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このページは愛川町議会議員玉利まさるのホームページです。
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                   編集子 K



2023年8月18日金曜日

●拝啓・黒岩様 当事者目線というけれど

 知事、あなたは当事者目線を重視しています。やまゆり園の事故は当事者の見落としという認識でしょう。そこを改善し「共生社会を実現したい」でしょう。思いはよく分かります。では、その実現の目途はどうですか。私のささやかな体験に照らすと「目途は立たない」でありました。理由から話します。私は、やまゆり園の当事者にくらべれば、虚弱児という軽い障がいや学力の遅れ、その他を抱えていました。そのために相当いじめられ、バカにされた育ちです。世間の理解なぞほぼなかったのです。救いは、親の理解、似た境遇者同志の励ましだけです。父は、肉体に関しては「1に運動、2も運動」で、学力に関しては「好きな女の子の名前が覚えられるから心配ない」です。母は、健康については「できるのは食事の管理だけ」。勉強では「意欲(競争心)が出るまで待ちましょう」です。ともに「なせばなる、なにごとも、いつか必ず」でした。早い話、当事者の自助任せでありました。それで私がどうしたかは省くが、世間並みになるのに10年、15年とかかりましたが、後は加速度がつきました。以下、その体験で得た知見の一端にふれます。

 まず当事者自身についてです。その当事者の範囲が広いので、ここでは障碍者についてとなりますが、その範囲(種類や障がいの重さ)も無限です。一口に当事者目線というけれど、当事者の範囲が無限です。中に自己表現できない方も含みます。生きるだけで精一杯の方、いきがいを見つけたい方、手に技術をつけたい方と千差万別で、親のニーズも然りです。知事、してみれば、あなたの仕事の第一歩は、世間に働きかける以前に、障がい当事者を把握し、体系的に分類・整理できる組織をつくることではないですか?それをやれる職員や専門家を配置することではないですか?私は、かつて600万人とも言われる戦争障碍者を生んだベトナムの施設を訪れたことがあります。そこでも最初にしたのが当事者の体系的分類的把握でありました。そこで学んだことは、後に私が学力遅れ教室をつくる基礎になりました。

 知事、次にやるべきはもう明確でしょう。当事者に2番目に近いのは、親と園のスタッフです。きちんと把握できていないので、目標もあいまいで、両者に齟齬が出ました。そんな園を、まして住民が理解するのは無理です。親と職員とが、理解して、協同して目標を設定することが重要です。私はそれを共助と呼びますが、知事の仕事はその体制づくりだと思います。相当な財政負担と認識していますが、それが公助です。そして最後の3歩です。それは、目標を明確にして、具体的成果をあげることです。ここまで来れば安心ではなく、ここからが大変かもしれません。コロナでもマイナでもそうでした。コロナでは目標自体があいまいで、迷走しました。マイナは、成果以前にトラブルがありました。世の中は、理解力が弱くても批判力は強いのでしょうか?知事、私は、人が当事者目線になるから共生社会になるのではなく、成果がでるから共生社会になるのだと思います。是非、頑張ってください。

 終わりに蛇足です。この原稿は終戦記念日の翌日に書きましたが、新聞を見てがっかりです。お国のために戦い、息子を亡くした方の多くは核抑止力の平和を祈っていました。原爆で子を亡くされたお母さんは核なき平和を祈っていました。78年経った今も両者が相手の立場で考えることはありません。当事者目線は相手の目線です。ちなみに私も当事者目線ですが、私の目線で読む人は少ない。遥けき旅なのか、だから知事の成果を祈ります。成果がその壁を破るでしょう。