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このページは愛川町議会議員玉利まさるのホームページです。
現在、最新(2015年7月から)の更新はこちらで行っております。
2015年6月までの記事は玉利まさる@愛川町の内視鏡(旧ページ)に残しますので、どちらもよろしくおねがいします。
                   編集子 K



2022年8月16日火曜日

●大手銀行のムチャ   ~誰か騒いで~

コロナ禍やウクライナ侵攻で、物価高、円安、株価低迷です。中には、投資により半年で資産を20%減らした方もいます。「投資だから損もありうる」ではありません。問題はそうなるまで手を打てなかった原因です。銀行の対応です。参考に、ぼくの関わる話ですが、超大手のM銀行が扱う財形貯蓄型の海外投資です。リーマンショックでも利益を出せたスグレモノです。だからお任せに近く、銀行からの報告は年一度。といっても通常の報告ではありません。昨年、銀行より不思議な手紙です。簡単にいうと「取扱い金額が増大しすぎたので、今後の受付を中止する」とあります。金集めが仕事の銀行に、投資が順調なら中止はありません。昨年12月といえば、すでに日経の平均株価は低迷です。もしやと思い銀行へ行きました。

銀行は株価にふれたがりません。ぼくは、頼み、資産状況の推移を見せてもらいましたら、利益は思いのほか出ていました。ただし事前調査で、4月には悪化すると予測できました。ぼくは、利益が出なければ解約するので、報告をよろしくと、その場はそれで終わりです。と言っても放置ではありません。職業柄、内部調査はできます。その後、調べると、不思議な手紙で解約した方は少なくない。2月のウクライナ侵攻以降、銀行(といっても実務が証券会社)の資産運用は悪化です。が、4月になっても銀行からの報告はなし。5月になると銀行からの手紙は別な運用のご案内ばかりです。8月に銀行に出かけ、先の20%損失の説明を他人事みたいに受けました。その間、「ご免なさい」の「ご」の字もありません。こちらから申し出なければ、解約も勧めません。もし銀行が誠実であれば膨大な人を、ささやかに老後資金を蓄えている方を救えただろうに。これを不作為言わずなんと言うべきか。

今、ぼくは何をすべきか。具体的ブログで伝えるべきか、メディアに訴えるべか。手元に、ぼくなりの内部調査と銀行とのやりとりの録音。それを前に迷うのでありました。

●内閣改造  ~あぁ、やっぱり~

 10日とえいば内閣改造がありました。コロナ、物価高、国防、ウクライナなどが心配される折、注視したけど、結果は「やっぱり」です。そのシンボルが新中派大臣の林さんの再任かも。岸田さんの"聞く力”の正体は、"聞くだけ”です。「やはり」といえば、副大臣や政務官も含め20人近くが旧統一教会の世話になっていました。これも聞く力?問題はなぜそうなのか、です。その1は首相に信念と責任感がない。その2は自民を支える国民も同じ。政策ではなく、自民だから支援している方が多く、なので騙されても気がつかない。その3,野党はヒステリー騒ぎだけ。その4、かくいう僕は無力すぎ。きっとそれでも書くぼくはバカです。


●熊坂宗徳さん  ~知っていますか~

10日の朝刊に熊坂崇徳の名前。維新の公認で来春の県議選で相模原の中央区の候補者になる記事です。彼は愛川の町議ですから、相模原の方はまず知らない。いや、もしかしたら愛川でも名前くらいしか知らない方も。それでか、ぼくにも問い合わせがありました。この機会に少し紹介です。

 彼は、ぼくも含めた3人会派の一人ですからぼくはそれなりに知っているけど、そのイメージは町民の認識とズレているかも。それでふれます。まず表面的には若くて、元気で、小太りでいつもニコニコで穏やか。が、それが誤解の因かもしれません。けっこう仕事師です。議会の質疑や質問は徹底的に調べてやる人で、その点、町議会屈指です。地味で、敵をつくらないので軽く見られているようだけど、実力者なのです。実は県議選に出るのが遅すぎたくらい。そこで、僕の見立てです。維新は関西では人気だが関東では強くない。参院選では東京で失敗しています。松田さんの当選は元知事の知名度と実績、人柄、それに国政には第3極が必要という県民ニーズかも。政治家同志では互いに実力が見えますから、そこに目をつけたのがかれの実力でしょう。かくして維新に推された気がしています。

 ぼく的には、愛川を見捨てたなんてケチを言わないで、大いに頑張ってもらいたい。だから紹介したけれど、崇徳町議に松田さんみたいな知名度はなし。ヤキモキしています。

●8月15日終わる ~またも空しく~

今年も終戦の日を迎え、77回目の一連の行事の終わりです。たとえば右よりは戦争というより戦略の失敗を振り返り英霊を悼みながら、左よりの人達は戦争自体を反省し、核の廃絶と平和を祈念しながら。そして現実は今も戦争中、たとえばウクライナ戦です。ぼくにはその空しさがやり切れません。そのズレは何からくるのでしょうか。

 書くことが多すぎて放置してきたけど、一つの明解です。日本の平和は、天皇の玉音放送の日からがスタートです。でも、ぼくには祈念の日にメディアが玉音の意味を報道した記憶がありません。それでよいのか?しかし、ふと気がづけばぼくも高齢で、もう放置できません。これからは少しは"あの戦争”にふれたい。ですので、よろしく。