メッセージボード

このページは愛川町議会議員玉利まさるのホームページです。
現在、最新(2015年7月から)の更新はこちらで行っております。
2015年6月までの記事は玉利まさる@愛川町の内視鏡(旧ページ)に残しますので、どちらもよろしくおねがいします。
                   編集子 K



2015年12月17日木曜日

~遥かなる道へ



 ほぼ2ヶ月休みましたが、ブログの再開です。その間遊んでいたわけでありません。落選のお詫び行脚、反省、身辺整理、そしてじっくり読書などです。いわばスマホの電池切れから始まり、充電完了みたいな状態でしょうか。2ちゃんねるでは「玉爺いまごろどうしているのかな」の噂も飛んでいたので、ここらで再起動して発信します。

 とはいえ、議員でない今、議会内部を見る「内視鏡」を使えません。今日から「これでいいですか 愛川町」です。楽です。もう、たとえば議長に呼び出され、「内部告発はよせ、この記事は削除しろ」なんて言われません。幸い、内部情報はいくらでも入手できます。かえって、何でもありで書ける分、読者の皆さんには良いのかも。乞うご期待かもしれません。

 しかし、告発が目的ではありません。それって案外虚しい作業だし。目的はあくまで町が良くなること、であります。これから議会だけでなく、町の現状や未来、はてはごくなことから世間の関心事まで、そう、何でもありで発信します。ぼく的にははるかなる道への旅立ちとなります。あゝ、いつの日か、であります。ご支援のほどよろしくネ。出発!



●12月1日 初っ端(しょっぱな)からこける


 12月議会の初日です。議案の提案説明の日です。傍聴いような、でも議場には行きたくないような気分です。そこで、役場一回の案内の横のテレビを見に行きました。が、なんじゃこりゃ、です。椅子がありません。3時間も立って見ろ、というのか。ムリです。仕方なく、少し離れた受付の椅子に座ってみました。と、テレビの音が何も聞こえません。つぎにサポセンに行き、パソコンで議会の中継を見ようとしました。しかし、スタッフなどの協力も得たけれど、どうにも起動できません。何か規制がかかっているのでしょう。どうにも起動できません。そうこうしているうち、提案説明は終りとなりました。クソ!

 ちなみに、厚木にかぎらず、他市の議会だと、ソファーに座って、大画面・大音量のライブで議場の様子がわかります。たしか9月議会の「議会だより」で「町議会では、町民参加を基本とする開かれた議会を実現するため。インターネットによる議会本会議のライブ中継を行っております」と胸を張っていたけど、役場のそのテレビの傍聴はゼロ。もっとも議場にも傍聴者ゼロ。議会も議会だけど、町民もまた町民といえましょう。

 ともあれ、初っ端からこけたのでありました。



●12月1日(2)~ここが気になる~


 12月議会の提出議案は16件で、内訳は人事関係1件、条例関係5件、予算関係4件、そして陳情・要望関係6件です。この中の気になるものを拾いますが、さて、どうなるか。

 まず人事案件です。これは人権擁護委員の推薦というか、事実上、選出であります。気になるのは、民生委員でも同じですが、候補者が大方は元公務員であり、またほとんど候補者の適性が議会で審議されないことです。この案件はふつう初日に協議されますが、今回もスンナリ、質疑なしなのでありました。

 でも元公務員とはいかがか。ある意味、”天下り的”です。が、それ以上に気になるのは、かれらがふつう高給取りで、あまり苦労したことない人ということです。一方、擁護される側の多くはふつう社会的にも経済的にも辛酸をなめた方です。そのギャップがありすぎ、どこまで擁護できるでしょう。民間の苦労人の中から選ぶ努力がほしいです。

 つぎに条例ですが、ほとんどが国のマイナンバー制度の導入や年金の一元化にともなうものです。したがい条例の一部改正はやむを得ない面もあります。にしても思う。町のHPで議案のタイトルを見ても中身を想像できる町民はまずいません。HPに”わかりやすい議案の説明”が要るでしょう。

 なお、議案の一つに「町の保育の必要性を認定する基準」の見直しがあります。これは町議は保育の”実態”をどれほど把握しているか、実力が問われるので、見ものです。

 それから予算です。これまた「27年度一般会計補正予算2号」の議案名で中身の想像は100%不可能です。だから町民は議会に無関心です。町はもっと町民に分かってもらう努力を。

 それより最大の懸念は重要事項が「提出予定議案の一覧表」から外されていることです。それは北部病院の1300万円強の利子補給。こちらの方は「議員のみ全員協議会」で説明会があったとか。しかもその時議員に配られた資料は説明後に回収されたとか、町に何か不都合があるのでしょう。健全な議員なら怒るべき場面だったようです。

 そもそも「議員のみ全員協議会」はあやしげです。かつてある方が病気のとき、その実態を町民に知られないよう箝口令をしいたのも「議員のみ全員協議会」であります。当時、病状公開論を訴えたぼくは虐めにあいました。でも、今も、その方の命を縮めたのは「議員のみ全員協議会」と信じます。「のみ協」が秘密やいじめの場にならないことを祈ります。

 最後に陳情・要望関係です。私学への助成関係が2件、医療や介護従事者の処遇改善が2件、そして手話言語法制定と安保法案関係が各1件であります。すでにある会派では、「すべて趣旨了承」の動きです。この「趣旨了承」とは、「提案者の気持ちなりはわかるけんど、国へ意見書を出す程でもない」つまりは体のいい「反対」です。時に「深く議論するほどに知らない」です。さて、委員会ではどうなるか。

 なおこの日、議会中継のライブがダメだったので、ついに我が家でもインターネットはできるよう手配。パソコン込みで出費が10ン万円。イテェー。水木しげるさんが亡くなったので、妖怪対策の必要経費と思うことにした。10ン万円はバイトで埋めるべく、「家庭教師します」の折込広告も手配しました。



●12月2日 曇り ~国の買収行為か~


 半日ほど原稿書きの仕事。といっても仕事とあるように、この原稿でない。ささやかに有料原稿の仕事が11月に始まりました。メディアへの情報提供です。小遣い稼ぎです。

 ところで、新聞に「?」の記事2つ。

 一つは、マイナンバー制度への違憲提訴の記事です。なるほど制度は個人のマネーフローなどの情報を裸にします。その意味を含め、議会では悪法として反対の立場だったぼくにはプライバシー侵害の気持ちはわかります。でもそれが違憲か、となるとハテナです。念のため憲法を見直しましたが、トーシローのぼくにはよくわかりません。なにぶん、日本国憲法は抽象的表現が羅列の理念憲法ですから、まあ「解釈憲法」などがあり得るシロモノですから。違憲かどうかは別にして、マイナンバーの登録が直近の折、それに水を差すことだけは期待しています。

 あと一つは「低年金者給付3万円」の記事であります。これは「?」どころか、はっきり、最悪です。これが毎年給付で、対象者が700万人ほどなら多少は分かります。来年4月辺りからの給付で、一回こっきりで、対象が1250万人ってなんでしょう。とおぜんそれだと低額所得者でない者も含まれてしまいます。露骨な参院選対策なのは明確です。

 とはいえ、それを喜ぶ国民がいます。だから国にそうした発想が生まれます。となると、これは国を挙げての買収行為となります。つい先ごろの愛川町の選挙でも「○△さんは奢ってくれるから」や「△×のイベントに連れて行ってくれるから」で投票した方もいたようです。それで、つい腹が立つのでしょう。



●12月3日 雨のち曇 ~頑張れ新人~


 一般質問の初日です。質問者と要旨は以上。



井上 町長の政治姿勢(予算から公約)地域まちづくり委員会、高齢者の就労支援、深沢橋(細野)の危険箇所

山中 新教育長の考え方・指導方針、プレミアム商品券

渡辺 高校通学助成、病児保育、福祉バス

小倉 半原-林-本厚木バス、深沢右岸雨水対策、県道65号の雨水対策など

木下 町内のイベント、高齢者の移動手段、小中学校の設備、防災用備蓄

鈴木 75歳以上の医療費無償化、交通安全対策(桜台・中津大田・工業団地3丁目)



 さて傍聴であります。質問の殆どが今までの質問の繰り返しで、答弁も予測できます、というわけで、とくに新教育長の抱負を問う山中町議と新人の鈴木信一町議に注視しました。新体制の初議会ですので評価抜きですが、山中議員については、訊くべきを効き、批判すべきは抑える質問。以前の目立ち屋傾向というか力みは消えています。過去の町長選で失敗経験が活きたのか。

 また鈴木町議です。久しぶりに共産党らしさに出会った気分です。シッカリ弱者の代弁でありました。ぼくはイデオロギーはアンチ共産ですが、やはり共産党はそれらしくないと存在価値無しです。その意味で彼にもエールを送りたい。そのため気分の良い一日です。

 ところで75歳以上の医療費の無料化でありますが、皆さんはどう考えますか。超高齢者にはその負担がきつすぎる。それは現状です。その意味で、ぼくは鈴木さんの見方です。しかし、無料化には財源がいります。多分数億円、しかも高齢化の折、それはすぐ4,5億円にもなる。だから町長の「財源がない」の答弁は現実的です。そしてその意味では町長の味方です。

 ということは、言葉を帰ると、ぼくは鈴木町議には「財源論抜きにおねだりするな」であり、町長には「財源の捻出こそ町長の仕事でしょう」であります。町議会にはその発送が欠けています。

 かくいうぼくならどうするか。いま全国に医療改革をすすめて、3%~10%弱抑制した自治体が7、8あります。これを愛川町に適用すると数億から十億ほどの財源が捻出できます。ぼくならそうした先進例を議会で紹介するでしょう。もっとも、いまぼくはその立場でないし、たとえ立場であっても、町長には「大胆な改革」はできないでしょうけど。

(ともあれ、それについては後日より詳しく触れます)



 ところで、協、山中町議の質問が終わると、Aさんが渡辺町議の質問の傍聴に見えました。でもAさんは後藤祐一さんの愛川の後援会の幹部であり、山中町議は同じ後援会の顧問になっています。なぜ山中町議の傍聴でなかったのか不思議な事でありました。



●12月4日 晴れ ~ま、いいか~


 一般質問の2日目、以下はその要旨です。



小林 空き家対策、志田峠残土処分場脇の道路の通行止め、子育て支援(新制度、多子世帯支援)

佐藤(茂) 町の防犯、鳥獣被害問題

阿部隆之 バス路線(半原発本厚木・田名急行バス)、子育て支援(待機児童)、学力向上(放課後の事業など)

佐藤(りえ) 小中学校の文化芸術教育など、認知症サポーター、災害廃棄物処理

岸上敦子 安全対策(防犯カメラ)、交通利便性(循環バス、デマンド交通)

熊坂(崇徳) 愛川の教育(学力向上、生きる力の教育、いじめ)企業、産業誘致、雇用対策(含むショッピングモール)



 さて、今日の傍聴は新人の阿部・岸上両町議です。どうだったか。議会での初質問なので技倆は問いません。そもそもボクの時より落ち着いて立派だったし、ともかく新人らしく一生懸命がよかった、とします。その意味は、議会は新人の多いほうが良い、も含みます。ただし、テーマはどうでしょう。すでに何回も出ている話です。過去を調べ、そこに新しい提案や切り口を加える事を期待します。そんなわけで、とりあえずはエールです。

 にしても、新しいメンバーを加えての最初の議会から4名の質問なしは残念。三役(議長・副議長・監査)の質問なしは慣例とかいうけど、16人の定員だと1/4も質問無しとなりますし、じっさい副議長や監査が質問に立つ議会はいくらでもあるのですから。そして質問なしのあと一人。かれはその常連ですから、ここまできたら「議会に一般質問はいらない」がかれの主張なのだと受け止めましょう。ついでに政務調査費も辞退もすれば立派です。今後に期待しています。

●12月5日 晴れ ~国家のイジメか~


 一般質問が終わったので、じっくり新聞を見なおしていたら「インボイス21年導入」の記事。「なんじゃ、こりゃ」です。インボイスって事業者が取引するとき、品目ごとの税額を記入する税額票のことですよね。あゝ、経理がどれだけややこしくなることやら、そのための経費がいくら掛かるやら、普通の中堅企業ならまだわかる。わが町の潰れそうな個人商店なんてどうなるの?



 たしか消費税を上げ時、それに対応するレジを購入するのに借金した方がいます。そのレジの原価償却の終わらないうちに、マイナンバーの導入、それにも対応するのに金が要ります。そして、今度はインボイスの導入ですか。ざけんなよ。これだとまるでイジメではないですか。「何かを導入するなら、まずは条件整備をしてから」 それはぼくの考え方ですから腹が立ちます。この姿勢だと、一億層活躍の前、一億共倒れになるでしょう。

2015年10月30日金曜日

町議選の顛末

かくて、ぼくだけ落選


10月4日夜、開票から45分経過、第一報は1人を除き300票で横一線。が、順調はそこまでです。その後は現職の全員が表を伸ばすも新人の2人とぼくが伸び悩む。そして第三報10時半過ぎ、その新人の一人にも7票の差をつけられる。もう逆転はありえない。

 皆さん、ごめんなさい。全てはぼくの責任です。不徳です。ここに居る方には大変よくして頂きました。深く深くお詫び申し上げます。

 かくして、ぼくは落選。ぼくの敗戦の弁はほぼこのように始まった。その後、みんなで激励会やら反省会などがあった。「私たちの努力不足です」「もっと頑張るべきでした」「まだ逆転のチャンスはある」とか「自転車選挙は失敗だった」「油断があった」「しつこく戸別訪問すべきだった」「大音響の選挙カーでないと勝てない」「ワナに嵌ったのよ」「嘘ついた人の勝ち」「政策より連呼」……。

 もうぼくの耳に入らない。ただただ仲間にそう語らせたことが悲しい。失敗は戻せない。

 それら全て含め、招いたのはぼくの自信過剰です。これから2週間、3週間、いや1ヶ月2ヶ月3ヶ月、よく反省し、自分を見つめ、今後を決めます。それでお許し下さい。

 そして集まりを閉じ、寝れないままに寝た。


それから3週間


 さて、落選の翌日からです、ふつう「落ちたその日から選挙の始まり」というが、それは一般論にすぎない。ぼくは独身だし、部屋にはゴミ(書類)の山。まず、初日は幟を立てさせてくれた方へお礼周りし、昼は片付け。夜はお詫び回りの続きで、バタンキュー。

 2日目以降も似ている。とりあえず積めば5メートルを超す書類の処分とお詫び行脚に5,6日。その間、夜は1に反省、2に反省、心のなかに涙、悔しさ、自責に怒り。

 でも片付いたのはまだ3分の1で、その続き。それに議会だよりや政務活動費精算とかいろいろ。他に選挙違反へのタレコミや苦情への対応その他。


行脚は語る ~努力への評価ゼロ~


 この原稿の時点で3週間ほど支援(してくれたと思える)方を、票を無駄にしたお詫びをして回りました。大方は、相手が支持者なので、励ましと労いをいただきましたが、反省材料として大切なのは批判の”お言葉”です。何が多かったか。以下順に。

① 今回は“楽勝”の噂だったので投票を控えたよ(あるいは人に勧めなかったよ)。

② 前回は4,5回見えたけど、今回は1度だったので他の人にしたよ(じつは3度顔出して留守だと放置したみたいな方が少なくない)

③ 前回は3,4回家の方への来たけど、来なかった。選挙してたの?(町内全域回ったが、自転車のため、スピードは1/9のためか)

④ 選挙は1に大音響、2に大音響、戸別訪問と握手だろう。政策なんて関係なし。常識だよ。

ご批判の9割がそれでした。選挙に大切なのは、議会活動ではなかったのかも。いかに町民は自分に関心を持ってくれるかだったのかもしれません。


想うこと ~努力はムダなのか~


家内の遺志で弱者を救うと決めました。7年学び、「これでいいですか」と「内視鏡」の2紙で14年訴えました。政治家よ学べ、提案せよ、町をチェックしろ、とか、発行のため借金を抱えた時期も。結果は落選。「議会を変えたい」はムダだったのでしょうか。


これからどうするか ~重い責務を~


 では、政治を離れるか。10月2軒知人が引っ越しました。「町に期待できない」と。ぼくの責任は重い。

 4年後に再挑戦か。72歳です。すでに8年ロスしています。後継者を育てる時間はありません。

 当面は無職です。仕事の話はあるけど、安易にフルで働けない。家庭教師の仕事を探そうか。でもその後は?

 困るのは膨大な「愛川町の内視鏡」の継続依頼です。ある町議の支援の申し出をいただいたのですが……。


でも478人への責任 ~お詫び・反省・そして未来~


 日時 11月4日(水)17:30~18:30

 場所 カフェ小さな庭(田代サークルK裏)

 会費 1人500円(茶菓代)

 資格 投票してくれた方、しなかったのを後悔の方はぜひ。



・今回の選挙の舞台裏も語ります。

2015年9月24日木曜日

(注)ある立候補予定者のブログやポスティング新聞に



 ある立候補予定者のブログやポスティング新聞に次の記事。

 要約すると、

15日の委員会で、玉利は、安保法の中止を求める陳情を採択しました」とあります。

 正しくは

14日の総務建設委員会で、玉利は、安保法案の中止を求める陳情について不採択の意志を表明しました」

となります。

 とはいえ、日付も、名前も採択も違っているので、ジョーク扱いで、その候補者を責めません。きっと多忙と疲れからくる勘違いでしょう。
(編集子注:24日現在、そのブログの記述が訂正されたのを確認しました)


 ちなみに、関連陳情には2件あり、一つは「継続」を求めるもの、あとの一つが「中止」を求めるものです。ぼくは「継続」を求めるものを「採択」したので、「中止」に対し「採択」はありえません。議員に「二律背反」は禁じ手であります。当たり前ですが。



 ところで、大方の町議はその両方を「継続」としました。「継続」を求める陳情の「継続」をもとめ、さらに「中止」を求める陳情へも「継続」を求めたのは論理の矛盾です。これまた二律背反なので、ありえないことです。同じ安保法案に対し、同じ人間が継続審議を求めながら、中止についても検討するなんてできません。とても不思議な常任委員会でありました。ぼくは恥ずかしい。

2015年9月19日土曜日

(~20日まで)



 安全保障関連法(安保法)が成立です。違憲性が限りなく高いので、内閣の支持率は急落するのでしょう。

 ぼくが与党ならばどうしたか。きっと違憲の疑いは素直に認めます。そのうえで、周辺諸国の危険を強く訴える。そして、たぶん、だから安保法は必要だけど、これは憲法改正なみにハードルを高くして臨みたい。特例的に衆参の可決条件を2/3以上にするからご理解ください、とでもしようか。

 野党ならどうするか。安保法反対は憲法上から正しいとして、国民の周辺諸国への不安に応えてないのは事実です。どうせ成立する法案に強く反対しても、強行採決ならぬ”強行否決”になるのも事実です。国民の圧倒的支持は得られません。が、幸い違憲論は絶好調でした。ぼくなら安保法を違憲審査にかけるかも。

 そんなことを無責任に考えながらの19日の朝です。さて、安保法は成立したし、明日からは本格的に選挙活動となります。で、まずはこの内視鏡をすませ、フリーになって、告示後に万全を期す準備でありました。結局、なんやかやで、2日では終わらなかったけど。まあ、19日にはゲートボール大会があったし、20日にはラビンの公民館まつりやあいかわ公園では「糸の里」の催しや国会議員との会食があったり。ウーッ。なんやかやあるのでした。



 ところで、もう一週間で告示です。あと一回この内視鏡を更新したらしばらく休止です。ふつうは選挙期間中ほど毎日更新するようですが、ぼくは逆です。「議員は日頃の活動で評価されるべきで、選挙のときだけ活動しない」の信念によります。お許しとご理解を!

 選挙中はひたすら、恥ずかしながら自己のアピールに専念しますが、まずは新倉さん、それに山中さん、渡辺さんの成功を祈ります。働かない、信念のない、責任感のない人との”選手交代”を強く強く願うからです。ともに引き締まっていきましょう。ともに町を変えましょう。



2015年9月18日金曜日

あゝ、任期の終わりです。



 本会議の最終日です。議運(議会運営協議会)や全協(全員協議会)などあって、”本番”です。つまり議案の採決です。

 まあ、ふつうシャンシャンシャンと進行するのでありますが、今回は例外。出だし35~37号議案、番号法(いわゆるマイナンバー制)に関わる条例の制定であります。安保法案と同じに国民が心配しているものです。ぼくは、小林町議に続いて、反対討論をしました。かの女が論理を展開したので、こちらは情に訴えました。すでにその危険は様々に説明してきたことだし。なお、木下町議がナンバー制の利便性を訴えていましたが、その時ぼくは、買い物のたびにナンバーカードを提出する人、カードを紛失して戸惑う町民、まだ端末機がなく困っている商売人の顔をおもいうかべたりしました。が、結果は賛成多数で採択されました。想定内のことですが、ぼくの是々非々主義は変えられません。町民の代弁者ですから。あとの法案はシャンシャンシャンでした。決算議会ではそれが普通です。

 つづいて陳情関連です。まずは例の安保法案関連の2つの陳情の扱いであります。これまたすでにふれたとおり、「審議不要」の流れでしたが、小林町議の「異議あり!」発言で、表決することになりました。むろん結果は見えてます。かの女と井上町議とぼくだけが委員会の表決結果に反対。つまりは「継続」となるけど、そしてこの「継続」は、国会では法案が通るので、闇に消えることとなります。愛川町の議会は、これだけ重要な法案に、何の意思表示も示さなかったという事実だけを残すでしょう。恥じ入る限りです。もちろん「中止」を求める陳情の扱いも同じです。議会は賛成にしろ反対にしろ、意志を表明しないままでした。

 外国人の扶養控除制度の見直しについてはやや趣を異とします。実態の不明のまま採決としました。意志は表明したけれど、町民は実態を知らないままでしょう。そして”本会議”の最後は、過去の議会にも提出された、あの義務教育に関わる国の財源確保や35人以下学級の実施その他を求める陳情の表決です。これは”根回し”の成果か、採択となりました。といっても、その間、事態が変わったわけではありません。根回しの有無だけで、前回のときと表決の結果が変わるとは。なんか情けないです。

 まあ、そんなふうに本会議が終わり、そのあと全員のみ協議会やら議会だよりの委員会やらその他があって、一日のスケジュール終了。なお、その全員のみ協議会では、町からの報告として、三増の運動競技場の改修を国から求められていて、1億ン千万円かかる話があったり、任期の終わりなので町へ返納する資料や物品やロッカーその他の掃除の話やら。いよいよ「任期の最後」を実感です。そのためか競技場の話もとりあえずは「えっ、そんなに掛かる?」 町民の立場で受け止めました。

 そして、最後の最後が、町の理事たち(部長以上)と議員との懇親会です。そもそも懇親が苦手だし、選挙直前の酒席に気が引けます。シラフで望んだため、あるいは職員とは”適切な緊張関係”を意識して臨んだためか、ぼく的には盛り上がりを欠いたまま、お開きとなりました。



 昨日以上に長い、長い、ながーい一日でした。

2015年9月15日火曜日

(~17日まで) 不適切表現?



 やれ「公聴会では安保法案反対の声が強かった」とか「委員会は可決の強行」、そして「いよいよ参院可決か」と巷は騒然、そうしたなかで、こちらも「当選」目指し、「ふだんどおり」に東へ奔り、西へ行くです。

 その間、立候補届の事前申請書の作成がちょっと煩わしかったり、委員会で安保法案関係の陳情に「審議不要」の声が流れたり。そうそう「審議不要」であります。この言葉は、国の法案が審議中のものに対し、その継続を求める陳情に対し使われます。今回の安保法案は、18日の町議会の日には可決されているやもしれません。そうなると、町の委員会への継続を求める陳情は事実上は無効になります。今更議会で陳情を採択しても無駄になります。だから表決しない。それが審議不要です。さて、どうなるか。

 なお、17日は選挙関係書類の事前申請です。ぼくに、選挙事務所も、有償の運動員も、それにいわゆる選挙カーもありません。(中に、書類不備で焦った方もいたようですが)割とすんなり行きました。いや、一点ミス(?)ぼくの選挙公報用の文章の一部が過激すぎて不適切とか。ぼく的に事実を表現しただけだけど。まあ、揉めてもカドが立つだけだし、そんなもの消してもぼくはぼくだし、ということで、一箇所抹消でありました。



 そして、夜。書類を出したので、いよいよ追い込みです。仲間と告示するまでのスケジュールの打ち合わせをしました。

2015年9月14日月曜日

あゝ条例、あゝ陳情



 朝、5時すぎから自分の質疑事項を再チェックし、一服し、総務建設常任委員会の経済建設委員会所管の質疑のため役場へ。

 で、私の質疑事項は、条例関係1項目を含めて6項目です。

 さて、条例ですが、議案のタイトルは「愛川町町営住宅条例の一部改正」です。議会だよりにはそれへの賛否結果が乗るのですが、このタイトルを見て、中身のわかる方はまずいない。じつは、条例の改正は、かの原発事故をきっかけに、その被災者を救うために公営住宅法の一部が改正されたことによります。愛川町でも、おかげで2世帯がスムースへ町営住宅へ引っ越しできました。だからケチを付けるため質疑したわけでありません。町の議案には、かくタイトルでは中身不明のものが沢山あります。一番の狙いは「意味不明の悪癖」の是正を願うものでした。町民への説明責任も果たしたい。それはオマケです。

 かくて質疑しました。今後、議案のタイトルが町民にもわかりやすくするように注文をつけたのは無論です。

 そして、その他の質疑です。5項目ありますが、共通項は同じです。町の事業わけても助成などの事業には算出基準や対費用効果して目標達成度の不明のものがいろいろあります。そのため、助成にばらつきがあります。たとえば同じような町民活動への助成でも、あるものは100万円、またあるものは42万円、さらに助成額0円と言った具合です。今回は(というかいつもですが)そうしたものを拾い上げ、是正の要望を出しました。

 そして、最後が陳情審議です。安保法案が2件、外国住民の税関係が1件。

 さて、安保関係は、一件が「慎重審議」をもとめて国へ意見書を提出するものであり、あと一つは「法案の中止」を求めるものです。

 結論から言うと、小倉、木下、鈴木の3町議が、陳情に対して「継続」の表明で、小林町議とぼくとは「採択」でありました。その小林さんとぼくとは、法案への評価はかなり異なるが、「国民の理解が得られていない」では一致です。つまり町民の代弁をしました。

 つづいて「法案の中止」についてです。今度は、ぼく以外が陳情の「継続審査」をきめました。 ぼくは国民の多くが、継続審議を求めている折、あるいは「よくわからない」折、陳情不採択としました。国民の多くが「賛成」でも「反対」でもなく、「中止(ほぼ反対)とまでは言えないからです。やはり町民の立場にたちました。皆さんはどうでしょう。

 そして、最後の審査は「外国人の扶養控除制度の見直しを求める意見書の提出」についての陳情です。平たく、というか雑に言うと、外国人は子沢山が多く、つまり税の控除対象車が多い。そのためかれらの多くは税金を払わない。いかがなものか、というのです。これについても、ぼく以外は陳情採択でありました。

 が、これは、実は厄介な問題です。「外国人」と一括りに言うけど、国籍が様々であり、とおぜん彼らの国の文化、宗教、法律、風俗、習慣、じつに多様です。そのかれらにいきなり一律に日本の制度の枠をはめると、たちまち生活に困窮する方がン万人いるとも言われています。ということは、今度は生活保護対象の激増で、かえって国の出費(税)が増えるとも言われています。町議の多くは、陳情を鵜呑みに採択したけど、いかがか。ぼく的には外国人の生活実態の把握がその前の仕事です。その意味で「継続審査」の断としました。よくわからないことに「採択」などと言うほど知ったかぶりはできません。知ったもどきはおじん・おばんの雑談調査となります。

 というわけで、ふだんは事前調査して陳情の調査に臨むのですが、今回は時間がなかったので継続審査を主張しました。



 ともあれ、ともあれ、長い一日でした。

2015年9月13日日曜日

お知らせ



 ①いよいよノボリを立てた自転車(?)で走り回ります。ぼくの考えを知りたい方は気軽に声をおかけください。簡単な「活動報告」をさしあげます、

 ②告示(9/29)後は、しばらくブログを休みます。多忙だし、「日常の活動で勝負する」が信念だからです。お許し下さい。



オマケ 愛川町議選、どうなるの⑤



 いよいよ、事実上、選挙戦の後半かも。ふつう告示前に大勢が決まるから。でも、表面は静かで、地下でデッドヒートです。

 というのも町民の関心はイマ1、イマ2、イマ3か。現職町議への失望が理由です。そしてその意味は、たぶん数人は得票を増やすけど、大方は前回より票を減らす、です。つまり、たくさんの方がボーダーラインに並びます。だからデッドヒートです。人気がないのだ。

 思えば、◯△議員を落とす会みたいのなのを作られたり、事実上は後援会なしが4、5名出たりです。新人にはチャンスです。

 が、が、が、その新人も気になる。知名度の低さは相変わらずです。がんばってください。目立ってください。知られてください。エールを送ります。あなたたちの当選が、議会を変え、町を変えるのですから。



 つい我が身の危険を顧みず、声援するのです。ガンバレ。ガンバレ、ガンバレー! 働かない人、ウソをつく人、ブレる人を乗り越えましょう。

ちょっと手抜きで



 午前中は内視鏡書き、そして午后は地元歩きの選挙スケジュール。疲れがたまりすぎないようにという自分へのいいわけです。そうそう、裏の川原に顔を出したけど、珍しく草むしりなどの作業はサボりです。

 午后。で、夕方まで地元歩きにとどめました。なお、一部、区長さんにも手伝ってもらったけど、おっ、おっ、その反応の良さにビックリ。いや、ぼくでなく、区長さんへの信頼にビックリ。



 そして夜。明日が常任委員会なので、その資料にざっと目を通し、早寝(10:00)でありました。

2015年9月12日土曜日

ふれあい祭りへ



 まず、多忙になるので床屋へ行き、それから町の、というか社協の「ふれあいまつり」へ。障害者とボランティア中心の祭りです。時節柄か町議の参加多いも、ぼくは、日常、関係者とふれ合っているので早々に切り上げ。もともと知っている方の顔、顔、顔なのです。



 で、午后です。「小さな庭」で同業者(立候補予定者)と情報交換してから家へ戻り、町内会費の集金です。セッセ、セッセ。ついでに周辺、つまり地元の知人を回って、沿線の知人を訪ね歩きながらサポセンへ。そこで選挙公報用の分の校正やら修正、それから気分転換に碁を2局打って、負けて、大塚区あたりの知人の訪ね歩きです。フーッ。

2015年9月11日金曜日

9月11日



 朝、「鬼怒川決壊」のニュースを読んでから、決算書の”あらさがし”をしたり、陳情3件のうち1件について勉強不足もあり、裏付け調査です。それからは14日の常任委員会(建設所管)にそなえ、所管と打ち合わせ。つまり、舞台裏では課題についてしつこくしつこく。あとは選挙時「いつも通り」です。

 なお、鬼怒川の決壊では、俗説では、その名(鬼の怒り)のとおり、この川は古代よりしばしば氾濫にしたとか。いつか起きることが起きたのでしょうか。自然の脅威の再確認です。そして思う。自然災害に想定内は無し。

 まず、避難命令にミスはあったけど、やはり、それを含めて想定外です。ただただ被災者がかわいそう。そのなかで、自衛隊その他がテキパキ活躍したのが救いです。

 関係者の皆様、ご苦労様、ありがとう。



2015年9月10日木曜日

オマケ 総括質疑の本旨



 総括質疑は原則的に町からの議案についての質疑です。その議案は、条例その他もありますが、多くは予算関係です。そして予算には国や県からの助成を含みますが、その過半に税が使われます。ということは、総括質疑とは、税の使途のチェックとも言えます。

 いきおい、総括質疑の関心の中心は、支出のあり方です。問われるべきは、事業の正当性、目的、目的と予算額との整合性。対投資効果、成果なのです。が、現実の議会ではあまり云々されません。一番に、ムチャな事業があまりない、ということがあります。議案は上からの指示なので、担当職員をイジメても仕方ないの意見もあります。時に、町議が勉強不足で、役人の答弁を鵜呑みするせいもあります。そのせいか、ぼくの記憶に、議会が議案を否決したことはありません。一部の議員が一部の議案に反対することはあっても。しかも、質疑は「疑を質す」であって、「わからないことを聞く」であって、総括質疑の議会の場は、提案する場ではありません。



 そこで、ぼくはどうしているか。じつは、質疑前の打ち合わせに全力を挙げてます。そもそも予算の多くは、よく言えば継続事業、わるくいうと慣例か、マンネリで、根拠の薄いものもあります。事業の達成度目標はあいまいです。したがい事業の成果の検証も不明です。そこで、ぼくは打ち合わせでその点を十分にしつこく指摘し、改善や見直しを求めます。「議場では追及しなから」といって、「ここまでは見直してくれ」とか。そして、本番(議場)では、町民にも「どうやら課題があるらしい」と思える程度の質疑をし、要望を出したりして収めます、総括質疑とは、かく気の長い、メンドッチィ質疑です。

マイナンバーの是非



 総務建設常任委員会の「総務所管」審議の日です。ぼくは、条例について1件、ふつうの事業では5項目について質疑しました。

 なお、その条例ですが、項目名は「愛川町職員の再任用に関する条例の一部改正」です。たぶん、普通の町民には意味不明です。まさに行政的表現です。そして、たとえば「議会だより」は、その意味不明のままに、議会の採決の結果を載せます。これだと、議案はまさに「闇から闇に」になってしまう。ぼくはむろん問題のある条例は質疑しますが、問題がなくとも「意味不明」は訊きます。でないと町民は(差別用語で悪いけんど)つんぼ桟敷にさらされるからです。説明責任が果たせません。

 そこで、条例の中身です。手短に言うと、国の「共済年金」を「厚生年金」へ一元化するための法改正に伴う条例の一部改正です。少し立ち入ると、年金財政の逼迫と、国民の年金への不公平感を配慮したものです。ちなみにその年金の受給額ですが、平均20万円ほどで、国民年金に比べれば圧倒的な高額です。そのあたりの実態を明らかにしたい意味もあり、質疑したのでありました。

 条例といえば、この委員会に負託されたものにマイナンバー法(番号法)にともなう条例の一部改正もありました。ぼく的にはこちらをやりたいけど避けました。小林議員に「やりたい感」があふれていたから、同じことをすればスタンドプレイになってしまう。その代わり、採決前に、彼女を支えて、視点を変えた反対討論をしました。

 なお、条例といえば、その多くは法や県条例の改正に伴うものです。ぼくは原則的に反対しません。かえって行政を混乱させるからです。しかし、中には法や法の改正が地方の行政を混乱させるものがあります。制度設計の拙速のせいで、この頃、そうした傾向が増えてます。その場合。ぼくは、町民は無論、町の職員を思い、その意思表示に反対します。国の法による条例の改正だからといって、なんでも賛成とは限りません。



 委員会のあとは、新聞販売店を歩きまわったり、知人を訪ね歩いたり、長い一日でありました。

2015年9月9日水曜日

厚木市議会へ



 どうやら台風の直撃です。しかし、決めたことは決めたことなので、まずは役所で質疑の打ち合わせ、それから厚木へ。ある必要で議会の傍聴と市議との情報交換です。で、3時過ぎに晴れてきたので、選挙時「いつも」です。



 なお、その厚木市議会ですが、一つ驚き。ふつう改選後の初議会だとほぼ100パーセント新人の一般質問があります。だから市民は注目します。が、今回、公明党の新人の質問がなかったとか。議席を一つ増やしたばかりなのにです。これだと「何のために増やしたの」と言われかねません。きっと深い事情があったと想像はするけれど、わが町も選挙直前、公明党の新人に影響ないか心配です。

2015年9月8日火曜日

終日、議会



 朝の9時から夕方の5時近くまで議会です。一度に「個人総括質疑」と「会派代表質疑」とをやったせいです。選挙が近いので日程を圧縮したのでしょう。

 にしても腹が立ちます。決算議会とはいえ、チェックすべき課題はたくさんあります。だから、普通どこの議会も先に常任委員会でいろいろ細かくチェックして、然るのち文字通り総括的に「総括質疑」です。それを先に総括して、あとから委員会で細部をやるなんて! 順番が逆さです。フン。



 夜は、というか、怒りを込め、夜中まで委員会のための勉強をしたり、チェック事項の調査をしたりしました。

2015年9月6日日曜日

(7日まで) いつも+α



 8日が議会の総括質疑の日です。すでに議案や決算書その他に目を通していますが、もう一度チェックです。そして結論、やはりぼくは個人総括質疑はパスです。「個人」だと「会派代表質疑」とちがって、肝心の「決算」も「条例」も質疑できません。ウーッ、今回も制度の不公平に怒るばかりでありました。



 あとは、新聞販売店で折り込みを手配するなどのほかは、選挙時の「いつも通り」です。

2015年9月5日土曜日

オマケ 町議選、どうなる④



 このシリーズが始まってから、平行して、たとえば小林町議のチラシ他、何人かの方を讃えています。そして、称えるといえば、昨日、ある明るい選挙をすすめる会の方が「もといさんのチラシもなかなか宜しい、正直で」に「1期目、2期、それに新人のチラシは概ねいいよネ」と付け加えます。そして、思う。政治家はぶれない、嘘を付かないが命です。その視点に経つと公明党や弘久町議も嘘をつきません。町民はけっこうよく見ています。はたしてそれが選挙の結果に出るのでしょうか。それとも、最後は地縁が優先となるのか。ともあれ、公約も判断材料ですが、ウソも書けます。その点、ウソを付かないは大きな判断基準です。そうなれば、町は良くなります。さて、そのあたりがどうなるか。今日のぼくの最大の関心事です。

 整理します。働いているかいないか、公約は正直で具体的か、日頃ウソをついていないか、議員ズレしていないか、以上が選択基準です。みなさんはどう思いますか、。

 なお、書き漏らし一つ。先日、立候補予定者19名としましたが、その後、町へ選挙資料をとりに見えた方がいます。もしかして田代から3人立てば20名となります。




忙中閑(?)



 シルバー人材の研修の日です。じつは長瀞とか小江戸「川越」へ旅行です。大好きな囲碁の大会と重なりましたが、我慢し、旅行を優先しました。何しろ「知人を紹介するゾ」という方が3,4人いて、時節柄、いやしいぼくはシルバー旅行を採りました。もっとも平均年齢が75歳を超えているとか。明日には「あの人、誰だっけ?」の可能性大です。帰りのバスのアヤノコージ・キミマロのビデオに夢中でありました。



 まあいいか、楽しかったし、気分が変わったし。

2015年9月4日金曜日

ただドキドキ



 法ができた途端、もう改正番号法(マイナンバー法)の成立で迎えた朝です。午前は原を立てながらも「いつも通り」です。

 そして午后、後援会(支え合う会)ができてから最初のささやかな会合。それから3週間ほど経っているので、テーマは今までの活動状況の報告と今後の予定です。大方は素人の集まりなので、スムースには進行しません。僕自身はこうした会合は何十回も経験しているので、ハラハラ、ドキドキ。でも当の本人がしゃしゃり出るわけには行きません。じっと我慢です。ただニコニコ。

 あとからいくつか苦情もありました。たとえばAさんはいかに歩きまわったか、そして評判が良かったかの話。Bさんは、玉利がいかに知名度がないかとか消防訓練に参加しなかったことへの苦言。「えっ、心配になる。あの人、応援しているの?」の声。Cさんは「勝手に2,3人で喋ってばかりで、皆の声を聞けよ」と、そしてDさんは「雑談が多くて、時間ばかりかかって、嫌になる」 たとえばそんな具合です。しかし、それについてもぼくは、ニコニコ、「そうだね、そうだね」でありました。まあ、こうした会合は、ふつう、本人はわきにおき、というか一番多忙なので抜きにして、「いかに票をあつめるか」ばかりなのですが。とても民主的なのです。

 なお、消防訓練の件ですが、ぼくの多忙を気にして、担当者があえて連絡しなかったようです。



 ともあれ思う。ピリピリしないで、仲良くテキパキー、明るく行きましょう、善意の集まりですから。それぞれの顔をたて、励ましあって! ぼくの願いです。

2015年9月3日木曜日

いつもどおりです。



 今日は、終日いつもどおりです。といっても、選挙前のことの「いつも」ですから、中身が違います。知人を求めての東奔西走でありました。

 ところで気になる今朝の新聞、「ナンバー制でDVの被害者の居所が加害者にバレる」とか、「資産のガラス張り化で被害者が出る」とかいろいろ思い当たるけど、一例。

 10年ほど前のことです。母子家庭で暴力をふるう精神障害の息子を抱えている方がおりました。その暴力が強まり、その方は過労で病気になり、働けなくなりました。このままだと共倒れです。子どもを施設に預けたいけど町は相談に乗ってくれません。そこでぼくは一計、「しばらく身を隠しなさい」 そしてかの女が消えてから、ぼくが匿名で町に通報一方。案の定、町は慌てて息子を精神病院に入所させました。

 が、今度はかの女の身の振り方の問題が残ります。今更現れ役場に相談できません。他市に移し、そこで生活保護を申請することにしました。高齢の病人ですから。しかし、ネックがあります。息子の医療費と葬式代のためにコツコツためたささやかな預金があります。が預金があると、申請できません。今度は解約させ、友人に託して、問題を解決しました。




 さてナンバー制ですが、居所不明についても、預金についても、それを守る国のガイダンスはありません。導入されるとどうなるか。このところ、国は前のめりかつ拙速な法律を次々作るけど不備だらけ。わけてもナンバー制はその見本です。ぼくが気にする理由です。

 思う。議会の最終日には、マイナンバー制に伴う条例の改正があるけれど、ぼくは反対しようかな。



2015年9月2日水曜日

これは良問



 一般質問の2日目、10名中6人が済み、いまは残り4名となります。ふつう一般質問の多くは大きなテーマだと、とかく町の方針とか事業の進捗状を訊きがちです。それに要望だけを語りがちです。が、オッと思ったのが熊坂崇徳町議の狭隘道路についての質問でした。単に「減らす努力をしてください」ではありません。周辺の市町では、この難問にどんな解決の手立てを設けているか。町でも活用できそうなヒントがあり、説得力があります。ぼくは心中でエールです。

 そして、大トリは鈴木町議です。エールといえば、議員生活最後の質問ということで、町議の全員が議席から拍手です。

 さて、その拍手です。町では議場の拍手を禁じています。しかし、周辺の議会には、毎回、議席から皆で拍手するところがあります、同じ会派の仲間が拍手するところもあり、傍聴席から拍手の出るところもあります。まあヤジはすこし疑問です。毎回の拍手だとセレモニーになります。しかし、チェック能力の高い質問や良質な質問への拍手はどうでしょう。たぶん議会の質を高めるのに役立ちそう。そう思うのでした。がんばろう、崇徳さん。



 午后は、任期最終ということで、質問後に全員での記念撮影があってから散会。ぼくは帰途、沿線を10ン件まわって我が家です。そして夜は内視鏡書き。

2015年8月31日月曜日

議会の初日は……



 議会の初日です。中身はどうか。決算議会は形式的にいつも同じなので、以下、参考のために触れます。

まず全員協議会が開かれ、そこで運営委員会委員長の報告があります。中身は主に9月議会の日程とか進め方です。それから議会改革委員会からの報告です。そして、あと一つ、教育長の任命と人権擁護委員の推薦についてです。人事案件は、本会議に入る前に、事前説明があるのです。全部で20分ほど。

 それから本会議です。会期や陳情は監査結果その他の報告があって、教育長の任命はここで採決されます。それから条例や決算や補正予算や決算の説明、その他もろもろ。なお、ふだんはここで検討員会の報告はしませんが、今回は任期の最後ということで、いままでの検討事項のまとめです。

 ところで、ここまでに気になること3つ、まずは、教育長人事です、大切なので、ぼくも候補者の専門性や教育の基本理念を尋ねたけど、あまり答えられませんでした。仕方ない、今までこんなこと伺う町議はいなかったし、いわば不意打ちだったわけだし。

 つぎは会期ですが、これは毎度のことです。今回は8月31日にスタートして、最終日が24日なので「25日間」と表現されたけど、その24日は予備日で、本会議の最終日は18日です。しかもその18日までに役場に毎日足を運ぶのは、委員会を含めて9回です。実質は9日間です。せめて、まあ、その間、勉強している方もいるから、「会期19日間」と表現してほしい。「25日間」はまるでウソっぽい。恥ずかしいです。

 そして、あと一つ、ナンバー制の中止または延期を求める陳情は「机上配布」扱いとなりました。「机上配布」とは、議員の机の上に陳情書を配るだけ、つまり審議しないということです。「もう法律ができちゃった後だから、審議しても無意味」というわけ。なんじゃ、これ! 議員は、国が決めたことになんでもOKか、それはないよネ。いま国民の多くが反対している安保法案もとおればそうなるのか。反対派の議員もOKするのか。まさに「国民主権」の否定です。ちなみにこのナンバー制も国民の多くが時期尚早と感じています。

 まあ、そんなことを思っている中、本会議が終わって、今度は「議員のみ全員協議会」です。こちらも任期の最後ということでしょうか。ほぼシャン、シャン、シャンで、質問も議論もほぼなくおしまい。でもネ、ここでも一つ気が引ける。それは実質的議会の最終日に町と議員の懇親会の開催を決めたこと。任期の最後だし、10月には議席を失ってる方もいるだろうから、趣旨は分かります。にしても、時は任期直前、ぼくたちは真剣に町民に自分の思いを伝えなくてはなりません。その時期、飲んでワイワイガヤガヤ。気の引ける理由です。しかし、欠席もまた角が立つ。酒を断って、慎ましく行きます。

 さて、戻って、午后であります。サポセンや久美堂(書店)などで所用をすませて、箕輪、田代区をまわって帰宅。夜は決算書とにらめっこです。気の引ける一日でした。



2015年8月30日日曜日

あれれ、愛川夏まつり



 午前は、昨日の続き、6時から9時くらいまでこの内視鏡書きをして、それから近くの原臼区などで10数軒を訪ねて、天気が悪すぎてギブアップ。

 午后は、早め昼食をとってから、田代の一部を歩き、三増区を少し回って、八菅の愛川夏祭りへ。

 この愛川夏祭り、今年で8回目となる。町民の、町民による、町民のための祭りで、とても良いものです。だから、昨年は大盛況だったのですが、今年は天気が悪く、人出はきっと去年の7、8分の1かも。準備にテマ・ヒマと金がかかっただろうに。それに今年はじめて町の後援は取れたが、町からの資金援助はゼロ。同じ民営の祭りでも、たとえば三増の合戦まつりに町は膨大な助成をしてるのに~、何だこの差は。ちなみに、その合戦まつりにには、来賓席に役人とか町議がいっぱいだけど、こちらはぼくだけ。もう一度、この差は何なんだ。



 まあ、その祭りも早めに切り上げ、ついでに上熊坂地区を7,8箇所出歩いて、家へ。明日が議会の初日です。夜は町からの資料をパラパラ。11時まで。

2015年8月29日土曜日

いよいよ悪法



 9月議会の直前プラス告示まで一ヶ月です。忙しさは普段の2倍。というわけで、朝は5時に起き、まずは議会の案件の中の条例改正と陳情のチェックです。れ、れっ、条例にも陳情にもマイナンバー(行政用語では番号制)関係がある。まあ、ふつうだと、こうした条例の改正は国の法律が出来たことに伴うものだから、スンナリ通過だが、待てよ、この制度は、国民によく内容を知られてないが、じつはかなりに”悪法”で、出された陳情はやっぱ、その悪法の”悪”を指摘したものでした。結論、制度の中止または延期を求める違憲を国に出すのを促すものです。でも、調べもせずなんでもOKの議員は多いことだし、さて、どうなるやら。

 ちなみに、よく出来た陳情なので、チラリ内容に触れると、ポイントは3点。個人情報の大量流出の危険の指摘、国が企業に求める安全管理の無理難題(ぼくの調査では、小企業でも分野によるけど30万から150万ほどかかる)、そして、利用範囲の無制限の拡大(これもぼくの調査では、まだ制度が出来たばかりなのに、国は日常的に範囲の拡大の議論ばかりしている) フーッ。



 そして10時からは、内視鏡書きで、午后は、春日台、二井坂、坂本区などを6時頃までほっつき歩き、夕食休憩。それで夜は補正予算のチェックその他で11時。バタンキュー。

2015年8月28日金曜日

オマケ②



 ぼくの一般質問は、今回、5項目。過去最多です。いつも2項目前後をなるべく深く、体系的にやってきました。しかし、この度は任期の最後の質問で、次の時は議席を失っているやもしれません。そこで、喫緊の「どうしてもこれだけは」に絞った5項目になしました。ポイントは以下。

「マイナンバー制度」 世間に広がる制度の目的の不安とセキュリティの不安中心

「愛川ブランド」 安易に認定すると、そのあとが大変、正しい認定や支援のあり方に言及。

「給食」 今もある安全性の問題、そして、カロリー主義の食材。そこへ苦言を。

「中学の教科書採択」 まずは採択の透明性・公平性の確保。とくに歴史への疑問解消。

「空き家バンク制」 予告通りに登録は超低調です。あらためてその解決策を提案する。

 ざっぱに以上が質問の趣旨です。



オマケ 町議選、どうなる③



 まず現状ですが、定員16人に、このままだと現職13人に、新人5人、元職1人の19人が立候補予定です。つまり3人が落選。

 そこで一般論です。仮に現職強しの田舎選挙とすると、空席を6人が競うわけで、ここも一般論で、公明・共産強しとすると、残りの1議席を元職を入れた4人が狙うこととなります。さて、そうなるか。

 とりあえず、”俗っぽい”関心で見てみます。

 はたして党公認は強いか。きっと公明は強い。ただし安保法案への前のめりが懸念されています。それがどれほど響くか。焦点①です。つぎに共産党、新人の鈴木さんはバリバリの“真性共産党員”です。愛川町では珍しい。かれがこの土地柄でどれだけ得票か。言い換えると小林議員がどこまでふんばるか。焦点②です。

 現職です。ここからは名前は省きます。まず「2期目は大幅に票を減らす」がわが愛川のジンクス。その2期目はぼくを入れて4人です。中に党の消えた方、後援会が分裂気味の方もいます。どう影響するか。焦点③です。

 多選議員です。この4年で町民の意識は変わってきました。とくに「働かない議員」への巷の目は厳しくなりました。だと、どうなるか。焦点④です。

 4年前、まあまあ得票した方には危ない方もいます。密かに民主党から自民党へブレた人が複数名。それがどう響くか。焦点⑤です。

 そして新人です。正直、無所蔵の渡辺量一さん、阿部隆之さん、新倉俊朗さんの知名度の低さが気になります。しかし、ふれたとおり、現職にも、働かなかったり、組織が壊れたり、そしてブレたりで、危ない方がいます。そこにチャンスがあります、何人が受かるか。焦点の⑥です。

 最後に、ぼくの個人的な見方、真剣な願いです。働かない人、ブレる人を減らせば町は良くなります。議会のチェック機能、提案力が高まるからです。あえて我が身の危険をタナに上げて言います。新人がどこまでがんばるか。これが今回の選挙の最大の焦点です。町民の皆様の高い意識を期待しています。

 なお、その新人ですが、阿部さんにはAさんなど、渡辺さんにはBさんといった町議や元職が支援しているので、ぼくは新倉さんにエールを送ります。かれは若いナイスガイです。きっと町のため、田代区のため、旧愛川地区の皆さんの願いを代弁ししてくれることでしょう。(でも、ぼくを落とさないでネ。ちなみにぼくの得票数は民度のバロメーターです)



そうそう、お願い



 今日は、たとえば選挙には戸籍謄本が必要なので厚木市に取りに行くとか、そうした準備関係やのぼり立てのお願い回りとか、もろもの準備が中心だったので、すこし回ったが六倉・田代区のみ。

 ところでタウンニュースが、立候補予定者19人の氏名をこの日報道です。



2015年8月24日月曜日

ひたすら東奔西走(~27日)

 いよいよ選挙まで1ヶ月ほど。そこへもって9月議会が目前です。しかし性分からその議会で手抜きする気はゼロ。では。今のうちセッセセッセと歩き回ろう。というわけで24日は川北区、25日は川北・宮本区、26日は宮本・両向区といった具合に知人回りの日々でありました。そして27は、早朝4時から議会関係の資料に目を通し、調べ物をし、午后は春日台、田代区を歩いたりして、フーッ。ちなみにここ1ヶ月に会って話した人は多分400人近いかも。

2015年8月23日日曜日

ゾロゾロ、ゾロゾロ



 午前中、雨の中、宮の下の知人の畑にのぼりを立てたり、サポセンによったり、原稿提出で知人宅へ行ったりしてから、一旦帰宅。

 午后は、町の新町発足60周年記念イベントへ。中身は1に音楽、2に音楽、それに踊りなどのスケジュールがいっぱい。そして屋台やブランド展示場、ゲームコーナーなどこれまたズラリ。ぼくも1時間ちょいいたけれど、はじめは少なかった人出も、帰りがけはゾロゾロが続いて大混雑になりました。

あゝ、町民は音楽や催しに”飢え”ている。やはり文化のあるまちづくりは急務です。

なお、気になること2つ。じつは旧愛川地区の区長と町議の親睦会では、長年、旧半原小、繊維会館、それに横須賀水道を含めていかに愛川地区を活性化させるかがここ数年の課題です。そしてさる6月には、ついにその方向性を探るべく、9月に町長の意向を伺うことになりました。ところが、ところが、21日の説明会のとき、ある町議が「あの話はキャンセルだからネ」の一言。イベント会場で会った区長(ブロック長)に確認すると、「えっ、俺、聞いてない」区長さんや議員たちとの約束です。さて、この話、そのまま収まるのでしょうか。



 あと一つ。あとで聞いた話ですが、イベント会場で2人の議員が4,5時間も話し込んでいたとか。時は選挙近くです。そんな時間はありません。さてさて、噂にどんな尾ヒレがつくのやら。町民はよく観察しています。

2015年8月22日土曜日

これがメンドイ



 午前は、再質問の原稿の見直し手直し、それに昨日が説明会だったので必要書類の確認。しかしこれがメンドイ。とりあえず広報用の原稿を書きました。



 午后はお出かけ。むろん知人まわりプラス所用であちこちへ。

2015年8月21日金曜日

ギクッ、候補者説明会



 朝刊に年金情報漏れとマイナンバー制度の大きな記事が並ぶ。9月議会のぼくの質問の1項目のテーマです。精読してから昨日の続き。

 午后は、10月選挙立候補予定者の説明会。ご存知、参加は、現職は鈴木・鳥羽の両町議が引退で13人。新人は、鈴木さんと岸上さんの共産と公明、無所属は渡辺、阿部、新倉さんの他に元職の山中さんの模様で6人。定員16を19人で競う構図です。ぼくは、その説明会を途中で辞して、仲間と打ち合わせ。

 夜は人と情報交換したり、チラシをセットしてグテッでありました。



2015年8月20日木曜日

フラフラ



 昨夜から徹夜の一般質問5項目の再質問の原稿書きに、内視鏡ペーパー版のつづきがあったりして、結構フラフラ。

 ところで新聞に柳原良平さん死去のニュース。この柳原さんといえば、一般的に「サントリーのCMで一世を風靡した人」だが、ぼくにはちがう。なにしろ、かれの海好きはハンパでない、毎日、我が家の窓から海を眺めていたくて山下公園の近くに引っ越してきました。むかし、ぼくもその近くが職場で、たぶん何十回もかれのイラストの絵を見ています。それはぼくが見ている景色と重なる。そして思う。「海大好き人間が描くと、そうなるのかあ」 それは見た人も海好きにするイラストでありました。「絵は、オブジェがどれだけ好きかで決まるもの」 そう教えてくれた方でありました。悼みます。



 昔、産業貿易ビルの7F(?)だったかにあった、海の見えるカフェで、しばしばかの女とお茶をしました。そのとき、ふと神戸港の夜景を眺めたくなり、そのまま神戸へ飛んだこともあります。おお、無茶な青春よ。

2015年8月19日水曜日

えっ、ボツ?



 総務建設常任委員会の所管事務調査の日です。時期的に、中身は、決算に係る26年度の事業の調査となります。道路や橋の工事5件や改善センターのシャワー室や中津の配水池の耐震工事など都合10件です。

 なお、その改善センターのシャワー室まえで、あるベテラン”おやじ町議”が2人の女性議員に向かって「あんたたち、今、ここでシャワー浴びてみてよ」のセクハラ発言。時代遅れで困ったもんです。

 ところで、ぼくはこの調査について、事前に横須賀水道の半原水源地を入れるように要望しておきました。言うまでもなく、地元ではこの水源地の跡地利用が大きな関心事だからです。が、この調査では、”決算に関係なし”の事由でボツとなりました。「えっ、マジかよ」なのは無論です。

 その後は、みんな選挙が気になるのか、あっという間に消えました。一人を除き。

 なお、私めです。9月の一般質問が5項目(マイナンバー制度、ブランド認定他)あるので、所管5箇所と打ち合わせです。



 そうそう、一般質問といえば、17日が通告書の締め切りでしたが、提出者は10人のみ。選挙の直前のせいもあるでしょう。とはいえ、前回の選挙前は13件だから過去最低です。「質問なしの常連」が定着した模様です。さて、それでも当選の田舎選挙か、見ものです。なお、その中で、今回の質問者に鈴木議員がいて、ここ3回連続です。有終の美と言えましょう。

2015年8月18日火曜日

セッセセッセの続きです。



 内視鏡の書きだめと言っても楽ではありません。なにしろこの4年間の活動の総括編です。メインは2ページを割く、ぼくの一般質問の中身の紹介。せいぜい一項目について2,3行です。そこにわかりやすく、なぜなのか、しかも自慢にならないように、質問の意義が伝わるように。数行なのでかえって至難です。書いたり消したり。結局、ほとんど半日かけて、その半分でありました。



 もちろん選挙にかかわることで、厚木方面での所用も4箇所あったわけだし。

2015年8月17日月曜日

ドシャブリだけど



 一日中、強い雨。選挙時の”本業”知人回りはしにくい。というわけで大半は内視鏡のペーパー版の原稿書きをセッセセッセです。

 ところでペーパー版(俗に黄色チラシ)は議会ごとに発刊しているので、本来なら9月議会後で、発行は10月中頃になる。すると町議選後となり、なんかシマリがない。というわけで、今回は「号外」になるので、早めから原稿の書きダメです。議会も始まってないのに。



 なお、雨とはいえ、最低限の所要で、あいかわ工房を含め4箇所ほど出かけました。

2015年8月15日土曜日

愛川町議選、どうなる②



 今回もこの原稿の時点の話です。結論、あまり変化がありません。盆明けから動き出すのでしょうか。

 現役の引退が2になった以外は同じなので現役の候補者13人、元職を含む新人6人の19人で16議席を狙う模様です。仮に、現職と党の候補者が有利の“常識(?)”にしたがうと、結局、議会はあまり変わり映えしません。それは町民にとっても町にとっても良くないので、新人の無所属にはもっと頑張って欲しいところです。働かない議員を1人でも減らすのも町民の役割かもしれません。

 なお、ここに来て変化も見られます。原因は例の安保法制、もともと池田崇拝の”正統派”学会員は9条支持者です。安倍追随の党の執行部に批判的です。公明党が安保法制に傾くほどに学会の党離れは進みます。9月がその正念場。ヘタに立ちまわると、町の党公認も打撃を受けます。その分、無所属の新人の勝機は増すでしょう。さて、どうなるか。

 あっ、いけない、ぼくだってあぶない。あまり新旧交代を訴えると、ぼくも割りを食うかも。でも、やっぱり町のためにも、選挙の時だけ政策を語る人にダマされたらダメだよネ。



 そうそう、「ダマす」と言えば、山中さんのチラシは意外に良い。「実現したこと」の欄がささやかで、そこに「ダマシ」なし。その点は評価したい。あれ、また自分の危なさ忘れて言ってしまった。ともかく、「実現したことの多いチラシや立派すぎる政策はホント怪しい。そのとおりなら町に人口減なんてありません。あと2ヶ月弱、ぼくたちは気をつけよう。

2015年8月14日金曜日

首相談話の合格点(~15日まで)



 基本的にこの2日は、取りあえず寝る場所確保の片付けとこの内視鏡書きで手一杯でありました。何しろ我が家は「夏は暖房」で、暑くて暑くて。


 それより気になったのが、終戦記念日の折からの首相談話です。メディアはああでもないこうでもないと無責任に評価しているけど、いったい誰もが満足する談話なんてあるのでしょうか。そもそも中国と韓国と日本は立場が違います。そして、そもそも世に美しい戦争は存在しえません。だからそれは、ふつう賠償を払って決着とみなします。賠償金は植民地支配への謝罪です。我が国の深い反省の印です。


 それを、永遠の謝罪と反省の要求は理解不能です。韓国で言えば、長く中国に支配された国です。まずは中国へ要求し続けなくてはなりません。その中国も然りです。列強の支配の歴史のほうがある意味で長期です。列強の諸国に要求し続けなくてはなりません。


 ともかく、話を戻して、「正しい首相談話」など存在しません。相手の立場に立てば、正義を信じた英霊を傷つけることでしょう。もちろん戦場に散った人を思えば、中韓を深く傷つけるのは確かです。したがい、首相談話の評価は50点で満足するしかありません。ぼくたちは、ひたすら平和を誓うことしかできません。皆さんはどうですか。ぼくは村山さんも河野さんも嫌いです。安倍さんは可もなし不可もなしです。50点だから合格か。




2015年8月13日木曜日

医療ツーリズム



 医療ツーリズムとは、一般的には、医療行為を受けるのに海外へ出かけることを指します。昔からその受け入れ体制、早い話、治療のやすさでタイが有名。近年は、外貨獲得の手段として中国が力を注いでいます。しかし、ここで大切なのは、価格だけでありません。先進性、高技術、安全性、対応の多様性、設備の衛生や快適さ、利便性、いろいろ気になるところです。そして、日本人から見ると、いま韓国が注目されています。なるほど、たとえば米国では2000万円かかるある病気の治療が韓国で300万円で受けられるなら、だれでも出かけたくなります。

 では、そのやすさの背景は何か。薬価か、人件費か、設備投資の安さか、あるいは医療制度か。たしかにそれも気にかかります。それらの背景の分析は、たぶん日本の膨大な医療費を抑制する上で、いろんなヒントを教えてくれるでしょう。でも、今回の調査もどきの景気はそれではありません。ある在日の韓国の医師の言葉「日本ほど医者になりにくい国はない。結局、医者になるのにあまりにカネがかかるので、医療費に跳ね返るのではないですか、医師が不足すれば競争原理も働かないわけだし」簡単に言うと、そんな話でありました。

 ぼくは長く塾を経営してきました。ぼくはその経験の中で、不必要に難関な医大入試と合格後の法外な入学金その他で、いったい何人の有為な学生が医大を断念してきたことなのか。その解決の手がかりも欲しかった。あゝ、医療ツーリズムにドクターコースはないのか。



 ところで、旅の間に読んだ「下流の宴」です。中身は、奇しくも、下流と呼ばれた人が、自分をバカにした見栄っ張りの中流を、医大に合格して見返す話です。女の見栄を書かせたら林さんの右に出るものはない、と言う。中流の俗物性の描写がすごかった。かの女もまた下流からスタートし、中流のイヤラシさを卒業したのだろうか。コンプレックスに悩む方はぜひ一読を。人の幸せと学歴・地位・経済力とは別物とわかります。

2015年8月11日火曜日

頭を空にする(~13日)



 11日は移動を半日、金浦(キンポ)空港着が14時30分。16時過ぎから早速ホテル近くに住む中学校のR先生と意見交換。テーマはやはり韓国人と日本人の歴史認識のズレです。大久保あたりのヘイトスピーチを報道され、日本人が過激と思われたら困るみたいに、韓国人の日本批判の報道を真に受ければ誤解を招きます。Rさんと話すと、さすが朴槿恵の強引さはよく承知していました。いつの時代も、どこでも、過激思想は一部の無知な人たちの暴走とわかります。

 あと、街へ出て、屋台もどきで食事し、ついでに縁台将棋もどきで碁を一番打ち、もどるとそのRさんからメモ。「一人、開業医を紹介する」というので、ホテルのティールームで懇談、韓国の医療費のやすさの一つに「医者のなりやすさがある」と聞く。大方、その事実を確認できました。そのあと、自室で夜中の2時過ぎまで林真理子さんの「下流の宴」を呼んでから寝ました。

 12日です。今回の旅の目的のメインは「なぜ韓国の医療費は安いのか」といっても調査ではありません。その小手調べ、簡単な情報集めです。(だから、自腹の調査です)

 まずホテルから徒歩数分のクリニックへ。これも詳しくは省くけど、薬価の指標の一つに選んだウデナフィル(成分名)をゲットするのに、待ち時間5分ほど、問診も5分ほど。で、初診料がほぼ1000円。で、薬代が1錠あたり約300円(日本だとヤミ価格3000円とか)

 そのあと戻って一服し、今度は330メートルほど先の病院へ。結論から言うと、待ち時間は20分ほど。問診は(英語が苦手なドクターで)15分。そして手にした薬は同量換算で250円ほど。

 さらに午后、今度は”プチ整形通り”と呼ばれる街に出て、形成外科へ。混んでいてい時間待たされたけど、問診などほとんどなしで、そのくせ初診料は1300円、薬代は1000円ちょい。なんだ、これ!

 ついでに、少しウインドウショッピングしてからホテルに戻ります。そして、このホテルの”ぼく専用日本人スタッフYサン”(じつは日本で親切なYさんの居ることは確認済み)に、頼んでいおいた「ホテル周辺の碁会所マップ」をもらって、ぼくは、なんとここから50mもないところにある碁会所へ。そして、Yさんには宿題。中身は、何種類かの病気についての初診料・治療費・薬代その他を調べておいてください。ぼくは、いい気なもので、二曲売って一勝一敗(5段で売って負け、4段にして勝ち)。戻ると、かの女はちゃんと”仕事”をしていてくれました。すごく感謝です。整形通りで求めたプレゼントをあげました。

 夜は、有名な、でもマズかった海鮮屋で食事し、口直しにジャズ・バーで一杯のみ、ホテルへ帰還。昨日の続き、夜中3時の読了でありました。

 なお、その海鮮屋では、テレビに鳩山元首相が西大門の刑務所跡地で、靴を脱ぎ記念碑の前で膝まづき、手を合わす姿が写されていました。「また余計なことをして」でありますが、韓国人はたんにクンチョル(墓前の礼法の一つ)と受け止めたのか、無関心でホッ。にしても、外国人がこれを土下座と思うのをみこして、かれを利用したことでしょう。

 そして13日です。十分に寝たので、ソウル駅の周辺を歩いてから空港へと思うが、にしてもRさんの碁会所マップに気になる場所が……。というわけで、早めに出て、明洞(ミョンドン)を散歩してから、食事して、ソウル市役所でそそくさ調べ事をし、急ぎ食事し、戻って気になる碁会所へ。ン、やはりです。入口の近くへカップや書状がズラリ。日本語のものもあり、読めます。たとえばリコー杯の女流戦優勝とか。しかし、早すぎたか、若い男女が4人いて、場違いにギターを弾いています。聞くと、二人の男女はプロの4段と3段、あとは日本で言えば院生か。事情を話すと、2時から”開業”ですが、1時から相手してくれて、その3段の娘に惨敗でありました(ちなみに、場所によりぼくが3段から6段にまでになるのは日本と同じですが、たぶん韓国のほうが1段ほど強そうです。世界で2位の囲碁強国ですから)

 あとは、あわてて空港へ。チェクインを済ませ出発の待合室に向かうと、れ、れっ、島のジオラマを作成中。そして二つ島の一つに韓国の旗、太極旗(テグッ旗)。一瞬、「ここでも対馬の自国領宣伝か」と錯覚したが、形が違う。どうみても、なぜか尖閣ではないか。だと、中国が怒るだろう。狐につままれた気持ちで出発フロアへ行き、免税店へ入り、チョコレートを買おうとしたとき、止めの一発、後ろから同じものを求めて手が伸びてきたので振り返ると、あの鳩山さんです。

 「あんた、ソウルくんだりまでなんでくるのか」と叫びたいけど抑えます。付き人はなし、代わりに見送りかガードの韓国人が5,6人。オーラは限りなくゼロ。気がついた周囲の日本人もみんな無視。かれはあまりに孤独でありました。異様でありました。

 思い出します。かれが首相で、基地問題で沖縄の人に「できない約束」をしだしたころはまだ人気がありました。むろん、それは空手形になるので、ぼくはかれに問題の収束の仕方についてアドバイスの手紙を書いたことがあります。返事のはがきは届きましたが、とおぜん、おざなりな礼状で、忠告無視でありました。そして、事態は、ぼくの手紙の予測通りに推移し、かれは辞職しました。もう、その時すでにかれは孤独の人であり、すでに寂しい方だったのかもしれません。かれを本気で戒める人はいなかったのでしょう。僕と同じ収束論を民主党議員から耳にしたのはさらに後のことでした。

 そんなことを振り返っている折、同じ機上の鳩山さんの頭を去来したものはなんだったのでしょうか。羽田につくと、小さな手荷物一つのかれは、出迎えもなく、闇の中へ去って行きました。またふと思い出しました。ぼくの隣席の女性の科白です。「あの方、日本人に迷惑なのよね、また韓国に利用され」



 まあ、そんな3日間です。「頭を空っぽにする」とは、ふつう何も考えないことです。しかし、この3日、10月の選挙を忘れて、考えることがいっぱい。それは、ある意味、考えない以上に。頭を空にしてくれます。気力がわきました。ありがとう、ソウルよ。明日から頑張ろう。

2015年8月10日月曜日

 三増地区経由で4軒訪問してから、役場へ。先日、川北の住民から頼まれごとで打ち合わせしてから、春日台界隈の知人を4軒訪ねました。間で、明日の準備でノジマへよって、それから付き合いで囲碁カフェyoshidaへ。ちょっとだけ顔を出し、サポセンに戻り、帰宅。準備です。といっても朝鮮(韓国)の近現代史の本をパラパラ。気にしたのが、中身は省くが、今彼らが儒教的モラルを失った背景でありました。読んでいるうち、グーグー。

2015年8月9日日曜日

やっぱりケンカ



 午前9時よりシルクロード・クラブの仲間と裏の川原の除草です。薄曇りで風もあり、このところ”生臭い日常”が吹き飛ばされ、いい気持ち。


 と、まもなく、遊びに来た若者がゾロゾロ。中に少し柄の悪いのがいる。そこではじめに注意、大音響の音楽かけるなよ、ゴミは散らかすな持ち帰れ、飲み過ぎんなヨ、そして「他のグループと揉めるな、きみなんて品が悪くて手が早そうじゃん」エトセトラ。するとそのかれ「自分は上品ですから、先輩、安心していいっすよ、ホント」えっ、どこが品がいいのか。


 で、午後は一服し、碁を3局打ち、それから、先日の祭りの慰労会に出かけるべく公民館(ラビンプラザ)を出たところ,また、と、パトカーが来ていて、オマワリさんが4,5人。かれらに囲まれて一人の若者。えっ、その若者は朝ぼくが注意した男ではないか。


 やっぱケンカではないか、


 が、訊けば、かれが撲ったのは、他のグループではなく、自分の女房とか。そして、さすが彼の妻。負けてない。じつはカミつかれて、血だらけなのは彼だった。あれ、いざとなるとカミつくからカミさん? まあ、大事ではなく幸い。





 あとは慰労会に出て、酌をして回り、早めに切り上げ、今度は近所を回って、終わりです。変化が多く、あっという間でした。原爆の投下の日だったけど、世は平和です。

2015年8月8日土曜日

時は流れて



 20年前の今日は妻の告別式です。

 そして今日は、朝から囲碁大会。「支えあう会」のメンバーが6人もいることだし、そのあと何人かと秋のことで打ち合わせをして、盆踊りや夏祭りめぐりです。



 なお、朝イチは、昨日、道路問題で町民から要望があったので所管と話し合った経過報告でありました。時の流れを感じます。

2015年8月6日木曜日

終戦記念が近い折(~7日)



 知人まわりの日々だけど、それより気になるニュースが2つ。

 一つは、世界史と日本史を統合の「近現代史」の必修化。それから横浜市教委「育鵬社」の採択。ともにその意味はいわゆる自虐史観からの脱皮です。でも、思う。うーん、何も安保法案が騒がれている折、そして、終戦記念が近い折、何なんだ、このタイミング。

 ぼくみたいに、アジアのいろんな国を訪れては、現地の歴史の先生などと話をする人ならばだれでも知っている。たとえば、かれらが、ベトナムの方が、日本軍のおかげでフランスから独立できたこととか、インドシナの人が残留日本兵の指導で独立できたこととか熱く語るのを! でも、まずは、日頃、そうした情報を、もっともっと記事にしてくれ。そして政府もそうした”事実”を訴えてくれ。そうしたことの積み重ねの先がたとえば近現代史の必修化でしょう。それを抜きに必修化すれば、たんに、国は戦争を肯定してしまうことになるのです。あゝ、ここでも国は条件整備抜きの先走りです。政府はわかっているのでしょうか。



 そうそう、とか言っているボク、急用で来週ソウルへ出かけます。そのとき、知人の韓国の中学の社会の先生とも話し合うけど、かれの口ぐせは「インテリ層の人は日本のおかげで復興できた事実を知ってます」であります。韓国人がネトウヨを見て、日本人はみんな右翼と思われたら困るように、韓国人に、日本人がみんな左翼みたいに報道されると困ります。政府ってなんでしょう。そしてメディアってなんでしょう。毎年、この時期に考えさせられる理由です。

2015年8月5日水曜日

月例会に話題なし



 毎月の町議同士の報告会です。意見交換の要望を求めた意見書、議会改革検討委員会の協議結果、ゴミ処理広域化の結果他の報告などについてです。ほとんど質問がありません。「それより、一軒でも多くの挨拶回り」ということでしょうか。すぐに閉会。

 そのあと、渡辺議員とともに人事案件について町長の考えを伺う。あとひとつ、役員から今も話がないけど、例の安保法案への対応について井上町議と意見交換。

 なお、9月議会の一般質問の通告書を提出しました。今回は、マイナンバー制度、愛川ブランド、給食、教科書採択、空き家バンクなど5項目。10月にはぼくは議席を失うかも。で、のんびり大きなテーマを広く深く扱うことはできません。いきおい喫緊の気になる課題ということで、5項目にもなりました。



 午后は、時節柄、ぼくは、挨拶回りではなく、知人周りです。せっせ、せっせ。その最中、ふと手にしたある町議のチラシ(討議資料)です。なにげに読むと、おっ、いいじゃん。議員には、とても珍しいことに、そこに一切のハッタリなし。つまり、「あることないこと」ではなく、「あることあること」ズラリです。すばらしいのであえて名を書くと小林けい子さん。かの女は、共産党だからポリシーはまるで違うけど、ともに頑張ろう。今回は共産の候補者は1名増のようだけど、こういう人を落としてはいけません。ぼくの”ケンカ”相手が減ってしまう。

2015年8月3日月曜日

せっせ、せっせと(~4日)



 選挙モードとしての通常スケジュールです。つまり、普通この時期、町議はチラシ(討議資料)をもって挨拶回りしていますが、ぼくはしてません。選挙の時だけ頭を下げるのはイヤです。「顔を出してくれたから」とか「握手してくれたから」とかで一票”稼ぐ”のもイヤです。町民をバカにしたことです。ぼくの通常とは「知人を回って、じっくり話し、納得してもらう」です。そして「口コミに頼る」です。能率は悪いけど、それが本来かも。すごく暑いけど、「せっせ、せっせと、これからも」 ぼくのスローガンでもあります。さて、どうなるのでありましょう。



 そんなで、質問通告書や内視鏡書き。それに読書以外は、炎天下、ひたすら外回りでありました。

2015年7月27日月曜日

1にも2にも正念場 (~31日)



 わが愛川の町議選の動きが垣間見えだしました。ぼくの手元にもチラシが5,6枚。見れば、「えっ、うっそう!」 活動実現として本人がやってないことを羅列したものもあります。それも、この4年間のことだけでなく5年前のこと、時に10年前の実績も。

 考えて見れば”実績”ってなんでしょう。わが町では悲しいことに議員提出議案がありません。修正議案もありません。町からの議案に賛成するだけ。その賛成をもって実現と呼ぶなら、たしかに実績ズラリになるでしょう。しかし、それだと、実は議員はいなくても済みます。もしかして数人で足ります。

 あゝ、なんということでしょう。だとすると、じつは「議員は要らない」になります。いきおい、ぼくがこの内視鏡で議員の質を気にする理由です。

 つい先日。そんなぼくに、ある公務員が「玉利さん、議員が議員の批判をしてどうすんの、選挙は政策で選ぶもんでしょう」 たしかにそうです。でも、その政策ってなんですか。政策の実現ってなんですか。それが冒頭のチラシのあることないことズラリです。町民はそれでどう判断するのでしょう。判断には余程の努力と知識がいります。ふつうそんな努力はできません。そのことについて、先ごろ亡くなった鶴見俊輔さんは丸山真男さんとの対話の中で(40年前の話で詳細は忘れたけれど)「民主主義の制度は容易です。選挙です。しかし、民主主義は知性と教育が担保する。それをつくるには50年、100年かかります」 そんな話をしています。

 そして、今、民主主義が生まれて70年。愛川町の選挙はどうでしょう。やはり政策本位になっていません。何しろ「行政の作った政策」を「実現したこと」と思うのです。そして、それが町が変わらない理由です。



 ぼくはチラシが増えるに連れ、矢も盾もたまらなくなりました。いつまでもこんな選挙の繰り返しだと、町は消滅してしまいます。そして、その結果、この4年間で初めてのことです、5日間、知人に町の危機を訴えて歩いた次第です。まもなく8月、いよいよぼくは訴えを加速しなくてはなりません。さてさて、どうなることでしょう。

2015年7月26日日曜日

ありがたいけどヘトヘト



 本日は地域のお祭り。今年は半原5行政区を代表し、ぼくの地元が当番。したがい、区長の配慮もあり、ぼくが、黒烏帽子(えぼし)白装束(ハクチョウ)、白足袋のすがたで御輿(みこし)の先導をする役。大変ありがたいありがたい役だが半原地域10ンkm坂道を上がったり下がったり。朝8時から夜の8時まで、休み入れても10時間ほどあっちへいったりこっちへきたりです。もうヘトヘト。じつは先導どころか足手まといになりました。どうも祭りは見たりひやかしたりして楽しむのが正解のようです。夜にはバタンキュー。

 歴代のどの首相の句だったか。

  たのしくて のちに悲しき 祭りかな



 政治も「まつりごと」と言いますが、どこか似ています。良い経験でありました。

2015年7月25日土曜日

オマケ 愛川町議選、どうなる①



 町の議員選挙までほぼ2ヶ月となりました。「ここらで情報を」と思うけど、さっぱり動きが見えません。“噂の人”の話が次々消えていきます。で、この時期に動かないは「ない」としての話です。

 まず、現職についてです。前回の選挙の時「今回限りですのでご支援を!」が4人いました。が、いま明確に引退を表明した方は一人のみ。今年になっても引退を口にしていて、途中から言わなくなった人もいます。町民へのウソはいけないが、それが毎度の現状。ということで、現時点、引退は1.5人か。

 次に新人です。今年の春まで噂の2人に動きはありません。ということで、動きで判断すると、公明と共産の新人が2人、それ以外が3人、そして元職が1人です。このままだと。

 そこで全体で見るとどうなるか。定数は16人、欠員1、引退者が1.5人、仮に「現職は強い」とすれば、空席2,5人を新と元の6人が競う構図です。また世間の常識で、公明と共産は強い(厚木市もそうでした)とすれば、残りの0.5人を4人が争う構図です。

 そして、これまた先の厚木もそうでしたが、かなり危ない議員も3人いると言われています。ということは、3.5人の空席をめぐり7人が熾烈に闘うということでしょう。

 なお、その危ない現職が、前回の下位の3町議を意味するわけではありません。これまた厚木もそうでした。かえって浮上しています。



 えっ、かく言うオマエはどうかって? 正直かなり危ない。ちなみに前回落選したKさんは、その前はかなり上位でありました。ぼくは上位の噂があるけれど、それはイメージで実は12位の下位。ちなみに4位からぼくまで100票ほどしか違わないダンゴ・レースでありました。今回は10ン人がボーダーラインを競う予感です。怖~い。

祭りのシーズン



 先週、町内の各地で祭りです。間で昨夜の県議の集い(暑気払い)をはさんで今日もまた。

 さて、このまつり、例年だと、顔見世のチャンスと思うのか、よく町議を見かけるけど、今年は殆ど見かけません。ン、今回は少数激戦とかで、それどころではなく、地下で動いているのでしょう。



 まあ、ボクも今は動いているけど、いわゆる個別訪問はなしです。今日も知人を4,5人訪ねたけど、それよりチラシ(闘技資料)の校正、その他原稿書きとか、ほぼ日常通りです。

2015年7月23日木曜日

やっと動き出す? ~24日



 とりあえず動きまわる仕事は一段落。というか、次のステップへ。というわけで、この2日は、秋のためのチラシの手配。のぼり旗の準備、写真撮影、選挙カー、いや自転車の用意などなど。ん、周囲はすでにかなり挨拶回りしているけど、まあ、いいです。



 それより、ぼく的には鶴見俊輔さんの死が気になる。ぼくは右よりだけンど、青春時代は丸山真男さんと刊行した雑誌「思想の科学」はそれなり読みました。イデオロギーのちがいを超え、考えさせられています。合掌。

2015年7月21日火曜日

神様の家のお掃除



 朝9時から半原神社の清掃です。この神社は、むかしで言えば村社なので、一度は掃除の手伝いをしたいと願っていたところ、老人会に誘われたのです。えっ、ぼくも老人?

 境内は広大です。かなりキツイと思ったけど、さほどではなく、人数が多かったことと意外や木陰が多くて涼しかったお陰です。それでも3時間はかかったか。



 午后は一服して、あちこちへ。今週いっぱいは人と話すのを仕事と決めていたから、夜というか、夜中に「君の脾臓を食べたい」を読了。涙、涙の話でありました。でも、清々しい涙は心を洗います。ぜひ一読を。

2015年7月19日日曜日

オマケ 東芝を憂える



 たぶん誰の人生にも不思議な出会いがあります。ぼくもで、出会いはかなり多い方です。その一つにかつての東芝のボス土光さんがいました。

 まだ20代のことです。ぼくは会社を倒産させ、ハンパじゃない借金をかかえたことがあります。その時は東神奈川に住んでいて、銀座まで歩いて通いました。たしか、靴は2週間でダメになりました。

 その通勤途中、よく道の掃除などしていて出会う年輩がいて、声をかけられたことがあります。貧乏臭いのにさわやかに闊歩しているので気にかかったとか。事情を話すと、これまたかなりのお金を貸してくれました。負債のでき方がよかったとか。それが土光さん。

 それから半世紀。今土光さんの会社が揺れています。報道によると原因は粉飾。土光さんの一番嫌うことです。思えば、ぼくの倒産の原因も、よくいえば若気の至りの理想主義、実態は見栄です。収入以上に設備投資し社員に平均以上の給料を払おうとして、会社をつぶしたのでありました。

 かくて、東芝の今日が気になるわけですが、何も言えません。ぼくの「実力以上にがんばる」癖は治っていません。持病ですから。

 なお、その土光さん、行財政改革の時、ぼくの従兄、谷村(裕)と仕事をしました。人生のめぐり合わせは不思議です。東芝の失敗も「見栄」ですが、土光さんが行革でメスを入れたのが、一面、行政の見栄でありました。



胸に「ありがとう」 ~20日



 朝7時から町内会で半原公民館前の用水路の大掃除です。日差しが強く、背中がチリチリ。その分、水の流れの冷たさがいい気持ち。

 で、一服して、今度は我が家の裏の川原の草むしり。こっちはただひたすら暑い。頭クララの2時間ちょい。おかげノンアルのうまいことこの上なしでした。

 気分一新できたので、午后は昨日の続きです。報告会のお礼であっちへ行ったりこっちへと。ほぼそんな一日でありました。で、20日も似たスケジュールです。なお、この20日、たまには80点くらいのランチが食べたくて、「庭」を意味する「ジャルダン」へ。半原から宮ヶ瀬と尾崎を抜け、七沢のリハビリセンターが見え出すとあるレストランです。小物が好きなのでたまにそこへよりますが、今日もいいものがありました。国広沙織さんのデザインしたアクセサリー。「ありがとう」の文字をデザイン化したペンダントやピアス。若い人なら好きな人に感謝を込めてあげたくなります。古女房に送ってもいいかも。あるいはこれを胸に付ければ大切な人への感謝の気持が身につくかも。えっ? ぼくが買ったか? それは秘密です。

2015年7月18日土曜日

オマケ 新国立、これからが大変



 今朝のニュースは新国立の「計画白紙」です。あたりまえだけど、ちっともおもしろくない。そもそも白紙までのゴタゴタが多すぎる期間が長過ぎる。そして、ここに至っても責任の所在も原因も不明確。いまさら詳細は省くけど、そうしたこと自体が今後の迷走も暗示する。ぼくは、当面は何も期待できない。言えるのはただひとつ。今までの関係者には手を引いてくれ、森さんとか安藤さんなどとかあるいは白紙化できる力のあった方とか。ならば期待する。



報告会を下手くそに



 4年近くなる自分の活動を伝える”総括的政治活動報告会”の日です。朝からドキドキ。

 で、午后3時10分開始。気になる参加人数ですが、5分前には4,5人でしたが、25人ほど。町民と議会との「意見交換会」が40人ほどですので、まあ、成功。ちなみに、つい先日、厚木に市議選があったけど、その準備段階の最初の集まりも平均5,6人とか。

 さて、報告の中身ですが、主に2点です。一つは、議会の舞台裏は、その人の政策や識見あるいは活動能力ではなく、いかに一部の古い人達が仕切っているかの話をしました。あとひとつは会派です。巷の常識だと、会派は同じ主義主張者の集まりですが、わが町は、政党の会派は別として、ちがいます。あたかも役職を選出する機関になっています。(ちなみに無所属のぼくは発言の機会のないこともあります) そこで、この2点の弊害に対抗するために皆さんの力を借りる必要性も訴えました。少し焦って、上がって、下手くそに。

 いずれにしろ、いま議会は、年功(任期数)と数の世界です。それを打破しないと、本来の議会の役割、議案に対しては是々非々、議員は提案するのが仕事、この2つの役割を実現できません。ぼくなり悲愴でありました。

 そして、幸い、大方の賛同をいただきました。ありがたいことです。その分、責任は重くなりました。秋へ向けての決意をしました。



 なお、夜はその延長。何人かの方にお礼を言って回り、終わり。長い一日です。

2015年7月16日木曜日

会の意義の確認 (~17日)



 今日は青少年問題協議会です。ふつう年数回しか開かれません。しかし、この会の”守備範囲”は広く、いじめ、少年犯罪、あるいは放課後児童への対応など話題は多様です。たとえば1回めが委員の紹介と方針説明、2回めが事業の進捗状況報告、そして3回めが事業などの総括とか言って、セレモニー的になってはいけません。

 とはいえ、この会は、初回は初顔合わせで、とかく、互いに”お手並み拝見”で、意見はあまり出ません。そこでぼくが”呼び水”的に発言してきました。

 と、今回は、おっ、違います。元気な発言者がかなりいました。で、ぼくは、それに水をささないようセーブした次第です。ただし、この会の委員たちの提案や意見が次年度の事業にどう活かされたかの報告がありません。大切なので、あえてその点だけは確認しました。



 そして16日の午后と17日の1日じゅう、18日のぼくの活動報告会(というか、場合により決意表明もどき)への参加のお願いで、飛び歩きです。たぶん15,6人ほど。さて、どうなるか、かなり不安なものです。

2015年7月14日火曜日

オマケ ②フン、これも驚かず



 明けて15日の大見出しは「安保法案特別委員会通過」 フン、なにが大騒ぎか。もう驚かない。このぶんだと、その次が「衆院採択」で、次の次が「国立競技場」問題。ここを潮目にしばらくメディアは安保法案の忘却が相場でしょう。ならば、はじめからいちいち大見出しつけないでよ。どうせ内心は大問題と思ってないなら。そもそもは、真の問題は憲法問題なのだから。と思うけど、みなさんどうですか。

 折から、この問題が最高潮の折から、ある方に「国会にデモに行こう」と誘われました。本気ならこれから60日間を国会通いです。でないと「本気」は「ウソ」になります。だから行きません!

 またある方から「なぜ愛川の議会は国会へ意見書の提出をしないのか」のお叱りを受けました。うん、できそうだけど、これもムリ。すでにふれたけど、安保法案への関心は、右の方も左の方も低くって。

 かくて新聞の見出しの大きさはぼくの虚しさの大きさでもあります。その思いどこへぶっつければいいのでしょう。皆さんはどうでしょう。語ったからって何も解決しない問題って困るよね。ぼくは自己満足が嫌いです。



オマケ ①ギリシャ支援合意、フンだ



 16日の朝刊の大見出し「ギリシャ支援合意」です。やはり読めば、「なんじゃ、これ」でありました。中身のほとんどがギリシャの税制改革の話です。フン!

 問いたい。EUは今までも支援しています。むろん、たんに財政支援だけでなく、行政改革や人件費改革も迫っています。それでなぜうまく行かなかったのか。たとえばポルトガルやアイルランドなどは危機を回避したけれど。

 以下、調査中なので、無知を晒すが、彼の国に大観光資源はあるけれどほかの資源はない。というか、あるのは漁業か。農業はあるけど大したことなく、産業はダメ。かつての目玉の造船は衰退……。



 いや、こんな雑な話は無用です。言いたいのは、あれもないこれもないの国に支援してギリシャはほんとうに立ち直れるか。どう産業を育成できるか。ぼくの知るギリシャのホテルのオーナーはドイツ人とユダヤ人。たとえばそうした構造に変わるのか、新聞の報道は対症療法の記事ばかりで”肝心”がない。読んでも単に「ああ、そうでっか」です。

人のふり見て(~15日まで)



 「自己反省」とか「自省」という言葉があります。言葉はあるけど、じつはできない言葉です。もし厳密に反省すれば、人は恥ずかしくなり、生きていけません。少なくとも「ぼくは恥ずかしくて死ぬ」であります。それでもぼくが生きているのはうぬぼれがあるからです。しかし、その自惚れも度を越すとどうなるか。議員の場合、「落選」という烙印を押されます。しかし、押されてもうぬぼれがあるので平気なのか、反省できないのが、懲りないのが議員です。そして、それはとても怖いことです。(誤解しないでください。選挙という洗礼を受けない一般市民はさらに自惚れ屋という例もいくらでもあります。たとえば政治のことなぞなにも知らずに論じたりして) まあ、ともあれ、人はとてつもなく図々しい生き物です。自分では反省できません。今回の市議選の教訓でありました。ちなみにある方の敗戦の弁。(自分をタナに上げ)「近頃は我が身を切る政治家がいなくなった」がその典型でありました。

 そこで思うのは、どうすれば反省できるか。結論、他人に反省を迫られること、です。「恥」は「耳」に「心」です。その意味は「他人からの悪口が自分の心に響くこと」とか。それが「恥」とか。



 つい前置きが長くなったけど、この14・15(実はその後も)、ぼくは秋に立候補する資格のあるやなし、雨ン中、恥を知るべくあちこち問うて聞きまわった次第です。ちなみに2日で20人弱。

2015年7月13日月曜日

ン、政策本位?



 厚木市議選の翌朝です。結果が気になる。さて朝刊を見ようかで気が付きました。うっ、休刊日だ! あらためて新聞の存在感を感じた次第。ぼくの世代は活字病です。

 そんな訳で、午前は別ルートで選挙速報を入手し、その分析。選挙の傾向を知ることは職業柄他人ごとではありません。

 さて、気がついたこと、大方は予測のとおり、やはり現職は強い。つぎに新人でも、公認、現職の地盤を継いだ人、そして大きな団体の推薦のある方、というか、ほとんどそれがすべてです。選挙は政策力で選べというけれど、たぶんそれで選ばれた方は現職の2名だけ。 実態としての無所属の新人に超厳しい選挙でありました。選んだ市民の意識が古いのか、挑んだ新人の力が不足なのか、落選した政策型新人に日頃の活動の積み重ねが見えなかったのは事実です。にしても、活動してない現職で当選している方も少なくない。

 うーん、厚木の選挙も古いまま、投票率の低さは、市民の期待の低さでしょう。

 その中で、超ベテランで高齢の二人の落選が光ります。しかし、原因を「多選高齢」と見るのはどうでありましょう。全国的には、それでいて上位当選者もいます。原因は噂では、「活動してなかった」です。正しくは「多選・高齢の老害」かもしれません。

 そんなこと考えてから、午后は、その厚木の方を、祝ったり、慰めたりに飛び回った次第です。とにかく政策選挙ではありませんでした。



2015年7月11日土曜日

晴れ、また晴れ(~12日まで)



 ぼくは夏が好きです。晴れが好きです。11日は朝からの天気で、昨夜の寝苦しさが消えました。ほぼ終日、厚木市議選モードです。ついでに、ぼくも秋を睨んでというか、その準備の準備です。とは言っても、はたしてぼくに準備の資格はあるのか。いろんな方の話を聞き歩きしました。

 そして12日、今日も快晴、まずは町内の清掃、メインはラビンの前の川(用水)の清掃を朝の7時から。いっぷくし、今度、例の家の河原の草むしり。せっせ。気温はぐんぐんの音が聞こえそうな上昇で、昼前によしました。

 あとは、たまにはとか言って休み。それでも4,5人とはあったけど。

 さて、晴れ過ぎです。それが組織の弱い市議選にどう響くやら。



2015年7月10日金曜日

えっ、耳を疑う。



 旧愛川地区の区長と地元町議の集いです。この春に新しい区長さんも誕生したので、趣旨は顔会わせと懇親。

 とは言いながら、この会の懸案は、旧愛川地区をいかに元気にするか。顔を合わせれば毎回その話です。しかし夢みたいなことばかり言ってても仕方ありません。問題はそれをどう具体的に前進させるか。ぼくも流れに乗って提案しかかると……。

 ある町議、曰く、「玉利さん、そんなに地域を活性化したいなら、議員をやめなよ! 本気で、それにとりかからないと実現できないし……」

 えっ? 耳を疑う。議員の仕事の半分は提案ではなかったか。議員は提案するたびに辞職するのか。ほかの区長さんたちはどう解したことでしょう。ぼくは、自分のことより、そんな発言をした町議への悪影響が気になります。その日は、長い夜でありました。



2015年7月6日月曜日

ほとんど厚木通い(~9日まで)



 相変わらずあっちに行ったり、こっちに行ったりは同じです。内視鏡書きとかも同じです。少し増えたのが、この頃、厚木の選挙の話題も手伝って、秋を見据えて動き出す町議が増えたのか、この間、「オマエはどうするか」や「活動はどうなっているか」で、あちこちに呼ばれる毎日でありました。

 とはいえ、なんといっても市議選はリアルです。ぼくに支援を依頼している候補者も何人かいて、その関係、毎日、雨ン中、半日以上はいろいろと選挙支援で厚木市内をうろつきました。自分のことより、ここは他人のためでありました。そして、これはこの内視鏡の原稿をためた言い訳でもあります。



 なお、この市議選中、よく耳にした噂は、やはり現職有利、つぎが引退議員の地盤を引きついだ方、そして党の公認……。さて、どうなるか。

2015年7月5日日曜日

愛の刻印



 朝刊に気になる記事が3本。まずはギリシャの国民投票。ぼくがギリシャ人ならどうするか。つぎは厚木の市議選挙の告示です。また個人的には「横浜ローザ逆輸入」のニュースです。

 午前中はその辺りを考えましたが、リアルなのは市議選です。隣町なので知っている方がいっぱい。早い話、市のために落ちてほしい方が3人、受かってほしい新人が3人。ギェーです。ギェーッ。そもそも、市政を思えば、一人一票はムチャです。希望者は一人三票までにしてくれないか。そうなれば、きっと当選者はかなり変わります。きっと、「地縁・血縁・働かない」議員はかなり減ります。まあ、ありえない夢だけど。

 午后は、雨が止むのを待ったけど、いよいよどしゃ降り。そのなか、挨拶というか激励というか、出かけて、帰りには内視鏡のことで知人と打ち合わせ。

 さて、横浜ローザです。ご存知、これは浜の娼婦メリーさんを戦争の被害者として描いた五大路子さんの一人劇ですが、ぼくなりに頭に去来するものがあります。

じつはそのメリーさん、知ってます。産貿ビルのスタジオのことを先ほど触れましたが、40年ほど前、そのメリーさん、しょっちゅうビル内をうろついていました。ときにスタジオにも見えました。

しかし、そのメリーさんの名は、ぼくたちの間では、シロシロばあさん。何しろ、帽子も服も靴も、そして厚化粧の顔も白です。正直、気味悪くて、当時ぼくは30前なので、みたところ彼女は7,80歳です。じっさいは60前後だったのですが、こっちは若いし、気持ち悪いし、ばあさんに見えたのでしょう。

ある日、スタジオに来た時、ただで写真をとってくれと頼まれたことがあります。はやく追い出したい気持ちを好奇心とで引き受けました。その時、ファインダーを除くと、ン、なぜか悲しい気品が漂っている。興味をそそられ、いろいろ訊きました。

むかしのことなので、覚えている断片です。

白ずくめは、かの女の一ばん幸せな日々の記念です。結婚式の姿です。その服を着て、注目されることで幸せになるのです。

本人は、シロシロばあさんと呼ばれていることは承知です。でも、そう呼ぶのは日本人なので無視です。メリーは、結婚して戦死したアメリカ人の呼び名です。つまり外国人にはメリーと読んでもらいたい。そして娼婦になりました。例え嘘でも、ベッドで、できれば英語で、愛を囁かれ、メリーと呼ばれると、相手はそのまま夫になるという。一ばん幸せだった瞬間を再現できるとか。

あと一つ、娼婦としてのコール・ナンバーの61は、永遠の愛のシンボル7の代用です。

そうしたことを知ったあと、ぼくにとってもかの女は、シロシロばあさんでなく、メリーになりました。理解の背景がありました。

 それより、さらに4,5年前、サラリーマン時代です。会社の同僚の女の子に、アメリカ人と付き合っていて、かれ氏をベトナムでなくした子がいました。その子が社員旅行で泥酔した時頼まれたことがあります。これからジョージになってくれないか、鼻の形が似ているから。

メリーが反戦のシンボルかは今もわかりません。戦争の犠牲者なのは確かですが交通事故で夫をなくしていても娼婦になっていたかもしれません。たしかなのは愛の印が刻まれたことだけです。それは幸か不幸かは本人だけが知ることでしょう。この年齢になるとわかります。売春はいけないというけれど、そこに救いを求めている女性はたしかにいます。人間は哀しい生き物と思う。



蛇足です。その辺を解さない堅物は嫌いです。

2015年7月4日土曜日

短い一日



 朝、厚木に戻り、それから3箇所で3人の方にあってから帰宅。

 片付けして、一服して、午後はサポセンで3ヶ月分ほどの活動報告を整理し、15人分の配布用の整理です。そのあと、合間に一局打って、それから知人訪問が4軒。れ、れ、れっ、もう午後も6時過ぎ。

 この頃、一日があまりにも短くなりました。歳のせい、それとも忙しいせい。



2015年7月3日金曜日

オマケ 写真の基本



 「スタジオにより」と書いたけど、寄ったのは某大手カメラ販売店のスタジオ。入ると若い女の子がカメラマン。ギクーとしましたが、不安的中です。

 なにしろ、撮ったどの写真も頭に濡れた髪がベター。ネクタイは曲がっています。ズボンの裾はヨレヨレ。そして肝心の顔は、逃走に疲れた犯罪者みたいです。間で、何回も大丈夫ですか、と訊いたのに。

 ぼくは、遠い昔、産貿ビル(横浜の産業貿易センター)で仕事をしていた時、そこに証明写真用のスタジオを併設していました。よくカメラマンに言い続けました。「きみの仕事は2つです。一つは、撮る準備で、客の身なりを整えてあげることです。そして、二つ目。撮るは奪るであり盗るです。まず客の緊張を奪るです。そして盗るは、その人の人生の年輪、喜・怒・哀・楽のでた瞬間を盗むことだよ」と。

 撮影は、たんにシャッターを押す作業になったのでしょうか。カメラが進化し、バカチョンが一般化し、カメラマンが退化したのでしょうか。

知性は顔に出る?



 自分の活動報告の原稿をかき、写真スタジオにより、それから高田馬場へ。おっ、母校の近くで嬉しい、と言いたい。が、あまりの街の変貌で右も左も分からない。

 で、要件。あるフォーラムでぼくの発言を聴き、関心を持ち、「がんばろう日本国民会議」の方からインタビューを受けました。ありがたいことです。

 それから、ここまで足を運んだついでで、池袋である女性都議と仲間との情報交換。兼会食、兼2次会。結局遅くなり、池袋泊。


 なお、その都議は、ワクチン被害関係の会議で知り合った方ですが、超美人。といってもスポーツや芸能で有名になって国会議員になった美人だけが売りのパー子ではありません。地方議員には、頭や心からにじんだ美人が結構います。つい、こちらも図に乗り、ハリキリ、2次会となりました。日頃、美しさが顔に出ない議員にふれている反動でしょうか。いや失礼、

2015年7月2日木曜日

愛川町は別世界?

 午前中は町議の月例会。ただし、メインは8月の新町発足60周年記念にかかわるイベントについての町からの報告。月例会の報告はとくに話題でもないことが2、3点で10数分。あとあったのは、姉妹都市の町長・副町長が見えたので、挨拶程度の意見交換とこれまた10何分だか。
 それから、少し間があって、写真撮影。報道機関が、秋が選挙だというので、町議が集った機会にとっておこうという次第。ぼくは個人的には先は決めてないので辞退したかったけど、ぜひ、ぜひともで、はい、パチリ。
 それよりこれより、驚いた。引退の噂の方がパチリだったり。いや、驚かないか。これはこの世界では日常事です。
 ぼく的には、もっとそれよりこれよりがあります。巷は安保法制で騒いでいます。それで県内のあちこちの議会でも意見書の提出の動きが忙しい。ぼくも月例会の開始前、何人かの町議に慎重審議を求める意見書の提出の話を振ってみました。やっぱというか、ほとんど関心なしでした。あーあ、あーあ。

2015年7月1日水曜日

オマケ 見えないから危険

 想定外の危険というものがあります。だいぶまえの首相官邸のドローン墜落がそう、少し前の箱根の水蒸気がそう。そして、新幹線車内の焼身自殺がまた然り。
 そのたびに言います。ぼくも言いそうになります。こんな弱点があったのか、これから対策を考えよう、とか、国の安全管理はどうなってるのとか、エラソーに、あるいは、つい人の想像力の不足を嘆きます。
 だが、待てよ。
 先日、ある危険に出会いました。ぼくの乗った電車の前の座席へ二十歳くらいのカワイコちゃん(ぼくは若い娘をすべてカワイイという)が座って眠っていました。惜しいことに口をポカンと開けて、上向きに。次の駅へつき、戸が開くと、ハエが入ってきて、ブーン。あれっ。するとかの女は無意識に、パクリ、口を閉じました。あとは、何事もなかったみたいに、かの女はグーグー。
 これが危険の本質です。だれが想定できたでしょう。そこに想定はありません。そもそも想定外は無限です。そして危険は想定外に潜みます。
 心配です。危険の本質がこれです。いや、心配したのは、その娘ではなくて、ハエ。ハエは死の危険を想像できないのでありました。ぼくが彼女に想像したのは、こんなに眠りが深いなら、キスしても大丈夫だったかな……。いや、これはウソ。ウソとしておかないと、ぼくはスケベということになります。まあ、否定はできないが、かく、この世は危険に満ちている。だから対策はありません。

2015年6月30日火曜日

まず自省

 厚木の選挙の告示は7月5日です。超激戦の様相になってます。ボクの町はおとなりということで「情況はどうなの」とか「◯△さんってどんな方ですか」などと聞かれる。もちろんいいかげんに答えられません。しかも今回は新人が多く、かれらについてはよくわからない。せいぜいわかるのは、ぼくの知人の知人の候補者とか出身が地元の候補者(愛川出身は2人)くらいです。
 とかいう訳で、今日は厚木をあっちへ行ったりこっちへ歩いたり。もちろん情報の収集です。それができるのは、ぼくも、愛川の前は厚木の住民でありました。市内のあちこちに知人がいます。
 そうこうしている中、心配になってきました。ぼくもこの秋に選挙を迎えるが、はたして立候補の資格はあるのか、今まで何をやってきたのか。活動してきたか。そすいて成果はどうだったか。ついこの4年の活動を整理してみました。それを客観的な資料とするのは、思いの外大変で、結局、1日半ほどかけたけど、終わらなかった始末です。
 ぼくは、それ抜きに、「選挙だ、さあ、頑張るゾ」は嫌いです。働かない議員に限って、そうだけど。
 議員の正体は、たんに自惚れ屋のオジン、オバンです。プライドだけが一人前。

2015年6月29日月曜日

大きなことはいいことか。

 今日は人口70ン万の政令市相模原の議会傍聴でありました。さて大きな町、先進市の議会は進んでいるか。前から知ってはいましたが、必ずしもそうではありません。まず傍聴を申し込むと、首からかける札を渡される。入ると、なかに衛視が。そして大勢の議員がズラリ……。ギクッ、いまや珍しい景色です。
 さて、中身です。一般質問者は、47人中の22市議。傍聴した議員の質問時間は、たまたまか短い。みんな持ち時間を残します。そして肝心のテーマですが、町の将来に関わる大テーマかといえばそうでもない。大方は、質疑と勘違いしそうになる。市の事業に関わる中テーマでありました。幸い、どこをの道路工事とか、”ただ訊けば済む”話題はなかったけれど。
 訊けば、一括方式か一問一答かは本人の自由は良いとして、質問時間は一人20分×会派の人数。きわめて古い議会です。その持ち時間数は、知る限り県下最少。これでは大テーマをじっくりやれません。いきおい中テーマになりやすい。訊くだけになりやすい。そして、それに慣れると、その持ち時間も余してしまうということでしょうか。ちょっと計算すると、質問者は市議の人数の4割強。発言時間も持ち時間の4割強、そして多選議員も4割強。この偶然の一致はなんでしょう。なかなか考えさせられるのでありました。
 となると、質問のたびに傍聴席から拍手が出るのも先進的だと思っていたけれど、これも遠い昔からの習慣なのかもしれません。
 ともあれ、このところ各地の議会を傍聴して実感してきました。議会改革とは、議員の質の改革であり、その改革とは質問時間の延長であり、延長とは定数削減であり、削減とは新旧の入れ替えなのかと。
 それなしに議会基本条例も通年議会制度もあまり役に立たない、と。
 あとひとつ、一般質問中に、議長が「残り2分です」とかいうところは0。番号で挙手したり指名するところもほぼ0。答弁に対し「簡潔に願います」というところはあったけど、というか、おおむね行政の答弁はどこも愛川町より簡潔でありました。

2015年6月28日日曜日

汗をかき、頭をカラに

 このところ連日原稿書きですが、というか朝の4時頃まで仕事です。
 それから4、5時間は爆睡。そして仲間と裏の瓦の草むしりや花植え。ついでに午後は碁を2局打って2敗。ウッ。
 しかし汗をかくと頭が空っぽになります。好きなことをすると心も空っぽになります。そして明け方の続きをセッセ、セッセでありました。

2015年6月26日金曜日

見直しの空き家論

 ご存知、いま空き家対策が世の関心事です。わが町も対策が遅れているので、ぼくも議会で取り上げました。
 しかし、この空き家問題には、じつは「いま一つの空き家問題」があります。普通空き家といえば、古い壊れかけた家を想像しますが、問題はそれだけではありません。不動産屋や宅地建物業の”税金対策”の口車に乗り、いまローカルでは静かなアパート建築ブームです。しかし、それらのアパートはどんどん空き家化しています。なんと、そうした”新しい家屋の空き家”はいま3割ほどありますが、見落とされています。空き家が問題の中で、さらにわざわざ空き家が建てられているのです。
 前置きが長くなりましたが、勉強したり調査したりする議員は気がつき始めました。「これって問題だよネ」と。というわけで、今日もちょこっと新宿へ。8人の市区町議でこの問題をワイワイ、ガヤガヤ。こうした方たちと話しているとやる気が出てきます。
 ちなみにわが町の議員だと「えっ、そんな問題あるの、ウッソー」です。中津地区など空き室があふれていても、気が付かないで。やがて一大社会問題になるでしょう。

2015年6月25日木曜日

大テーマの場合は

 昨日の続きのあと、午後から恒例のJIフォーラムで日本財団へ、。テーマは「老・病・死を考える」 患者の葬儀に参列する医師と禅僧から転職した医師との講演プラス対談です。
 メインは「本人と周囲とは死期にどう対処するか」 たいへん大テーマです。話の切り口は無限だし深いテーマです。この場合、とかく視点が広がり過ぎ、まとまらなくなりがちです。それもひとつのあり方ですが、尻切れトンボになりやすい。今回もそうでありました。話の中で何が肝なのか、絞り込む努力を願いたい。講演者のためにネ。
 科学はどこまでスピリチュアルに迫れるかにして欲しかった。

2015年6月17日水曜日

再び18歳選挙権

 ついに改正公職選挙法が、参院で可決され成立。まずはめでたいといいたいが、問題は少なくない。先般、条件整備しないで子どもに選挙権を与えて大丈夫かの不安を書いたが、心配はそれだけでない。成人年齢や少年法との矛盾をどうする。文科省の「高校生の政治活動の禁止」をどう扱うかの課題も。
 とくに気になるのは、選挙では18歳は大人の扱いで、犯罪は子どもの扱い。ムシがいい。
 とはいえ、成立したからには前向きに考えたい。18歳は未熟と思うけど、大人の未熟も少なくない。いや、多い。いまだに地区対抗戦みたいな、あるいは地縁・血縁選挙は変わってない。結局、かれらは町のなにも変えない。住民はあきれる。低投票率になるの悪循環です。
 そうだ、高校生の方が、まだ純粋だ。それを使わない手はない。4・5日前に立ち話した「明るい選挙を推進する会」の役員も嘆いていました。「投票率の低さはいきつくところ議員の質の低さだから打つ手がない」と。だが、そうじゃない。パソコンを覗けば、全国のいろいろな投票率UP策が出てくる。きっと高校生なら、そのあたりをうまくこなすだろう。さらにはそこに新しいアイディアを加えるに違いない。そして、その行為自体が、かれらの政治参加の意識を高めるだろう。
 その手がありました。ぼくはその役員が地元の高校とタイアップするよう奨めよう。

ひたすら内視鏡

 ほぼ終日、ひたすたこの内視鏡とペーパー版の内視鏡の原稿書きプラス読書でありました。原稿に10時間。読書に7,8時間ほど。

2015年6月16日火曜日

今度は綾瀬の議会へ

 午前、議会だよりの原稿を書いてから、議会事務局に寄り提出。午后は、二宮で”味をしめた”気分だったので、今度は綾瀬の議会の傍聴へ。
 さて、ここの議会の特色はといきたいが、じつは書きがたい。一度だけ4,5人ほど傍聴してもじつはわからない。「たまたまその日がそうであった」のかもしれない。
 その限りのことです。一番に驚いたのが、教育関係の質問が7件もあり、なかでも大半が学力向上についてだったことです。ある市議に伺うと、「いま市内の子の学力の低さが市民の関心です」と言う。たしかに子どもの学力の低さは将来の就職に関わるので超重大事だけど、はてなです。ちなみに、わが町の子の低学力も人後に落ちず、以前ぼくも議会で熱くやったが、同僚の反応はイマ1,いやイマ3ぐらいだったからかもしれない。
 あと一つ。ここの一般質問は平均2項目ほどと思うが、議員の持ち時間は50分。これもわが町と異なり、じっくりやれる。舗道整備、道路拡幅、あるいは道にはみでた木の伐採など所管に話せば済むテーマは、50分では多すぎだから、ない。とうぜん、誰もがまちづくりにかかるテーマを選ぶので、質問の質は高くなる。とてもうらやましい。
 そして、すばらしいのが傍聴者に配られる資料。そこに「一問一答式なので、再質問の回数は無制限」と明記されている。あくまでも議会での議員の発言権重視です。これもいい。ぼくは議会で再質問が多すぎるといわれ、「せいぜい2回にしろ」と注意を受ける。が、それは「一括式」の場合でしょう。綾瀬では「一括式の再質問は2回まで」とこれまた明記しているのです。
 あと一つ。綾瀬も女性議員が多いが、申し合わせたみたいに、大方は無地のスーツで決めていて、キャリアガール・スタイル。ネックレス、イヤリング、ブレスレットなし。まずは薄化粧で清々しい。偏見かもしれないが、プロ意識が強いのだろうか。質問は提案型あるいは追及型が少なくない。「ただ訊くだけ議員」はごく少数。議事録もみたけれど……。うらやましい。

2015年6月15日月曜日

あえて手にせず

 午前、すこし片付けをして、「小さな庭」へ調べ物をしにいき、午后また調べ物というか確認事項があり議会事務局へ立ち寄り、それから久美堂へ本を買いに行き、1局碁を打って、あとは深夜まで原稿書き、ときどき読書です。
 ところで、その久美堂です。先週はレジ前に山積みになっていた「絶歌」(例の殺人少年Aの告白本)が売り切れとか。それってなんでしょう。そこに書かれた遺族の気持ちやいかに。ほんとうに被害者を思えば書くべきでない本です。もっと不思議なのは、その本を読んで、同じように「読むべきでない」と訴える評論家(?)たとえばテリー伊藤ってなんでしょ。だったら、読むな、コラッ。ぼくはあえて手に取らないのでした。
 そして、それが誘発。いまわが町のプレミアム「とくとく商品券」が完売。買い物で2割もトクするからです。しかし、こちらもなんでしょ。
 元金は税金だし、政府が地方活性策にだした交付金でありました。その単機完売の意味は明白。一人で、中国人の”爆買い”みたいにさもしく、20万、50万、100万円と購入する人が続出したからです。これではあまりにも一過性だし、金持ち優遇だし、ちっとも創生につながりません。計画が拙速おざなりに過ぎました。ほんとは、低所得者優先、地元零細商店取り扱い優先ぐらいにはすべきだったかも。実態は、町議の反対派の声が小さかったということでしょうか。自身が金持ちで気が付かなかったというべきか。いずれにしろ、こちらでもぼくは「あえて手にせず」でありました。町民主権のことだし、マナーだし。

2015年6月14日日曜日

ほぼ終日原稿書き

 ほぼ終日、内視鏡ペーパー版の原稿書きです。およそ原稿用紙12枚弱程度ではありますが、書きたいことは山ほど。一番に気を使うのが何を削るか。読者が多いので、その分責任が重く、時間がかかります。それでも人はさまざま。「もっと詳しく」という方もいれば「もっと短く」という人も。「わかりやすく」という方も「簡潔に」という人も。そして「他の町議のことも詳しく」という方も、「自分の意見を」という人も。フーッ。
 それに今回、他市の議会に頼まれ、そこの原稿書きなど加わって、またフー、フーッ。

気分転換、イェーイ

久しぶりに、それなりの人数でわが家の裏の川原の草むしり、それからラビンでちょい碁打ち。そしてまた相模原までシンポジウムの参加へ。
 その一つ一つが、結構、気分転換でありました。

2015年6月13日土曜日

さて水素水は?

 基本はいつもどおりです。
 そこに一つ新しいこと、待っていた水素水の製造機ゲットです。ある本によると、人は歳を取ると、あるいは精神障害者はストレスになりやすく、いろいろ体調を壊しやすい。水素水を飲むと身体を中和させるので、そうした人によい、とのこと。さっそくある方に”実験”してもらう予定です。さて、どうなるか。なお、薬ではないので、副作用は0です。念のため。

2015年6月12日金曜日

本会議最終日

 議会としては、しばしばふれたが議案が少なく今日が最終日(ちなみに周辺の議会の議案はそれなり多いけど、なぜかなあ)
 というわけで、今日の発言は、熊坂(崇)町議のし尿処理車についての総括質疑と井上町議の陳情への賛成討論のみ。ぼくがどちらもパスしたのはすでに書いたとおりで、パフォーマンスを避けました。
 なお、議会後の議員のみ全員協議会で、ゴミ処理関係の組合の決定事項として「清川村の最終処分場の建設取りやめ」の報告がありました。当たり前です。今は業者が引き取ってくれる時代で、ン10億円も使って処分場を建てる時代ではありません。
 あと一つ、議会だよりの編集委員会もあったけど、仕事のメインが質問のタイトル付けというのはどうでしょう。折から、昨日は二宮に行ったので、そこの議会だよりの中身を報告しました。何しろ、二宮のは、一項目の質疑をQ&A方式っで何点かに分けて報告するし、文字数も多いので、質問の流れがわかります。こちらも、もう編集のあり方を検討する時代でしょうか。それに乗り、そこで崇徳議員からもまるで新しいタイプの議会だよりの紹介がありました。何かが変わり、より読みやすく、わかりやすくなることを願います。

2015年6月11日木曜日

おお、先進的、二宮町議会

 たまには湘南の議会というわけで、二宮町議会を傍聴しました。人口も、議会の定数もわが町と近いことだし。
 まず、入って吃驚。明るい大きな窓辺、高い圧迫感のない天井、女性町議が3分の1ほども。そして、低い傍聴席。前に座る町議の肩でもたたけそうな身近な傍聴席です。いいネ。
 で、肝心の中身です。質問は何項目もできるけど、多くの方が一項目の質問。持ち時間は一項目40分。それがとくにいい。
 意味は言うまでもない。これだと大きな問題をじっくりやれる。とうぜん事前勉強が必要。勉強してないと質疑は破綻する。職員に訊くだけの質問はなくなる。自然と議員の質が上がる仕組みです。もしやマジメな女性町議を増やした背景か。うらやまし。ぼくは心のパソコンの「いいね」のボタンを押しました。

2015年6月10日水曜日

いつも通り

 もうおなじみの「いつも通り」です。そう、片付け、読書、囲碁、etc.
 あとは、議会で総括質疑しないかその他で人と相談。議案(し尿処理車購入)が1件で、崇徳町議がしてくれるとわかり、取りやめにしたけど。

2015年6月9日火曜日

●オマケ 凛(りん)

 ある年齢になると、日本人が、とくに女性の好きな言葉に「凛(りん)」があります。しかし、その凛ってなんでしょう。言葉の意味はわかるとして、その実体は何でしょう。行為でしょうか心でしょうか。あるはそこから滲むものなのでしょうか。改めて考えるとわからない。「凛」 なぞの言葉を使いたがる人に限り、じつはすこしも凛としてなくて。
 そう思っているとき、たまたまかの103歳の桃紅さんの「その日の墨」を夜、読みました。とても凛とした文です。そしてハッ、わかりました。凛は生き様、風説に耐え、苦しい時代を超えて生きるなかで得るものです。きっと、かの女の本を読むと清々しくなります。ぜひ一読を。ここ半世紀で日本人が忘れた大切を思い出させてくれるでしょう。とりとめもない自分史を書き、悦に入っている方には必読書かも。

これはこまった

 陳情には、時々、ひどく判断に苦しむものがある。今回のはその典型です。中身は「保険診療への消費税を0にする意見書を国にだしてほしい」です。
 もし賛成するとどうなるか。たしかに生活困窮者の多くは救われる。それは良い。しかし国の軽減税率対象項目の不適切は、なにも診療費に限らない。そこだけ認めれば、ほかの不適切を適切としたことになる。かといって、反対も困る。この場合は、困窮者を踏みにじることになる。そこでこれを審議する委員会には「趣旨了承」つまり「気持ちは理解しているけど、賛成までは出来ない」という判断も残されている。
 さて、委員会はその「趣旨了承」になったか。というわけで、議会事務局に結論を聞きに行きました。すると「反対」だったのです。うーん。これだと本会議での評決は「賛成」か「反対」かの二択となります。まさに「こまったこと」でありました。
 あとは家に帰り、6月議会報告用のペーパー版の内視鏡を書き始めたり、夜は読書です。

2015年6月8日月曜日

フーッ、追いついたけど

朝から棚沢の囲碁カフェyoshidaの集まりにチョイ顔を出し、厚木へ。目的は議会の傍聴プラス市議選の情報交換。何しろ応援を頼まれている方が何人かいて困ります。
 それから家に帰り、深夜までこの内視鏡書き。とりあえず6日まで書き上げ、やっと追いついたけど、でも、あえて時間を置き、”不適切表現”を見直すので、、立ち上げまで5,6日かかるかも。