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このページは愛川町議会議員玉利まさるのホームページです。
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2015年6月までの記事は玉利まさる@愛川町の内視鏡(旧ページ)に残しますので、どちらもよろしくおねがいします。
                   編集子 K



2015年7月5日日曜日

愛の刻印



 朝刊に気になる記事が3本。まずはギリシャの国民投票。ぼくがギリシャ人ならどうするか。つぎは厚木の市議選挙の告示です。また個人的には「横浜ローザ逆輸入」のニュースです。

 午前中はその辺りを考えましたが、リアルなのは市議選です。隣町なので知っている方がいっぱい。早い話、市のために落ちてほしい方が3人、受かってほしい新人が3人。ギェーです。ギェーッ。そもそも、市政を思えば、一人一票はムチャです。希望者は一人三票までにしてくれないか。そうなれば、きっと当選者はかなり変わります。きっと、「地縁・血縁・働かない」議員はかなり減ります。まあ、ありえない夢だけど。

 午后は、雨が止むのを待ったけど、いよいよどしゃ降り。そのなか、挨拶というか激励というか、出かけて、帰りには内視鏡のことで知人と打ち合わせ。

 さて、横浜ローザです。ご存知、これは浜の娼婦メリーさんを戦争の被害者として描いた五大路子さんの一人劇ですが、ぼくなりに頭に去来するものがあります。

じつはそのメリーさん、知ってます。産貿ビルのスタジオのことを先ほど触れましたが、40年ほど前、そのメリーさん、しょっちゅうビル内をうろついていました。ときにスタジオにも見えました。

しかし、そのメリーさんの名は、ぼくたちの間では、シロシロばあさん。何しろ、帽子も服も靴も、そして厚化粧の顔も白です。正直、気味悪くて、当時ぼくは30前なので、みたところ彼女は7,80歳です。じっさいは60前後だったのですが、こっちは若いし、気持ち悪いし、ばあさんに見えたのでしょう。

ある日、スタジオに来た時、ただで写真をとってくれと頼まれたことがあります。はやく追い出したい気持ちを好奇心とで引き受けました。その時、ファインダーを除くと、ン、なぜか悲しい気品が漂っている。興味をそそられ、いろいろ訊きました。

むかしのことなので、覚えている断片です。

白ずくめは、かの女の一ばん幸せな日々の記念です。結婚式の姿です。その服を着て、注目されることで幸せになるのです。

本人は、シロシロばあさんと呼ばれていることは承知です。でも、そう呼ぶのは日本人なので無視です。メリーは、結婚して戦死したアメリカ人の呼び名です。つまり外国人にはメリーと読んでもらいたい。そして娼婦になりました。例え嘘でも、ベッドで、できれば英語で、愛を囁かれ、メリーと呼ばれると、相手はそのまま夫になるという。一ばん幸せだった瞬間を再現できるとか。

あと一つ、娼婦としてのコール・ナンバーの61は、永遠の愛のシンボル7の代用です。

そうしたことを知ったあと、ぼくにとってもかの女は、シロシロばあさんでなく、メリーになりました。理解の背景がありました。

 それより、さらに4,5年前、サラリーマン時代です。会社の同僚の女の子に、アメリカ人と付き合っていて、かれ氏をベトナムでなくした子がいました。その子が社員旅行で泥酔した時頼まれたことがあります。これからジョージになってくれないか、鼻の形が似ているから。

メリーが反戦のシンボルかは今もわかりません。戦争の犠牲者なのは確かですが交通事故で夫をなくしていても娼婦になっていたかもしれません。たしかなのは愛の印が刻まれたことだけです。それは幸か不幸かは本人だけが知ることでしょう。この年齢になるとわかります。売春はいけないというけれど、そこに救いを求めている女性はたしかにいます。人間は哀しい生き物と思う。



蛇足です。その辺を解さない堅物は嫌いです。