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このページは愛川町議会議員玉利まさるのホームページです。
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                   編集子 K



2020年5月25日月曜日

マーガレットの戒め

 フェイスブックに庭に咲き乱れるマーガレットの写真を載せました。美しいからだけでなく・・・。
 明治18年、祖父喜造は29歳で国にアメリカ留学を命じられています。その折、いろいろな農産物を持ちかえっている。中に一袋のマーガレットの種を入れておいたそうな。
 それに除虫菊の名を付けたのも喜造らしいが、こちら蚊取り線香として世に知られる。また一部はマーガレットの名のまま皇室の庭園(今の新宿御苑)に供されるが、美しさで全国は広まったと聞く。
 さて、その29歳という年齢です。祖父は19の時、西南戦争直前のとき西郷隆盛に出会い、「おはんは農業発展のため江戸へいくがよか」と肩をおされ東京へ向かう。24で帝大(東大)の最初の卒業生、27歳で新渡戸稲造とともに農学博士一号取得、それから2年して、褒美か期待か知らないが、シカゴへの留学を命じられてます。西郷と出会い10年後となります。
 もちろん、自慢ではなく、むしろ自時です。じいさんに較べぼくは情けなさすぎ。なにしろ19歳は受験浪人中。弁解すれば、病弱と低能児と貧乏人の枠のぼくは、17ではじめてイジメにあわなくなり、19が受験勉強の出発点。
 が、あとがいけない。24歳までは好奇心が強いから雑学の日々。社会に出ると、チコちゃんみたいな「えっ、そうだったの」式の話をつまみに酒と女に明けくれ、瞬く間の10年でありました。祖父とは大違い。
 だからマーガレットが咲きほこる度に思います。失った10年は戻れない。いまさら好奇心は変わらない。ならば雑知識を役立てる手はないものか。ともあれ、ぼくの雑学は劣等感の裏返しだったのです。