メッセージボード

このページは愛川町議会議員玉利まさるのホームページです。
現在、最新(2015年7月から)の更新はこちらで行っております。
2015年6月までの記事は玉利まさる@愛川町の内視鏡(旧ページ)に残しますので、どちらもよろしくおねがいします。
                   編集子 K



2015年8月11日火曜日

頭を空にする(~13日)



 11日は移動を半日、金浦(キンポ)空港着が14時30分。16時過ぎから早速ホテル近くに住む中学校のR先生と意見交換。テーマはやはり韓国人と日本人の歴史認識のズレです。大久保あたりのヘイトスピーチを報道され、日本人が過激と思われたら困るみたいに、韓国人の日本批判の報道を真に受ければ誤解を招きます。Rさんと話すと、さすが朴槿恵の強引さはよく承知していました。いつの時代も、どこでも、過激思想は一部の無知な人たちの暴走とわかります。

 あと、街へ出て、屋台もどきで食事し、ついでに縁台将棋もどきで碁を一番打ち、もどるとそのRさんからメモ。「一人、開業医を紹介する」というので、ホテルのティールームで懇談、韓国の医療費のやすさの一つに「医者のなりやすさがある」と聞く。大方、その事実を確認できました。そのあと、自室で夜中の2時過ぎまで林真理子さんの「下流の宴」を呼んでから寝ました。

 12日です。今回の旅の目的のメインは「なぜ韓国の医療費は安いのか」といっても調査ではありません。その小手調べ、簡単な情報集めです。(だから、自腹の調査です)

 まずホテルから徒歩数分のクリニックへ。これも詳しくは省くけど、薬価の指標の一つに選んだウデナフィル(成分名)をゲットするのに、待ち時間5分ほど、問診も5分ほど。で、初診料がほぼ1000円。で、薬代が1錠あたり約300円(日本だとヤミ価格3000円とか)

 そのあと戻って一服し、今度は330メートルほど先の病院へ。結論から言うと、待ち時間は20分ほど。問診は(英語が苦手なドクターで)15分。そして手にした薬は同量換算で250円ほど。

 さらに午后、今度は”プチ整形通り”と呼ばれる街に出て、形成外科へ。混んでいてい時間待たされたけど、問診などほとんどなしで、そのくせ初診料は1300円、薬代は1000円ちょい。なんだ、これ!

 ついでに、少しウインドウショッピングしてからホテルに戻ります。そして、このホテルの”ぼく専用日本人スタッフYサン”(じつは日本で親切なYさんの居ることは確認済み)に、頼んでいおいた「ホテル周辺の碁会所マップ」をもらって、ぼくは、なんとここから50mもないところにある碁会所へ。そして、Yさんには宿題。中身は、何種類かの病気についての初診料・治療費・薬代その他を調べておいてください。ぼくは、いい気なもので、二曲売って一勝一敗(5段で売って負け、4段にして勝ち)。戻ると、かの女はちゃんと”仕事”をしていてくれました。すごく感謝です。整形通りで求めたプレゼントをあげました。

 夜は、有名な、でもマズかった海鮮屋で食事し、口直しにジャズ・バーで一杯のみ、ホテルへ帰還。昨日の続き、夜中3時の読了でありました。

 なお、その海鮮屋では、テレビに鳩山元首相が西大門の刑務所跡地で、靴を脱ぎ記念碑の前で膝まづき、手を合わす姿が写されていました。「また余計なことをして」でありますが、韓国人はたんにクンチョル(墓前の礼法の一つ)と受け止めたのか、無関心でホッ。にしても、外国人がこれを土下座と思うのをみこして、かれを利用したことでしょう。

 そして13日です。十分に寝たので、ソウル駅の周辺を歩いてから空港へと思うが、にしてもRさんの碁会所マップに気になる場所が……。というわけで、早めに出て、明洞(ミョンドン)を散歩してから、食事して、ソウル市役所でそそくさ調べ事をし、急ぎ食事し、戻って気になる碁会所へ。ン、やはりです。入口の近くへカップや書状がズラリ。日本語のものもあり、読めます。たとえばリコー杯の女流戦優勝とか。しかし、早すぎたか、若い男女が4人いて、場違いにギターを弾いています。聞くと、二人の男女はプロの4段と3段、あとは日本で言えば院生か。事情を話すと、2時から”開業”ですが、1時から相手してくれて、その3段の娘に惨敗でありました(ちなみに、場所によりぼくが3段から6段にまでになるのは日本と同じですが、たぶん韓国のほうが1段ほど強そうです。世界で2位の囲碁強国ですから)

 あとは、あわてて空港へ。チェクインを済ませ出発の待合室に向かうと、れ、れっ、島のジオラマを作成中。そして二つ島の一つに韓国の旗、太極旗(テグッ旗)。一瞬、「ここでも対馬の自国領宣伝か」と錯覚したが、形が違う。どうみても、なぜか尖閣ではないか。だと、中国が怒るだろう。狐につままれた気持ちで出発フロアへ行き、免税店へ入り、チョコレートを買おうとしたとき、止めの一発、後ろから同じものを求めて手が伸びてきたので振り返ると、あの鳩山さんです。

 「あんた、ソウルくんだりまでなんでくるのか」と叫びたいけど抑えます。付き人はなし、代わりに見送りかガードの韓国人が5,6人。オーラは限りなくゼロ。気がついた周囲の日本人もみんな無視。かれはあまりに孤独でありました。異様でありました。

 思い出します。かれが首相で、基地問題で沖縄の人に「できない約束」をしだしたころはまだ人気がありました。むろん、それは空手形になるので、ぼくはかれに問題の収束の仕方についてアドバイスの手紙を書いたことがあります。返事のはがきは届きましたが、とおぜん、おざなりな礼状で、忠告無視でありました。そして、事態は、ぼくの手紙の予測通りに推移し、かれは辞職しました。もう、その時すでにかれは孤独の人であり、すでに寂しい方だったのかもしれません。かれを本気で戒める人はいなかったのでしょう。僕と同じ収束論を民主党議員から耳にしたのはさらに後のことでした。

 そんなことを振り返っている折、同じ機上の鳩山さんの頭を去来したものはなんだったのでしょうか。羽田につくと、小さな手荷物一つのかれは、出迎えもなく、闇の中へ去って行きました。またふと思い出しました。ぼくの隣席の女性の科白です。「あの方、日本人に迷惑なのよね、また韓国に利用され」



 まあ、そんな3日間です。「頭を空っぽにする」とは、ふつう何も考えないことです。しかし、この3日、10月の選挙を忘れて、考えることがいっぱい。それは、ある意味、考えない以上に。頭を空にしてくれます。気力がわきました。ありがとう、ソウルよ。明日から頑張ろう。