●議会改革 ~ 町民目線でありたいが ~
議会改革は、大きなものは改革検討委員会、それ以外は議運(議会運営委員会)といった感じで進めています。
まず改革委員会ですが、いまはタブレットの導入についてはほぼ順調に議論中。
議員の定数や報酬の見返しについてはもたつきがち。事業評価は検討の入口段階レベルでしょうか。
議運関係では1つ決まり、6月議会の一般質問から議長が議員を毎回まるで囚人みたいに番号で指名することはなくなりました。まずは改革の第一号でありました。
やっかいなのが定数と議員報酬。もとは議員のなり手不足。政策力のある若者を入れるには報酬をUPし、その分、定数を減らそう、が一般論でしょうか。が、現実はどうか、給料も定数も今までどおりでいいじゃん、が議員の大方かも。それだと改革は永遠に無理。
思いおこしてほしい。なぜ定数や報酬は第三者が決めるか、議員に任せれば改革できないからです。
ともあれ、改革とは自分の都合を捨て、立派な人材を町に呼びこむこととぼくは思う。
そろそろ肝をくくろうよ。
●反省会 ~ どうせするなら美しく ~
一面でもふれたが、「反省会」が常態化している。人を責める気持ちは分かる。議員も人の子だし、時には不適切な言動もあるでしょう。だからと言って、多くの面前で個人を口撃するのはいかがか。中にはそっと本人に注意すれば済むことも、こちらの勘ちがいもある。そもそも個人口撃は美しくない。
どうしても反省会をするなら、建設的な全体のテーマを扱ってもらいたい。
コロナ禍の折だったではないか。コロナ対策は町に一任でよかったか。注文を出さなくてよかったか。一般質問のコロナ関係が一件だけでよかったか。議員活動が自粛ムードでよかったか。そして町民の代弁者のぼくたちが「多忙な職員を配慮した」と町民に胸をはれるのか。コロナ禍で一ばん苦しいのは税も払えない低額所得者だが、かれらに一律10万円以外の支援は何もない。それでよかったか。
たとえばそうした方たちを想うとき、ぼくは職員を忖度していたとは言えない。だから毎日、ゴメンネと反省しきりでありました。町民忖度がぼくの仕事なのですから。