは空手形になるので、ぼくはかれに問題の収束の仕方についてアドバイスの手紙を書いたことがあります。返事のはがきは届きましたが、とおぜん、おざなりな礼状で、忠告無視でありました。そして、事態は、ぼくの手紙の予測通りに推移し、かれは辞職しました。もう、その時すでにかれは孤独の人であり、すでに寂しい方だったのかもしれません。かれを本気で戒める人はいなかったのでしょう。僕と同じ収束論を民主党議員から耳にしたのはさらに後のことでした。

 そんなことを振り返っている折、同じ機上の鳩山さんの頭を去来したものはなんだったのでしょうか。羽田につくと、小さな手荷物一つのかれは、出迎えもなく、闇の中へ去って行きました。またふと思い出しました。ぼくの隣席の女性の科白です。「あの方、日本人に迷惑なのよね、また韓国に利用され」



 まあ、そんな3日間です。「頭を空っぽにする」とは、ふつう何も考えないことです。しかし、この3日、10月の選挙を忘れて、考えることがいっぱい。それは、ある意味、考えない以上に。頭を空にしてくれます。気力がわきました。ありがとう、ソウルよ。明日から頑張ろう。

2015年8月10日月曜日

 三増地区経由で4軒訪問してから、役場へ。先日、川北の住民から頼まれごとで打ち合わせしてから、春日台界隈の知人を4軒訪ねました。間で、明日の準備でノジマへよって、それから付き合いで囲碁カフェyoshidaへ。ちょっとだけ顔を出し、サポセンに戻り、帰宅。準備です。といっても朝鮮(韓国)の近現代史の本をパラパラ。気にしたのが、中身は省くが、今彼らが儒教的モラルを失った背景でありました。読んでいるうち、グーグー。

2015年8月9日日曜日

やっぱりケンカ



 午前9時よりシルクロード・クラブの仲間と裏の川原の除草です。薄曇りで風もあり、このところ”生臭い日常”が吹き飛ばされ、いい気持ち。


 と、まもなく、遊びに来た若者がゾロゾロ。中に少し柄の悪いのがいる。そこではじめに注意、大音響の音楽かけるなよ、ゴミは散らかすな持ち帰れ、飲み過ぎんなヨ、そして「他のグループと揉めるな、きみなんて品が悪くて手が早そうじゃん」エトセトラ。するとそのかれ「自分は上品ですから、先輩、安心していいっすよ、ホント」えっ、どこが品がいいのか。


 で、午後は一服し、碁を3局打ち、それから、先日の祭りの慰労会に出かけるべく公民館(ラビンプラザ)を出たところ,また、と、パトカーが来ていて、オマワリさんが4,5人。かれらに囲まれて一人の若者。えっ、その若者は朝ぼくが注意した男ではないか。


 やっぱケンカではないか、


 が、訊けば、かれが撲ったのは、他のグループではなく、自分の女房とか。そして、さすが彼の妻。負けてない。じつはカミつかれて、血だらけなのは彼だった。あれ、いざとなるとカミつくからカミさん? まあ、大事ではなく幸い。





 あとは慰労会に出て、酌をして回り、早めに切り上げ、今度は近所を回って、終わりです。変化が多く、あっという間でした。原爆の投下の日だったけど、世は平和です。