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このページは愛川町議会議員玉利まさるのホームページです。
現在、最新(2015年7月から)の更新はこちらで行っております。
2015年6月までの記事は玉利まさる@愛川町の内視鏡(旧ページ)に残しますので、どちらもよろしくおねがいします。
                   編集子 K



2020年8月22日土曜日

つぶやき

①李登輝さん逝く ~巨星だったのに~

 李さん、一般的には民主主義の父と呼ばれ、健全な経済発展で国民に夢を与えた人と言えようか。だが、ぼくには違う。日本人以上に日本を知る方で、かれの生き方は、たとえば目先の経済優先で中国に近づき、果ては今日の中国の横暴を許した日本への警鐘です。また戦後、日本が戦勝国に四島に分割されるのを防いだ恩人の一人です。が、あぁ、メディアの扱いは小さい。

②NHK大減収 ~紅白よどこへ~

 NHKの紅白の見直しとか。結論、良いことです。年寄が見ると、若い人の出演ばかりで面白くない。その反対もまた然り。たんに金喰い虫だ。オリンピックも消えそうだし、この際、1964年あたりの再放から流し当時の方でまだ健在な方を招いたら。費用は10の1、否、何十分の1で済むよ。

③国民民主 ~分党だとか。いいね。~

 国民と立民の話し合い決裂。それで国民の何人か、もっと多くが立民へだとか。理由は「より大きなかなたまりへ行きたい」。 ン? 何回も聞いた話です。でも大きなかたまりって寄り合い所帯、主義主張がバラバラ。民主ができたときも、希望ができたときもそうでした。結局、すぐパーかも。出ていく人は何回失敗すれば気がつくのか。この際、国民民主は小なりといえど、頑張ればいい。そもそも50億円も余裕があるし。そして、原点「国民民主」を見つめよう。その国民の声のアンケートを読み返そう。その結果は言っている、国土・日本の伝統文化はしっかり守ってネ。利権体質、大企業優先はダメ、政治とは福祉、まず暮らしを守ることです。むろん何でも反対の、代案なしの、ブーメラン党の立民はさらにペケ。そう、それを教えてくれたのが、先の李登輝さん。そしてかれは成功、国民民主、初めは小なりと言え、隠れ支持者は膨大です。ぶれず、迷わず、一歩ずつ、胸をはって頑張ってネ。自民と競い合ってネ。

④ふるさと納税 ~今がチャンス?~

 愛川のふるさと納税、昨年で見ると収入は県下の底辺のレベルです。清川村より少ないし、ざっぱに多いところの10分の1、100分の1かも。そこへもってきて今年はコロナ禍で町は大出費です。そこで思うのがふるさと納税、そもそもその趣旨は、ふるさとを思う人の寄付行為です。過剰な返礼品を餌に金お集める行為ではありません。その意味でコロナ禍はふるさとを思う人に訴えるチャンスです。あぁ、なぜ訴えないのかなぁ。(えっ、町を思う方がいなかったりするだろって、まさか、わが町は愛甲郡愛川町、愛愛が二つある町。町民への愛と町民からの愛のあるふるさと納税のラブラブ作戦あったらなぁ)

⑤マスクで分かる ~人柄がネ~

 マスクは息苦しく苦手です。自分の車の中では着けません。車を降りるときつい‟忘れる”と、言われる。「染るだろ、こら」。ぶすっと「マ・ス・ク」。自分の口元を指し「忘れているよ」。「ごめん、マスク着けてネ」。ニコニコと「マスクお願い」。「あらないの、あげるわよ」。「私もつい忘れるの、これ」。「もしかしてマスク・アレルギー?」。とにかく、まぁ、人の反応は千差万別。攻撃的から相手への思いやりまで、その一言で印象をよくしたり、悪くしたり。言葉や仕草ってもしや人柄、それとも魂か。魂は鬼が言うと書くけれど、言葉とか仕草とかは、心に住んでいる何かがさせるものなのでしょうか。だとすると怖い、このごろ。つい余裕を失って、こころの鬼が活動しないよう、気をつけている次第です。

 

9月議会は ~共生社会と数学~

①共生社会 やまゆり園の問題以来「共に生きる社会」が叫ばれています。しかし、かつて精神科の世話になった者として、その経験からその方面のボランティアを続けている者として、行政へ解決へのヒントを提示していきます。

 ②「数学」 3月に総論的に「学校の授業」の課題を扱う予定でしたが、例のコロナ禍で取り止め。そこで今回はいきなり各論で、その一回目に数学を扱います。中学校の数学はほぼビリケツ、学習塾で30年以上授業をしてきた者として、授業の改善を迫ります。

残土埋立て② ~えっ、また三増?~

 三増区峰の話で、埋立てといっても低い農地への盛土とか。問題は、その残土が農業に不向きらしいこと。民間対民間のトラブルとも言えます。少し調べると農地に適した残土の盛土も少なくない。ということは情報の問題とも言えそう。ぜひ情報をお持ちの方の一報を!

 

残土埋立て① ~その後は~

 6月議会で、愛川に被害が及ぶかもの津久井農場の巨大埋立てを取り上げたのはご存知のとおりです。が、中には「なぜ愛川の事業ではないのに」のご批判も。ところが7月の半原公民館での講演会では、直前まで大雨でしたが、スタッフをいれ80人弱の方がみえました。この手の勉強会としては大成功、ほっとしました。

2020年8月21日金曜日

コロナに想う ~迷走する理由は~

 感染者は減りません。というより増えています。対策が後手だからです。なぜ後手なのか、対策が迷走するのか。そのプロセスをふり返ると、原因が見えてきます。ぼくは1月下旬からブログその他で発信していますが、ほぼ時系列でふり返ります。 

・客船隔離 ぼくは船に客を閉じ込めたとき、「ウイルスの培養だ」と発信していますが、国が気がつくのは感染者がかなり増えてからのずっと後、メディアも増加は伝えましたが、隔離の必要は伝えません。

・3密騒ぎ 国よりメディアが騒いだが、たとえばソーシャルディスタンスについてバラバラで50㎝から3mまで大声でよく喋るアメリカ人と日本人は違うのに。その頃、ぼくの訴える電車の吊り革、エスカレータ―の手摺り、コンビニの入口のノブなどメディアは気にしてません。国の基準や指定はずっと後で、未だに杜撰です。

 ・マスク不足 ぼくは、マスク不足が始まると調査しました。なんと町内のマスクは大方が中国製で、粗悪品もかなりです。メディアも不足を騒いでいましたが、製品の質は報道しません。国の対応は、不足がなくなってからです。

・感染者数報道 ぼくは毎日、新聞の数字を見ていて、その不自然な動きを知りました。そこで、保健所を調査しました。なんと保健所は報告にあがってくるものだけをカウントするところもあります。しかも(今も)加算方式ですから、その中にすでに感染者でない方も含みます。これでは実態が見えません。それを訴えたことがあります。黒岩県政は反応し、報告の仕方を改善しましたが、完全ではありません。ぼくたちは実態でない数字に振り回されています。メディアはただ不安だけを煽っているのです。国はおろおろ。。

・給付金騒動 コロナで収入の減る人、なくなる人の続出です。ぼくも「困っている人に給付を」と叫び続けてきました。でも、それは‟困った方”に届いたか、例えば、三人の子供を抱えるお母さんに、テントに住む方に、フリーターやネットカフェで暮らす方に。一律の10万円を手にした方はいるかもだ。無税者や住所のない方には何もありません。でも、その結果が、例えば風俗で働く方のクラスター騒ぎです。子供を抱えて働くなと言われても無理です。キャバクラ問題は給付金問題です。誰も気づいてくれないけど。

・薬品問題 コロナが始まるとワクチンが話題になりました。しかしワクチンはないので、アビガン他10いくつかの代用薬の名が挙がっては消えていきました。名が出るのはそれなりに効果がある訳だけど、やがて効果が疑われ、やがて副作用も話題になり、消えていきました。ぼくはその過程で、「まずは効能の検証を」と訴えたこともあります。そのとき「効果があると言ったり、ないと言ったり」どっちなのと思い、調べ、気がつきました。例えばある薬はフランス人に効くけどアメリカ人に無効。その逆もあります。その意味は、アメリカ人とフランス人の体質の違いか、それとも米仏でかかるコロナそのものが違うのか。コロナに色んな種類があるのが分かったのはだいぶ経ってからですが、国もあまりそれを認識していません。

(大切なので余談です。フィリピンは中国のワクチン開発を期待し、領土問題に目をつぶっています。開発したのが武漢型用のワクチンだったらどうするのでしょうか。日本は日本人向きの開発を願います。)

・公民館問題 この頃、公民館の規制がゆるんでいますが、その基準が不明です。たとえば、ある公民館では、詩吟の活動はできますが囲碁・将棋はできません。理由は「詩吟は対面じゃないけど、囲碁・将棋は違う」からとのこと。待ってください。感染原因の第一は人の声です。だから詩吟は知りませんが、カラオケで染った人はいます。まして詩吟は腹から大きな声を出します。一方、囲碁・将棋です。またの名を手談とも言います。文字のとおり手で語るゲームだからです。声を出さないゲームだからです。そのせいか碁席で感染した人をぼくは知りません。言いたいのは、いまだ肝心のなぜ染るかが整理されていないということです。

キリがないので止すけど、もう誰もが気がつくと思う。結局、肝心のコロナの正体はほぼ未解明のままで特効薬はつくれない。コロナの染り方さえ正確に見えていない。頼りは数字だけだが、その数字が怪しい。ぼくには統計を見るとき、客観的に直すクセ(例えば、人口比に換算するとか、治った人を除外するその他のクセ)があるが、行政やメディアにその習慣がない。コロナの正体不明の中で、数字それも根拠不明の感染者数の増加ばかり強調すれば、政府の対応がずさんになり、国民がパニック(ぼくはそれを判断力の無力化と訳す)になるでしょう。

そして、その‟パニック症”の証拠がPCRの増強やGOTOトラベルなどの政策だろうか。

 ・愚策PCR まず誤診がある。陽性を陰性と判断すればウイルスをバラまく。陰性を陽性と判断する場合も困る。検査で分かった人はもともと元気、つまり抗体ができていた場合が多い。しかし、ぼくの心配はそこにない。PCR検査するほどに感染者を増やす、つまり流行の実態が見えなくなるだけでなく、‟パニック”をさらに加速する。ただでさえ医師不足の現場を崩壊しかねない。そこで一番いけないのは何か?当たり前だが、抗体はウイルスの刺激でできる。コロナでなくとも(擬似)抗体はできる。コロナの抗体ができる。ただし、抗体は時間と共にウイルスが弱くなるのにつれ、弱まる。その人は再感染するかもしれないが、心配ない。その抗体はいよいよ本物になる(それをブースター効果という)。コロナが一時かなり減ったのはそのためだ。日本人が集団抗体状態になったのでしょう。ぼくは、その意味で、コロナ対策では一定の放置も必要だと思う。だから欧米ではPCR検査を徹底していない。まして弱毒性のコロナの日本に徹底の必要はない。それは集団抗体をつくる機会を奪う。冷静に見よう。人口比でみると日本人の感染者は少ない。死亡率も人口比で見よう。これらは極端に少ない。日本においては癌や肺炎や糖尿病や血管の病気のほうが怖い。PCR検査の徹底だなんて、パニックになるだけ。

・愚策GOTO コロナで観光不振だからGOTOトラベルとか。まったく理解できない。ステイホームがコロナの予防策ならGOTOがコロナ振興策なのは子どもでも分かる。だから地方の観光業者も「来ないで」と言っている。国は何を血迷っているのか。パニクっている。これはコロナ対策と裏腹です。コロナではなく、観光収入が心配なら、純粋に経済支援ですむ話。GOTOなんて言うな。国もここまでパニックか。もう書くのもアホらしい。

結局、国がアホでそれをたれ流すメディアもアホ。いや、メディアがアホなのか。にしても、つい過日の読売新聞の報道した7大コロナ対策はひどすぎだ。裏付けを取らないで記事を書き、自分で自分の記事でパニックになっている、この頃のメディアの体質のシンボルかもしれない。最後に、その7大対策を掲げます。考えるヒント(資料)をあれこれ書いてきたので、どこがおかしいか自分で見つけてください。コロナ対策が書いていないのを。

 ①感染症対策不在から脱せよ、PCR検査を1日10万件に

 ②コロナ不況脱却に全力を、資本注入にためらわず大胆に

 ③首相直属の本部を設けよ、感染防止と経済再生の両立を

 ④国は地方任せにするな、国による手厚い財政支援

 ⑤休校でも学習機会の確保を、オンライン環境の普及を急げ

 ⑥国際協調の機運を取り戻せ、WHOの改革日本が主導を

 ⑦コロナ差別を許さない風潮を、啓発運動や救済制度の充実を

 チクショー、①から④は経済の話だし、⑤から⑦は、コロナ禍でなくとも必要な話だ。ちなみにWHOについては、例の中国忖度が頭にあるのだろうが、そこの医師たちのパトロンが製薬会社の意向で働くのが最大のネックです。そして⑦のコロナ差別は、共生社会の問題だが、啓発するのは、読売さん、まずあなたの仕事でしょう。

 七大対策はさておき、ぼくたちは、すでに第2波に入っていることを自覚し、日本型コロナは強悪でないのも自覚し、ステイホームとマスクや手洗いで乗りきれるのも自覚し、粛々といきましょう。それで乗り切れると思います。図に乗ったり、パニックったりしなければ、以上がぼくの思いです。

 

 

 

 

   

2020年8月19日水曜日

さまよう8月 ~九条問題よりも~

 以前にも発信していますが、終戦記念日が過ぎたので改めて、です。  8月になると毎年きっと思い出す学生時代の友だちが二人います。まずA君。広島生まれで、原爆で父を亡くしています。母から戦争の悲惨を聴いて育っています。だから、彼は絶対平和主義者です。むろん、彼は「九条を守ろう」派です。彼の訴えの気持ちはよく分かります。次にB君。父を戦地で失っていますが、彼のおじさん、終戦をインドネシアでむかえ、その後は残留し、インドネシアの独立のため戦っていました。だから彼はあの戦争をアジア独立解放戦争と位置づけています。A君があの戦争を侵略戦争と呼ぶのが許せません。父の死が犯罪になり、名誉が傷つきます。この気持ちも分かります。  しかし、そんな二人にも共通点があります。戦争というのは、勝っても負けても、被害者かつ加害者になります。だから二人は、むろんぼくも戦争が嫌いです。だから戦後、すぐに国連ができたとき、ぼくらはどれほど期待したでしょう。ご存知、国連は二度と戦争をおこさないための機関です。ぼくらはそう教えられていました。  だが、その期待はすぐ裏切られました。朝鮮戦争がありました。当時は、期待が大きかっただけに、国連は何をしているのか?とメディアに騒がれたりしました。が、どうでしょう。それから50年、60年、ずっと国際紛争は続いています。でもメディアは騒ぎません。終戦記念日になっても、国連の無力など誰も気にしません。国連が機能していれば、九条なぞあってもなくても済むものを。中国の侵略も、アメリカの核の保護も要らないのを。新冷戦などないものを!  終戦記念日のある8月、それはぼくがひとり国連を考える月です。二度と戦争をおこさない国連憲章を読み返す月です。そして「二度と戦争をおこさない」と言えば、国際連合の目的も同じだが、失敗したなぁと思い出し、やがてはなぜ失敗したんだ、と思い、またやがて、そういえばどちらも戦勝国が自分だちの都合でつくった機関だったからなぁ。毎年、ぼくは無力感に陥るのでありました。